カミーユ・グスタフと最悪の夜




 フェアルキアの水・十四節——デンブルグの丘。

 この日の夜、春先の風が潮の香りを運んだ。

 それは鼻先を掠めると、わずに青々とした草の香や花々の香りを乗せ鼻腔を抜けていく。本来であればこの丘の一面は瑠璃唐草ネモフィラが咲き乱れ、片隅では芝桜がひっそりと自分達の版図を主張をする。


 いい香りだ。


 胸一杯にそれを吸い込めば、そんな風に感じるのだろうが今は違った。

 思い切りに息を吸い込めば、喉の奥を刺激する魔力の硝煙に襲われ、鼻の奥は血と鉄が焼ける臭いに感覚を麻痺させてしまう。


 今のデンブルグの丘は死屍累々が彩る地獄の園であった。


 魔導大国フォーセットに併合された騎馬民族の国ベルガルキーは、大草原を統べた誇り高き血筋を蹂躙され、今では中央の大国フリンフロンとの闘いに明け暮れる先兵へ成り果てた。これを迎え打つのは、かつて大草原の雌雄を分けたアムルダルム王国。つまりフリンフロンに併合され属州となった草原の民達だった。


 繰り広げられたのは、フォーセットとフリンフロンの代理戦争。

 それは、同族の血で祖国を洗う醜悪しゅうあく陋劣ろうれつ賎劣せんれつな悪趣味。互いに本国の意向に左右され盤上の駒のように扱われる。誇りもクソもあったものではない戦争遊戯だ。


 これに猛反発をしたベルガルキーの過激派は徒党を組み、反フォーセット王国組織<草原の暁>を結成する。俗に<あかつき>と呼ばれた彼らは、草原を統べる風の精霊の名を高らかに叫び「我らの原を取り戻せ」と、まことしやかに精霊の意志を代弁した。


 しかし、本来は狩に長ける民族である彼らは、闘い、こと殺し合いについては馴れてはおらず、すぐさまに<草原の暁>は形骸化した。そのうちに物資が乏しくなれば、野盗よろしく商隊を襲い「精霊様に捧げよ」と精霊の名を免罪符に、蛮行を繰り返した。

 遂には民衆から、その志を問われると<あかつき>の名は、タチの悪い盗賊団を意味するようになる。


 そんな彼らであったが最後の決死の猛攻はを得たのか、つい数日前、デンブルグの丘の北に構えられた<灯台砦>を攻め落とすことに成功をした。


 <灯台砦>は海を挟んで向こう側、アークレイリ属州ロドリアの動向を監視するという重要な役割を担う軍事拠点であり、おいそれとそこを落とされたベルガルキー軍は一日でも早く砦を奪い返さなければならない。


 

 グスタフ騎馬戦士師団・第一から第三連隊は、デンブルグの丘の北に陣を張っていた。勿論のこと<灯台砦>を奪取するためだ。

 連隊は本国の魔導大隊が到着するまでには砦を攻め落とさなければならない。

 あの魔導師共は、どういう訳か戦場にやってきては屍を漁り程度の良い骸をさらっていく。連隊はその準備を終えておかなければならないということだ。



 その日の夕方には降伏勧告の親書を早馬に持たせ砦へ向かわせるも帰ってくる様子はなかった。つまり相手はやる気なのである。


「グスタフ! 起きろ! 夜襲だ!」


 歩哨に蹴り起こされたカミーユ・グスタフは「蹴ることないでしょ!」と毒突き傍に置かれた剣を手に取った。歩哨の後を追いかけるよう陣の北側に急いだカミーユは乱暴に腰に剣をぶら下げるとブロンドの長髪を器用に上で纏めなおした。そして胸鎧の内で揺れ動く豊満な双丘に不快さを覚え「外すんじゃなかった」と吐き捨て舌打ちをした。


「遅いぞグスタフ!」


 戦士達が集められた北側に到着をしたカミーユは連隊長の一喝に「すみません」と短く返すと、胸鎧をきつく締め直し幾許か身体を揺らした。

「おうおう、胸ばっかり育ちやがって! 胸帯きょうたいが役にたたないってか!?」


 カミーユの仕草に心無い野次が飛ぶと、ウワハハハ! と下衆な笑い声が挙がる。それに女戦士は、くりっとした双眸を瞬時に細め野次を飛ばした戦士達を一瞥する。


「あんたらねー、あたしが歩哨のときは覚悟しなよ。一物斬り飛ばして起こしてあげるからね」


 むしろ愛くるしいと思えるカミーユの顔には似合わない、随分と冷ややかで低い声音がそういう云うと戦士達は「おっかねー」と股間を押さえ互いに顔を見合わせた。


「カミーユ、戦場で装備を緩めるなとあれほど云ってるだろう」


 連隊長は小声でそう云うとカミーユの二の腕を拳で小突く。鎧が甲高い音をたて、女戦士は「すみません」と直立不動でそれに答えた。


「よし! 先ほど早馬は戻ってきたがヌドバックの頸はなかった! 袋に詰められ、ご丁寧に鞍に括りつけてあった!」


 連隊長は踵を返し戦士達の前に陣取ると大声を張り上げた。

 それに戦士達は、口笛で茶化す者もいれば「おおおう」と戯けた感嘆を挙げるものもいた。


「意味はわかるな!」


 それに戦士達は思い思いに得物を手に掲げ互いにそれを軽く打ち付け合うと、耳障りな金属音でそれに答えた。


「お前らの阿呆な頭でも理解できたようで何よりだ! いいかよく聞け! 早馬が戻る少し前に砦に動きがあった! どうやらあの下衆どもは俺達を夜這いに来る魂胆だ!」


 連隊長のご高説の間に従者達が馬を準備しその場に連れてくると、戦士達はそれぞれ乗馬をすると手綱を握る。


「奴らは丘下の森を進軍中とのことだ! よかったなお前ら! 魔導師様さまだ! 後はわかるな!? ヌドバックの墓前に千の頸を手向けてやれ!」


 連隊長も乗馬をすると高らかに叫び、戦士達は再び剣を合わせ音をたてると「墓前に千の頸を!」と叫び応えた。


「おらぁ! 行くぞお前ら! 味方の矢にケツを射抜かれんなよ! 出陣! 走れ走れ! 色男共を蹴散らすぞ!」





 鬨の声を挙げ、騎馬連隊が闇夜の中を出撃する。

 森の中をひそひそと進軍をする<暁>軍に奇襲の失敗をしらしめる為だ。

 ああやって発破をかけはしたものの連隊長は、そうすることで逃げ出す敵は今のうちに逃げ出して貰いたいと考えているのだろう。


 カミーユはそんなことを想いながら馬を駆った。

 

 敵に情けをかける。

 そこまで上等な心意気ではなかったにせよ、カミーユの父は常日頃から「敵が人である限りそこには家族があるのだ、そのことを考えろ」と云っていた。

 連隊長は自分の父のことを良く知り、そして慕った男の一人だ。

 だからきっと、同じように想っているに違いない。

 

 その父はつい先日、南のフォルダール連邦ナルダール国との国境戦線で、自分の前を駆ける連隊長を庇って命を散らした。

 口にはしないが、それ以来彼はカミーユのことを気に掛けてくれていた。

 カミーユはそれに気遣いは不要ですと云ってはいるのだが、連隊長は、それとこれは別だと云うばかりだった。


 そろそろ森が視界に入ってきた。

 

 ボヤっとそんなことを考えていたカミーユは頭を振り、半兜の面頬を勢いよく落とすと「あたしが強いって見せれば連隊長も安心するってことだよね」と、小さく溢し、スラリと鞘から白刃を抜き放った。


 その刹那だ。

 飴色の瞳に青い輝きが映し出された。

 輝きは確かに森の中にあった。薄く細く幾つもの尾を引いて素早く動いている。

 陣形を保ち最高速度で丘を駆け下りる同胞は、どうやらそれには気が付いていないようだった。


「あれは魔術?」


 カミーユは落としたばかりの面頬を今度は勢いよく弾き、しっかりと森を見ようと少しばかり隊列から外れた。


「おい! グスタフ!」


 連隊長は肩越しに叱咤したがカミーユはそれに構わず、もう少し隊列から外れ「連隊長ヤツら魔術を!」と叫んだ。


「寝言は寝てか——」


 嫌な予感というのは嫌な時にこそよく当たる。それが女の勘なのだと云うのならば尚更だ。カミーユが目にしたものは確かに魔術の輝きだ。そして今、目の前で連隊長の頭を吹き飛ばしたのは<魔力の矢>だった。

 気がつけば森の中から、一切の弧を描くことすらない直進する無数の青い閃光が、ヒュオン! と無数の音を引っ張り連隊に襲いかかってきたのだ。


 カミーユは、言葉途中に途絶えた連隊長の返り血を浴び「クソッ!」と、面頬を落とすと身体を低く構え隊列から離れた。

 

 鬨の声を挙げ全速力で駆けた別の戦士達は、馬を射抜かれた者は前につんのめった馬体から放り出され追撃の<魔力の矢>の餌食となり、馬上で射抜かれた者は断末魔の声を挙げる間もなく臓物を豪快に撒き散らし闇夜に転がると、流れる背景に溶けて消えた。


「散れ! 散れ! 固まるとやられるよ!」


 脚を止めれば格好の的。

 丘を駆け下りる軍勢は森の中から容易に狙いを定められたし、勢いに乗った軍馬を急に回頭することはほぼ不可能だった。だから、カミーユは器用に手綱をさばき軍馬を右に左に走らせながら、襲いくる無数の<魔力の矢>を掻い潜らせるほかなかった。


 それでもやはり格好の的であることに違いはない。

 しばらくは器用に掻い潜ったものの、数十本もの青の閃光がカミーユの愛馬を連続に捉え貫いたのだった。前脚を揃え勢いよく膝を折った軍馬は後ろ脚を天に向け縦に転がると投石器から岩を投げ出すようカミーユを前方に射出した。

 カミーユは咄嗟に身体を畳み込むと地面への衝突に備えた。

 空中で猿のような器用さで体勢を立て直したカミーユは、そのまま着地をすると未だやまない<魔力の矢>の音を耳元に何回か感じながら脚を止めることなく丘を駆け降り最後には草むらに飛び込んだ。


 周囲では面白いように同胞が<魔力の矢>に転がされ緩やかな丘の斜面を落ちてゆく。遠くから同胞の断末魔の叫びが耳に届く。

 カミーユはそれに「クソ! なんだって魔術師がこんなにいるの!?」と寝転がりながら地団駄を踏んだ。背の高い草むらに身体を投げ込んだおかげで<魔力の矢>の的となることは無くなったが、見上げる空との間に迸る閃光が止むことはなく敵の術者の数の多さに内心慄き、なかなか身体を起こすことができなかった。

 段々と人の気配までもが迫って来ているようにも感じられた。


「これじゃ、ジリ貧じゃん」


 馬から放り出された際に軍支給の剣を手放してしまったカミーユは、腰から自前の自決用とも云っていい小ぶりな短剣を抜き放つ。


 それを天に掲げ目を瞑る。


「父上——あたし——」


 カミーユはそう呟くと、小ぶりな唇を強く噛み鼻から大きく息を吸い込んだ。

 その間も相変わらず遠くから同胞の悲痛の叫びに、馬の最期の嘶きが耳に届く。

 合間を縫い青い閃光が飛び交う。頭上を過ぎ去っていく閃光はヒュオン! ヒュオン! ヒュオン! と音を引っ張り次には新たな断末魔を造りあげた。


 そしてカミーユは閉じた瞼を勢いよく開くと「本の蟲にられてる場合じゃないのよね! ぶっ殺してやる!」と叫ぶと、身体を跳ねるように起こし草むらの中を腰を屈め疾風の如く駆け抜けた。次には丘下から続く森の中へ滑り込むと地を這うよう木々の合間を抜け走った。


 向かう先は相手の魔術師達が陣取る丘下の森だ。



 

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