ギャスパル・ランドウォーカーと少女




 フェアルキアの水・十四節——貿易都市セントバ郊外。


 ギャスパル・ランドウォーカーはセントバ郊外、商人貴族の城館にいた。宝物庫から金品を盗み出すためだ。借金のかたに妹を取られ、それを買い戻すには多額の金が必要だ。

 ギャスパルはそのために婦人と娘を乗せた馬車が夜会から戻ると、暗闇から静かに忍び寄り御者の首を掻き切った。そして車内に踊り込み二人を拘束、か細い首へ短剣を優しくあてがうと宝物庫の鍵を寄越せと囁いたのだ。

 随分と荒っぽい盗賊だ。

 ランドウォーカーと云えば薄ら暗い路地界隈では「百手百顔ひゃくてひゃくがん」と呼ばれた大盗賊。それが荒々しく盗みに入るのには理由があった。

 城館へ忍び込む間際のことだ。これもまた随分と手荒に正門から押し入った輩が居た。それはギャスパルと同じく黒く暗い装備に身を包んだ戦士だった。目的は勿論、ギャスパルにはわからない。しかしこのままでは恐らく数刻の後には警備隊が押し寄せ盗みどころの話ではなくなってしまう。


 だからギャスパルは急ぐ必要があったのだ。


「難しい話じゃあないだろ。命まで取ろうって話じゃねえんだ」

 ギャスパルは鷲鼻と鋭い狼のような双眸を顕にするが口元を黒い厚手の布で覆っているから、その言葉は幾分かくぐもって聴こえた。

 口を塞がれた婦人は猿轡さるぐつわをされ声は出せないが、懸命にかぶりを上下に振るったのだ。その隣では少女がやはり口を塞がれ手足を縛られている。抵抗を試みた御者が目前で頸を掻き切られるのを目の当たりにした少女は失禁し、半ば気が触れたように泣き喚いた。


「悪いな。でもお前らの悪事も大概だろ。お互い様、いや、持ちつ持たれつってやつか。っとこれでいいのか?」

 婦人が目で指し示した小袋の中を漁ったギャスパルは目的の鍵らしきものを手にすると婦人に見せた。随分と古びた鍵であったが複雑な鍵山は複製するのが難しだろう。きっとこれが宝物庫の鍵なのだ。婦人はそれを見ると必死にかぶりを縦に振るった。


「嘘をついても得はねえぜ。これでいいんだな?」


 もう一度、婦人は顔を真っ赤にかぶりを振るった。

 それにギャスパルは「よし」と呟くと、鍵を手の中でくるりと回し黒ズボンの 衣嚢いのうへ滑りこませた。相変わらず婦人の傍の少女は泣き叫ぶが口を塞がれ声は漏れない。それにギャスパルは「すまねえな。妹を取り戻すためだ。我慢してくれ」と表情暗く少女へ投げかけた。

 それは、どう考えても道理の通らない言い分だ。ギャスパル自身がそれを一番よく理解をしている。かつては大盗賊と呼ばれ、その界隈では英雄視された。だが、たった一度の失敗がギャスパルの不確かな栄光を脚元から崩し、もうすっかり落ちぶれた。妹を取り返すにはこの方法しか頭に浮かばなかった。


 ギャスパルは馬車の扉を開ける前、身を屈め外の様子を確認した。少し先の庭園では、まるで嵐が吹き荒れるように血風が描かれた。

「あれじゃあ、ひと堪りもねえな。くわばらくわばら」とそれを確認すると、そっと馬車の扉を押し身体を低く出ていく。

「おお、そうだ。一つ忠告しておくぜ。宝物庫の鍵なんてものを持ち歩いたら危ねえぞ」

 ギャスパルはひらりと馬車から飛び降り暗闇に溶けむと、そのまま地を這うよう走り出すと城館の裏口へと急いだ。



 腰袋から二本の錠破りを取り出したギャスパルは難なく幾つかある裏口の扉を破ると、外の喧騒とは打って変わって物静かな厨房へと身体を滑り込ませた。当たり前だが随分と薄暗い。遠で剣戟の音が響いている。恐らくあの戦士がホールに踊り込んだのだろう。厨房の外では何人かの男女が声を荒げ「賊だ! 賊だ!」と叫んでいた。

「あれが賊? 冗談じゃねえ。あれはただの殺人鬼だろ」

 ギャスパルはそれに苦笑いをした。

 人斬りも盗賊も同じようなもの。いいや、俺は必要なければ斬りはしねえよ。ギャスパルは胸中わだかまるいつもの葛藤を笑い飛ばした。


 肝心の宝物庫は館の主人クラウスの寝室から辿り着ける仕組だ。寝室の隠し扉をくぐり見取り図の上では不自然な空間に地下までの階段が準備されている筈だ。そこまでの間に点検口はない。そんな特殊な作りである。かつてクラウスが所蔵したアーティファクトを狙う仕事を依頼された際、ギャスパルは下男を装い館で下調べをした。その時の記憶が役に立ったというわけだ。結局その時に狙ったリュートは南に売り飛ばされ今ではどこぞの白の吟遊詩人の手にあるそうだが、ギャスパルには関係ない。



 混乱に乗じた元大盗賊はどんな技能でか、厨房を出ると二階への大階段まで壁際を走り抜け踊り場まで駆け昇った。

 彫像の物陰に隠れ様子を覗き見る。

 反対の通路から一人の少女が剣を携え歩く姿が目に入った。恐らく先ほど馬車で縛った少女の姉妹だろう。

 視界を引けば黒の戦士が階段をゆっくりと昇ってくるのが見えた。ギャスパルは、そこはかとなく胸をざわつかせ双方へ交互に視線を送った。このままでは恐らく少女と戦士は鉢合わせだ。その先のことは容易に想像ができた。それは少女の死だ。

 ギャスパルは壁に後頭部を押し付け天井を仰ぎ見た。妹の顔がよぎり、このままで良いのかと自問自答をする。しかし時間に猶予はない。

 俺は人斬りでも鬼でもない。盗賊だ。

 用があるのは宝物だけで、他人の命がどうなったって構いやしない。

 その筈だった。

 


 アリサは無様に逃げ去った父親の背中へ毒づくと、飾られた鎧騎士から剣を奪い大階段へと向かった。

 綺麗にすかれたブロンドは少しばかり鬱陶しいのだろう。肩にかかったそれを手慣れた手つきで振り払い剣を握り直した。そして、耳をそばたて大階段から聴こえてくる悲鳴に怒号へ注意を払いゆっくりと歩く。

 するとどうだろう。反対の通路に飾られた彫像から男の顔が覗いた。どこかで見たことのある顔だった。それにアリサは危ないから隠れていろと手を振るのだが、向こうの男は身体を顕にアリサへ戻れと手を振ったのだ。

 アリサは怪訝な表情をすると首を傾げ、そのまま大階段へ差し掛かったのだった。その時だった。

 大階段から黒塊が躍り出るとアリサの胸に冷たく熱いものが埋め込まれた。それは想像を絶する黒鋼の大剣。アリサの身体はどんどんと寒さを感じ身体を震わせた。大量に噴き出た血が呼び込んだ凍てつく寒さは、もはや痛みはどこかへ置き去りにすると、今度は身体のうちを燃やすような熱さを呼び込んだ。

 自分に剣を埋め込んだ黒暗の戦士がゆっくりと刃を抜き始めたからだ。いつの間にか背を廊下につけたアリサの周囲には血が溢れ、口角からも大量の血が溢れたのがわかった。

 黒暗の戦士は随分と皺のある声で「クソ!」と叫ぶと「なんで、お前みたいな子供が剣を? お前の親父はどうした」と訊ねた。

 視界が霞んでゆく。

 そんなことを云われてもわからない。アリサはぼんやりと目を瞬かせた。優しかったのかどうかはわからないが、戦士が頬に触れる手の感触も遠くなってきた。


 もう一度目を瞬かせた。

 何度目かの瞬きに黒暗の戦士の背後に忍び寄った影をアリサは見たように思った。恐らく先ほどの男だろう。嗚呼、そうか。彼は少し前に館で働いていた下男だ。きっと仇を取ろうと忍び寄ったのだ。何もかも麻痺をしたアリサは最後にそれを想うと、絞り出せぬまでも青ざめた唇をかすかに動かした。


「駄目。逃げて」と。



 ギャスパルは黒暗の戦士がアリサに両手剣を突き立てるのを見ると、頭の中が真っ白になった。気が付けば、身体を低く足音も気配も消し去り短剣を逆手に黒暗の戦士の背後に立ったのだ。大盗賊の二つ名は伊達ではない。魔導でも魔術でもない編み出された人の業を極めギャスパルは何度も死線を潜り抜けてきた。

 随分と焼きが回ったもんだ。

 ギャスパルは少女の頬を撫で付ける戦士の背中に視線を落とし心に呟いた。少女の仇を取ろうとでもいうのか? それとも盗賊の矜持に反するからか? わからない。だが、こいつの命は俺が預かっている。その想いだけでギャスパルは逆手に持った短剣を水平に構え身をかがめようとした、その時だった。

 ぼんやりと宙を眺めた少女と目があった。

 そして少女は唇を動かしこう云った「駄目。逃げて」と。


 何か不穏な空気が首をもたげたように感じた大盗賊は瞬時に音もなく後方へ飛び退き、そして踊り場から飛び降りたのだ。

 突然踊り場から響き始めた轟音に目を丸くしたギャスパルは「なんだあいつ、狂いやがったか」と吐き捨てた。




「なんで逃げなかったんだ」

 黒暗の戦士がひとしきり暴れ惨憺さんたんたる光景となった踊り場へギャスパルは戻ると、既に息のないアリサの骸に語りかけた。せめてもの弔いにとでも思ったのだろう。

 すっかり蝋人形のように青ざめたアリサは瞼を閉じ答えることはなかったが、ギャスパルはそれでも「借りができちまったな。助かったぜ」と、静かにかぶりを垂れた。

「お前が望むか知らねえが、いいぜ、あいつの頸は俺が取ってやる。俺のこの胸糞もそれで晴れるってもんだしな。嗚呼、そうだお前の姉だか妹に怖い想いをさせちまった。あとで謝っといてくれ」


 ギャスパル・ランドウォーカーはそう云うと、黒暗の戦士が走り去った方へと駆け出し館の主クラウスに部屋へと急いだ。

 敵討ちは金を頂戴してから。全くを持って盗賊らしい矜持である。



 

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