第一章 01

皇太子殿下の婚約者候補となって2週間。

手紙の一つも届くこともなく、平和な日常を送っていた。


先日の皇太子殿下との一件から少し身構えていたが、何一つ変わらない日常に安心して朝食をとっていたら侍女が嬉しそうな顔をしてやってきた。


「お嬢様、本日の午後に殿下が来られると伝達がありました!ささ、早く準備をいたしましょう」


優雅な朝食から一変、私ののんびり過ごす予定だった本日は消えてなくなった。

そして私の心とは反して使用人たちは嬉しそうに殿下を迎える準備を始めた。


「…ねぇソフィ、殿下が来られるだけなのにわざわざ着替える必要ある?」


楽しそうにクローゼットから服を選んでいる侍女のソフィに声をかけた。

今私が身につけている服は動きやすい服装ではあるが、部屋着ではない為このままでも問題ないにも関わらず、ソフィはドレスを選ぶ手を止めない。


「今のままでも十分お嬢様はお綺麗で可愛らしいですが、皇太子殿下にはもっとお嬢様の魅力に気がついていただかないといけません」

「…魅力ねぇ」

「そうですよ。私のお嬢様と婚約しておいて、2週間も放置なんて許し難いことですわ」

「そ、そう。因みに婚約者候補ね、候補」

「あら、私としたことが。あくまでも皇太子殿下はまだ、お嬢様の婚約者候補ですものね」


皇太子殿下を「私の」婚約者候補というあたりが流石としか言えない。

お兄様といい、ソフィといい私を主軸に考えすぎよ…。不敬罪に問われても知らなんだから。


「…仕方ないわね。ソフィ、完璧に仕上げてちょうだい」


もうソフィが楽しそうだから、なんでもいいわ。

一つ、また一つとドレスを手に取りながらぶつぶつと独り言を言いながら楽しそうにドレスを選んでくれた。




と、いうのが午前中。

そして現在昼下がりのお茶の時間。


目の前のテーブルには様々なお菓子が並べられ、手元にはお気に入りのミルクティー。

楽しいはずの時間は、気まずい雰囲気が漂っていた。


殿下から話を振って下さることもなく、会話がない。

当たり障りのない会話をしてみるもすぐに終わってしまった。


「…先ほどはとても綺麗なチューリップをありがとうございました」


来られた際に辿々しく手渡してくれた淡いピンクに色づいたチューリップの花束。

可愛らしい花束と殿下の雰囲気が似合わなすぎて少し面白かった。


「気に入ったのならまた持ってこよう」

「ありがとうございます。ですが、殿下はお忙しい身だと思いますので私に気遣いは無用ですわ」

「……怒っているか」


はて?

何に対してでしょうか?


「2週間もの間、何も連絡できずすまなかった」


バツが悪そうに視線を下に逸らす。


「怒るだなんてとんでもない。殿下がお忙しいことは知っております」

「だが」

「私はいっさい気にしておりませんわ」


本来ならば婚約者(候補)から全く連絡がなかったら不安になったり、怒ったりするものだとは思う。

でも、連絡がなかったことに不満に思ったり、怒りなどの感情は全くなかった。


殿下のことが嫌いというわけではないのだけど、連絡がなくてどこかホッとしていたのも事実。

そもそも嫌いになれるほど殿下のことを知りませんが。



「…そうか。では今後はなるべく連絡を入れるよう」

「え、いやあの、本当に気にしておりませんので大丈夫です」

「シエラ嬢に忘れられては私が困る」

「忘れるなんてとんでもない。殿下のことを忘れたことなどありませんよ」


嘘ではない。

連絡ないな、平和だわ。

婚約の件は無くなったのかしら?

と、少しは考えていた。


「ほぅ。ではひと時も欠かさず、私のことを想っていてくれたのか」


どうしてそうなるのですか。

違います。

その言い方では語弊が生まれますわ。


「いや、あの、殿下。それでは少し語弊がありますというか」

「違うのか。私はシエラ嬢を想わない日はなかったのだか」


私の髪をひと束すくい、口元に当てる。


「シエラ嬢の髪はシルクのように美しいな。肌も雪のように白く、アイスブルーの瞳は宝石では言い表せないほど綺麗だ。ほのかに香る柔らかい香りは甘く、シエラ嬢が纏う全てが美しく愛おしい」

「い、いとお……、私は殿下に褒めていただけるほど、綺麗ではありませんわ。殿下のまわりにはもっと素敵な令嬢が沢山いらっしゃるでしょう?」

「確かに私に近寄ってくる令嬢は少なくはないが、君のように美しい令嬢はいない」


「で、殿下、あまりからかわないで下さい…」

「からかったつもりは無いのだが、私の言葉で真っ赤になるシエラ嬢の姿を見られたから今日の所はこの辺りでやめておこうか」

「……そうしてください」


殿下の甘い雰囲気に耐えられず、誤魔化すかのようにお茶と一緒に用意されたお菓子に目を向ける。


色とりどりのマカロンにフィナンシェ、チョコレートにクッキー。

私はピンク色のフランボワーズのマカロンを一つ手に取り口に運ぶ。

程よいフランボワーズの酸味が甘いガナッシュと混ざり合い、口いっぱいに幸せが広がる。


「シエラ嬢は甘いものが好きなのか?」

「えぇ、好きですよ。殿下はお嫌いですか?」

「嫌いではないが、あまり食べないな」

「あら、それは失礼いたしました。すぐに何か軽食をご用意しいたしますわ」


呼び出し用の小さなベルに手を伸ばしたら、私よりも一回り以上も大きく、骨ばった手が私の手を掴んだ。


「殿下?」

「……軽食はいい。それよりもなぜこんなにも細いんだ。少し力を入れただけれ折れてしまいそうではないか」


眉間に深い皺を作りながら壊れ物を扱うかのように、大きな手が優しく私の手を握る。


「そう簡単に折れませんわ。それにもし何かあったとしても、クリスお兄様や我が家の騎士が守ってくださいますから」


スノービュー家は代々騎士の名家として帝国に支えてきた。

それは現在も変わらず、お父様は帝国騎士団の総長を務めクリスお兄様は王族警護の第一騎士団の副団長を務めている。

お父様やお兄様に憧れて騎士を目指すものはスノービュー家の騎士になりたいと願うものが多く、高い倍率を潜り抜けたものだけが我が家の騎士に所属している。


まぁ、修行が厳しいようで騎士の憧れの場所とは別に「地獄の奥地」なんて言われているようだけど。


「スノービュー家の騎士が優秀なことは知っているが、もしものことがあるだろう。私がシエラ嬢の側にいられればいいのだが…」

「そんな殿下に守っていただくだなんて、とんでもない。これでも私も騎士の家系ですわ。自分の身は自分で守ってみせますわ」


まだどこか納得がいっていない様子だったが、1人にならないことを約束することで落ち着いた。


「皇太子の肩書さえなければ、スノービュー家の騎士として入り、直接守ることができたと思えば無力な自分が苦やましいな」

「ですが、殿下が皇太子だからこそこうして一緒にお茶することが出来たのですから、私は殿下が皇太子殿下で良かったと思っております」

「そうだな、ただの騎士では君の婚約者候補にさえなれないことを考えると今の方が恵まれているな」


その後も殿下の真っ直ぐな言葉に心乱されながらも何故か居心地がよく、初めに感じた居心地の悪さは嘘のように楽しい時間を過ごした。




「お嬢様、皇太子殿下からお手紙とお花が届いております」


お茶会から3日後。

なるべく連絡すると言われていたが、こんなに早く来るとは思っていなかった。


手紙と一緒に届いた、見覚えのあるチューリップの花束。

お花を窓際のテーブルに飾るようお願いした。

花を飾ったテーブルの前に腰掛け、王家の印が押された便箋を開いた。


2行の簡素な手紙。


「お嬢様?」


ソフィが不思議そうに話しかけてきた。


「……私、学園に通うのしばらく辞めようかしら」

「お言葉ですがお嬢様。それは大変難しいかと思います」

「………そうよね」


後少しで新学期が始まり、私は2年生になる。

そして同じ学園に通う殿下は3年生。


2年生の校舎と3年生の校舎って離れていたかしら……。


これから始まる学園生活が平穏なものになることを願いながらも、ほんの少しだけ楽しみだと思っていた。




ーーー


シエラ嬢へ



新学期からは一緒に登校しよう。

迎えにいく。



グレイ


ーーー












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