皇太子の重すぎる愛を受け止めきれない

凪咲 澪

序章 プロローグ

まだ少し肌寒い季節。

少女は窓越しに腰掛け、長い髪をなびかせていた。


色素の薄い青みがかったシルバーの髪はシルクのように美しく、陶器のような白く透き通った肌。華奢な手足に長いまつ毛。

そして一際美しいアイスブルーの瞳はより一層少女の魅力を引き立て、何処か儚さをおびていた。


「おはようございます。シエラお嬢様」


シエラと呼ばれた少女は侍女に振り返り微笑んだ。


「おはよう。今日はミルクティーが飲みたいな」


ミルクティーの心地よい香りに包まれながら冷えた体を温めていく。

おだやかな空間とは反して瞳を閉じると昨日の光景が浮かんだ。


「……はぁ、皇太子殿下の婚約者候補なんてどうしましょうか」




豪華絢爛といった派手さはないが、柱や扉などに施された繊細な彫刻。

アグリエント帝国の中でも指折に美しいと言われているスノービュー公爵家の長女として生まれた私は、当主であるお父様の部屋に呼ばれた。

呼ばれた理由を聞かされていなかった私は目の前の光景に困惑した。


眉間に皺を寄せ険しい表情のお父様。

戸惑いと不満をあらわにしたクリスお兄様。

そして、なぜかいる皇太子殿下。


舞踏会などで挨拶程度しか言葉を交わしたことはないが、鋭い切長な目にルビーのような真っ赤な瞳は吸い込まれそうなほど深く、高い鼻梁にクセのない真っ黒な髪。

殿下が微笑まれた姿を見たことがないことから、氷の皇太子ともいられているがそのクールな姿も令嬢たちからの人気の一つになっている。


…どうして皇太子殿下が我が家にいるのかしら?来客予定には入っていなかったはずだけれど……。


「皇太子殿下、挨拶が遅れ申し訳ございません」

「シエラ嬢、気にしないでくれ」

「そうだよ、シエラ。グレイ殿下が急に来たんだからシエラが気にすることは全く無いよ」


クリスお兄様!?シレっと言ってますが、いくら我が家が公爵家といえど皇太子殿下にその発言はいかがなものでしょうか!?

私が知らないだけで、お兄様は皇太子殿下ととても仲の良いご友人でしたっけ?


「突然の訪問すまない。今日は令嬢にお願いがあって伺わせてもらった」

「私にお願いですか?私で叶えられることでしたら、何なり…」

「ダメだよシエラ!!要件も聞かずに安請け合いするようなことを言っては!このドス黒い皇太子が天使のように可愛いシエラにするお願い事なんて、きっとろくでもない事に決まってる!」

「…お兄様はしばらく黙っていてください」


スラッと引き締まった身体に整った顔立ち。私より少し青色が強いシルバーブルーの髪に瞳は深いグリーンの瞳が綺麗に映える。

容姿端麗、文武両道。非の打ち所のない自慢の兄だが、妹の私に過保護すぎることが勿体無い。


お兄様のことは大好きですよ、ですが時と場合を考慮ください。本当に。


「殿下、要件を伺ってからのお返事でもよろしいでしょうか」

「私と婚約してほしい」


…………ぇ?


突然の申し出に頭がついていけない。


皇太子と婚約?

……え?


惑いの中フリーズする私を他所に、お兄様が先に口を開いた。


「お断りします!!」

「クリス、決めるのはシエラだ」


お兄様、お父様、そして皇太子殿下の視線が私に集まる。

貴族として産まれてきた以上、政略結婚は覚悟していた。

愛する人と結婚なんてできない。だからこそ、夫となる人を愛せるように、愛してもらえるように努力しようと。


だが、それは一貴族との結婚であり、皇太子殿下と婚約する覚悟など私にはない。


「シエラには黙っていたのだが、グレイ殿下からお前と婚約したいという話はずっと前からあったんだ」


今まではお父様が殿下との婚約を断ってくれていたらしい。

それでもこうして、直接殿下から私に申し出があるということは何か断れなくなった理由があるのかしら。

殆ど接点のなかった殿下が私のことを好きで求婚してきたとは到底思えないし。


「僭越ながら、私が殿下の婚約者として選ばれた理由が分かりません」

「私がずっと前からシエラ嬢に思いを寄せていたから、では理由にはならないか?」


は?


「失礼ながら、皇太子殿下とお会いしたのは公式の場での挨拶程度だと記憶しておりますが」

「私はずっと昔から知っている」


眉を顰め、今にも泣きそうなほど辛そうに私を見つめる瞳に囚われたかのように魅了された。


どうしてそんな目で私を見るの?

愛おしそうに、そしてひどく悲しく、辛そうな表情で。


「殿下!!!」


怒りと焦りが混じり合ったようなお兄様の声。

皇太子殿下の発言と表情の意味を私には理解ができなかった。

だけれど、何かを忘れているかのような違和感があった。


「…私には皇太子妃になる覚悟はありません。ですので、まずは婚約者候補の1人ではダメでしょうか」


貴族の結婚は政治絡みが殆どで、普段の会話でさえ裏の読み合いが当たり前の気が抜けない。

殿下は私のことが好きだから婚約したいと言ってくれたが、本心とは信じがたいのが現実。


我がスノービュー家は帝国の中でも上位3位に入る名門であるため、スノービュー家の後ろ盾が欲しいのかもしれない。

または、家臣、貴族たちに令嬢を勧められることに嫌気がさしたのかも。

婚約者の相手が上位貴族のスノービュー公爵家ならば、簡単に反対できるものではないため、効率もいい。

あとは、何故かお兄様と仲も良いようなのでこれも関係しているのかしら。


どちらにしても我が家との婚約は殿下にとって何かしらのメリットに繋がっているのだろう。

本来なら皇太子殿下からの申し出を断ることなどするべきでなかいが、お父様は私が決めていいと言ってくれた。

本当の理由を知らないままで利用されるなんて気分がいいものではない。


一候補であれば、婚約を破棄する際も簡単におこなえる。

殿下の本心を探るための時間稼ぎとして出した答えが婚約者候補だった。


「かまわない。シエラ嬢の隣にいることが許されるのであれば今は候補でもいい。だが、私は候補で終わるつもりはない」


真っ直ぐ向けられた赤い瞳は獲物を狙うかのようにギラついて見えた。


「…婚約者候補として、よろしくお願いいたします」


こうして私は皇太子殿下の婚約者候補となった。


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