抜け殻を捨てることは遺体遺棄に該当しないが、恐らく何らかの法には触れる。
死体が見付かればいい。しかし、誰かも分からない人間、まして今後関わるかも分からない社会の為に死ねるか。いや、死ねない。昔の僕は死にたかったのかもしれないが、そんなことは知ったことではない。
丸山が用意してくれた土の中はとても心地良い。ずっとここにいたい。ずっと、ここに。
「シダ君」
僕の本名を知ったのに、丸山は呼び名を変えない。僕の名前は星野樹だそうだ。名前を聞いても特にどうとも思わなかった。やたらメールで僕の無事や居場所を訊いてきた人が母親だったのかと思い至ったくらいだ。
「何ですか」
「言い方変だけど、死にたくなったりしないの?」
違うんだ、嫌味とか、死んで欲しいとかそういうアレじゃなくて、何と言うか。しどろもどろになる丸山に憐れみを覚えた。
死んでどうする。この体に不都合はないというのに。人間とは事情が違う。僕には土と水があればいい。無ければ干からびて枯れるだけだ。苦しみが存在しない。人間であった過去に記憶していただろう苦しみは綺麗さっぱり忘れてしまった。仮に、人に化け物と言われようが何かされようが、それは人でない僕にとって意味のないことだ。僕にはもう人間だと言う実感がない。
「脳がそういう風に考えない作りになっているんだと思います」
丸山は腑に落ちたと言わんばかりに頷き、だろうね。じゃないと普通、土や肥料で喜べないからね。と言って土の中に手を突っ込んできた。
「体と一緒に人じゃなくなっていくね。本当に、植物になっちゃうのかな」
そんな気がしますと答えると、丸山は冗談に聞こえないと軽い口調で頭を撫でてきた。泥がつく。この人は頭を撫でるのが好きなのだろうか。頭に生えた植物が抜けてしまいそうだ。
「頭の草が抜けたら、禿げるね。若禿げはつらいなあ」
それの何がつらいのだろうか。ハゲだとファッションの幅が狭まる、髪型で誤魔化せない、などと言っていたが今の僕にとっては、見た目なんてものは本当にどうでもいい物である。
「でも、シダ君って殺しても死なない気がする」
そこは僕も同感だ。僕は死なない。この体が朽ちても。
「変なこと言ったね。はは」
それっきり、丸山は背を向け、何かを呟きながらあの絵の続きを描き始める。その光景を見るのは好きだった。彼の描く森は居心地がよさそうなのだ。
休憩と言って食事を摂るのを見ていると、一口食べるか訊かれた。口にする気は起きなかった。残飯を土に混ぜて貰った方が嬉しいが、彼は嫌がるだろう。
彼は夜通し絵を描き続け、僕はそれをずっと見ていた。
起きたら、人間の体が必要なくなっていた。多分、必要な養分を吸い切ったんだと思う。肉を突き破って出てみると、丸山に悲鳴を上げられたが、意味が分からない。
「どうしたんですか」
そう発音したはずなのだが、彼には伝わっていないようだ。こちらを凝視している。たぶん、今の僕には喉も舌も唇も顎もないからだろう。きっと、人間と同じような調音ができていない。
しかたなく、土の中にある肉をビニールの下に敷かれたブルーシートの上に放る。彼は僕と肉を見比べて、笑顔を浮かべた。
「シダ君! これで、死体を見付けさせられるよ!」
良かったですねと答えて笑い返したが、丸山は異種間コミュニケーションってどうするんだよと嘆いている。とりあえず、部屋に置いてあった真っ白な画用紙に文字を書いた。
『早く捨てに行きましょう』
「おお、丸っきり植物になったんじゃないんだね。よかった」
何が良かったのか。その疑問を見透かしていたかのように、彼は「シダ君の死体があるからてっきり、植物に寄生されててシダ君は用無しになったのかと思ったよ。今はそれが本体なんだね」と続けた。
「シダ君が出て行った後は治癒しないんだ。穴ぼこだらけだね」
俺が触ったら指紋とか付いちゃうのかなあ。丸山はそう言って僕の死体を前に考え込んでいたので、僕が運んで捨てればいい。と提案した。
その日は一日中、丸山が僕の人間の体を描いているのを見ていた。描いたうえで写真や動画も撮っていて、この人は少しおかしいなと思った。
「これで、もうシダ君は星野君じゃなくなっちゃうのかな、社会的に」
心からそう思っているような、安心した表情を浮かべていた。
次の日。太陽も出ていない早朝、まだ深夜だろうか。僕らは丸山の車に乗り込んだ。いくら僕が生きているとはいえ、人間の死体に見える物を捨てるのだ。見られては都合が悪いと丸山が言っていた。
樹海に向かいながら考えた。僕は色々なことを忘れて行っている。角田のことはかろうじて、お医者さんのことはぼんやりとしか覚えていない。必要のなくなった物から次々と忘れてしまうのだろう。しかも、この体ではコミュニケーションが億劫だ。
いつ完全な植物になってもいいように、これが終わったら丸山に伝えておこう。
「じゃあシダ君、運んで」
樹海に着くと丸山はトランクを開けた。そこから僕の死体を取り出す。その辺に置いておこうかと言われたので、放った。丸山は僕と死体の写真を撮った。名残惜しいと呟いたが、すぐに「帰ろう」と言って僕の体に触れた。僕はこの樹海に根付きたいとほんの少し感じた。
「これで、全部終わったね」
その声はとても弾んでいた。
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