side丸山――保護した少年が窒素を要求してきた件について。――

 俺は食事のことを訊いたはずだ。それなのにどうしてシダ君は窒素とか何とか言ったのだろうか。分かっている。さっき病院で聞いた。彼の体はもう人とは違う。恐らく、体につられて脳が順応したのだろう。あくまで推測、いや妄想の域すら出られない仮定でしかない。

 シダ君は自分の体が変わっているというのに、あまり気にしてないようだ。ただ、色んなことを忘れ過ぎている。こんなことになるなら、もっと早めに色々と訊いておけば良かった。

 彼と住むことは難しくない。彼は食事を摂らないし、うるさくもない。ここ最近は特にぼんやりしている。置物のようなものだ。俺の生活に支障はない。

 ただ、彼の家族のことが気がかりだ。捜索願いか何かが出ていてもおかしくないのではないか。どうにか、連絡が取れないだろうか。


「そういえば、シダ君」

「何ですか?」


 やはりぼんやりと窓の外を眺めているシダ君に声を掛ければ、彼はゆっくりとこっちを向く。大丈夫、きっとまだ大丈夫だ。


「携帯の電源入る?」

「入るんですけど、色々な人から着信とかメールが来て鬱陶しかったので、電源落しちゃいました。誰かも分かりませんし、怖いじゃないですか」


 先に言えよ。やっぱり大丈夫じゃないかもしれない。


「面倒だと思うけど、メール見て、家族からっぽい文面の物探してみてよ。同じ名前で何通も着てたり苗字が被ってたりしたら多分そうだから。保護しといて」


 シダ君が素直に頷くのがミラー越しに見えた。画面を凝視しながら携帯を操作している光景は、年相応に見えて微笑ましかった。


 いつの間にか、自宅の近くまで来ていたようだ。肥料を買うのなら車のままがいいだろう。どうやってシダ君に与えればいいのだろうか。まさか彼は肥料を食べるのだろうか。それはちょっとマズイんじゃなかろうか。普通の植物でも肥料をやり過ぎるとよくないと聞いたことがある。それに土に混ぜる物だろう。彼を鉢の中に突っ込むべきなのだろうか。


「ねえシダ君、土も欲しい」


 駐車場に車を留めて訊ねると、彼は期待に満ちた眼差しをこちらに向ける。


「いいんですか?」


 ついでに、プランターか鉢を買おうか迷ったが、彼が入るサイズの物は値段がべらぼうに高かった。当分はビニールの中で生活してもらおう。歯朶は日光に当てなくてもよいから、部屋の中に彼を置くことになるが、俺の部屋は大丈夫なのだろうか。

 シダ君が保護したメールを見ながら、彼が台車に肥料や土を乗せる光景を見る。そんなに良い体格には見えないが力は結構あるようだ。彼は遠慮を知らないのか、20キロの土を2袋も買おうとしている。確かに窮屈なのは良くないと思うけど、下手したら俺の寝床が浸食されてしまう。


「あ」


 見ていると気が気でない。と、逃げるように再び見たメールの中に気になる文面を見付けた。

 差出人は星野花枝とある。


【樹、どこにいるの?】

【樹、いつ帰って来るの?】

【連絡しなさい】

【何かあったの?】


「こりゃあ、母親だな」


 そうか、シダ君の本名は星野樹か。よりによって樹か。植物と縁が深い。早速教えてやろうと顔を上げると、彼はレジの近くにいる。まさか、買い物には金が必要だってことまで忘れてないだろうな。

 慌てて向かうと、シダ君はこれで。と言ってレジへ進む。待っていてくれたのか。高校生だろうか、素朴な雰囲気の可愛い女の子がレジにいる。


「あ、大きなビニールとかありますか?」

「はい、ありますよ」


 そう言って彼女は足元から大きな袋を数枚取り出してくれた。さすがホームセンター。シダ君は不思議そうにビニールを見ている。何か、変なことを言いそうな気がしたので先に車に乗っていてくれと促した。

 肥料の扱い方について訊こうと思ったが、変なことを言ってしまいそうだったのでやめた。後で角田にでも訊こう。

 清算を済ませて車に荷物を詰め込んでいるとシダ君が車から降りてきて手伝ってくれた。


「僕、この中に入るんですか」


 シダ君は不満げにビニールを掴んで広げる。思ったよりもだいぶ大きい袋だった。彼も同じように思ったらしく、これくらいならと呟いて黙った。


「お母さん、分かったよ。君の名前も」


 車を走らせ、肥料の袋を見つめるシダ君に声を掛ける。


「そうですか」


彼はこちらに目もくれなかった。最早自分の本名すらいるものではないのだろう。


「メール返してあげなよ」

「何て返したらいいのか、分かりません。それに、」


 覚えてもいない親に会いたいとも思いませんし。

 シダ君ははっきりとそう言った。その表情には何の感情もこもっていなかった。この子はもう戻れない。漠然とそう思った。しかし、彼がいなければ社会は黙っていない。彼の母きっと大変な思いをするだろう。


「僕、死んだことになりませんかね」

「うーん、死体がないと諦めが付かないんじゃないかな」


 シダ君は黙った。家に着いてからも暫く黙っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る