side丸山――ある日、樹海の中、全裸でモデル顔負けのポージングをする少年に出会った。――

 大学で出された課題の参考にしようと赴いた樹海で、高校生らしき妙な少年を見付けた。こんな身体的脅威の多そうな場所で全裸になって、モデル顔負けのポージングをしている。不審な点が多すぎる。

 普段なら無視するのだが、この大穴はどう足掻いても一人では上がって来られない。

 大丈夫かと声をかければ木の実を投げ付けられた。何だこいつ。自然の落とし穴に落ちたにも関わらずピンピンしている。足の一本や二本挫いていてもおかしくないのに、運のいいやつだ。

 助けようかと訊けば、助けてくれと答えたので、上からロープを垂らして引き上げる。ちゃんと服を着て上がってきた少年は泥まみれで、体の至る所から植物が飛び出していた。希少植物の密猟でもしてたのか。それにしては隠し方が杜撰だろ。本当に何なんだこいつ。

「……それで帰るのはやばいね。送ろうか?」

 いくら不審だろうが、車が泥まみれになりそうだろうが、ここで放置したら目覚めが悪い。遠慮されたらせめて麓まで連れて行って警察にでも預けよう。

 少年は何かを考え込んでいるようだった。知らない人の車に乗ってはいけないとでも考えているのだろうか。その判断は正しい。

「あの、今日って何月何日ですか?」

 予想と違い、質問を質問で返される。何で今こんなこと聞いてくるのだろうか。もしかして、穴に落下したあと気絶していたのかもしれない。

 日にちを言えば、少年は面白いほどうろたえた。日帰りのつもりが一泊してしまったのだろうと、にやつきが顔に出る。

「二週間も寝てたのか……」

 口の端が引きつる。

 どういうことだ。そこで二週間は明らかに盛ってるだろ。こんな所でよく分からないイキりは止めろ。もうすぐ受験とかもるだろ。いい加減に分別をつけろよ。

 思わず、夏休みが半分もないとぼやく少年の肩を揺する。

「いや、それ以前に、よく二週間もここにいられたね」

「さっきまで、ずっと、寝てたんですよ」

 気を失っていたの間違いじゃなくて? と思わず訊き返しそうになった。

 普通だったら死んでいるはずだ。それが怪我一つなく、身体もピンピンしている。普通だったら体力の低下もあいまって、まともに歩くことすら難しいだろう。

「君、本当に大丈夫?」

頭とか空腹とか。

訊けば、分からないけど腹も空かないし喉も渇いていない。と返ってきた。やせ我慢している様子もない。

 まれに、そういう人がいると聞くが、こんな所でお目にかかれるとは。こんな縁起の悪い所でも来てみるもんだ。

「病院行こうか」

 一応見てもらった方がいいんじゃないかと提案すると、大丈夫ですと頭を下げられたので、いやいや、どっかがどうにかなってたらどうするんだよと若干食い気味に言ってしまう。

「だってほら、草とかすごい生えてるじゃん」

 少年の服の隙間からはみ出た草を引き抜くと、血の付いた根っこが付いてきた。

「……」

 そこでふと、現実には有り得ない妄想をした。彼は人でないのではないかと。

「……」

 少年も目を見開いて俺の手元を見ている。

「……一旦、俺ん家に行こう」

 少年は素直に頷いた。


 少年を後部座席に座らせてからエンジンをかけた。一刻も早く帰宅し、彼を休ませなければ。アクセルを踏んで車を発進させる。

「君、名前は?」

 言いたくないのか、血の付いた根っこがよほどショックだったのか、彼は無言である。

「……適当に呼ぶからね。シダ君」

 さっき彼から抜けた草はシダによく似た物だった。だからシダ君。とても呼びやすい。

「……それでいいです」

 どうでもいいとでも言いたげに呟いて、シダ君は車の中で目を閉じた。眠たそうにしているので、子守唄的な音楽を適当にかける。

 母がよく聴いていた四畳半フォークソング。古臭いし、退屈だから俺はあまり好きじゃない。自然礼賛と現代社会の皮肉が歌われている。都会の歌を歌われたって、それが日常なんだから、何も特別じゃない。日本の端っこから上京した母にはよい曲なのだろうけど。

 都会ではもう見られない、緑で潤った景色を視界の端で流して、一際強くアクセルを踏んだ。車は轟々と音を立てて道路を突っ切っていく。珍しく他の車がいないからいくらでもスピードを上げられそうだ。

 ルームミラーで後ろを確認すると、シダ君は何とも気持ちよさそうに寝息を立てている。二週間も寝てたくせにまだ眠り足りないのか。

 シダ君を乗せてから二時間、俺はパーキングエリアやコンビニには一切目もくれずにひたすら車を走らせた。課題の事なんか、すっかり忘れていた。


 家に着いたのは日がどっぷりと暮れた頃だった。車を駐車場に停めて、ひと息つく。

 都会からは離れているが大学には近い。そんな地域に住んでいる。住むだけなら便利だが、人付き合いや課題を考慮すると不便である。

 飲み会だの食事だのテーマパークだので、貯蓄は凄まじい勢いで削られていく。交通費が財布に痛いのだ。夏休みは特に。長い夏休みをここまで恨んだことはない。

 同級生に言ってやりたいね。てめぇら遊びすぎなんだよ! 飲みはせめて週一にしろ! 二日酔いなんか知るかシジミでも食ってろ! って。

 そんなことはどうでもいい。今は車の中で泥みたいに眠ってる泥まみれの高校生だ。起こしちゃ悪いし、放置するのもなんだから、部屋まで運ぶことにした。

 早速持ち上げてみると驚くほど軽い。デッサンに使う石膏よりも軽かった。健康的な高校生男子どころか、そもそも人の重さじゃない。こいつ本当に大丈夫なのか。

 事情はまた後で訊こう。そうと決まればさっさと運んで課題の続きをやろう。

 まだ寝こけている少年を肩に担いだまま、部屋の鍵を開けた。


 部屋は狭くはないのだが、画材や材料や道具や作品に場所が取られている。仕方ないのでそっと布団に寝かせた。泥が付こうが関係ない。どうせ今日は徹夜になるだろう。

 キャンバスをイーゼルに立て掛け、樹海で見たあの有り得ないけど実際あり得た光景を思い出す。

 シダ君のおかげで、課題は何とかなりそうだ。傍でピクリとも動かずに眠っているシダ君のことをすっかり忘れて課題に打ち込む。

 どうにも手が止まらなかった。彼は樹海の妖精か何かかもしれない。キジムナー的な、アルラウネ的な、あるいはマンドラゴラ的な、そういうものなのかもしれない。いわくつきの樹海のモチーフとしては絶妙に好ましい。

 蛇のように絡み合う木々、ガラス細工さながらに煌めく薄葉、地面に這い広がる深い緑。

 それらに囲まれ浸食された深い穴の中に青白く浮かび上がる少年。足元に落ちる、根が血で潤ったシダ。腹部は丸く赤く鮮やかに抉られていて目を引く。手には木の実を持っている。見たこともない木の実。紫がかった茶色をしており、うっすらと白い筋が無数に伸びている、小指の先ほどの大きさの粒。それから、少年は発光している。穴の様子が分かるのは彼の身体が放つその光のお陰だろう。

 自分でも驚く速さで構図が出来上がっていく。2Bの鉛筆を持った腕は迷いなく線を引いていく。頭の片隅では色の計算まで始まっていた。開いている手は必要な絵の具のチューブを足元に転がして、落ちていた落書きまみれの紙に絵の具の割合を控える。

 下書きが出来上がる頃には汗をかいていた。しかしまだ手は止まらない。パレットに黒と少しの緑を絞り出して混ぜる。薄めてキャンバスに塗っていく。定めた濃淡に従って重ねていく。あの時、この光景を見たと錯覚してしまいそうになりながら、淡々と塗り続けた。

「……ん、」

 人の声。そこでやっと部屋に連れてきた少年のことを思い出す。

「あ、起きたんだね」

 おはようと声を掛ければ、彼はまだ眠いですと言いたげな顔でおはようございますと頭を下げた。

 さて、こいつをどうするべきか。

 何も考えていなかった。

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