第8話 大英雄、遭遇する

「へ?クリュサオルの居場所…?僕が知ってるわけないじゃん」

「へ?クリュサオル?いやー流石の天照大神もそれはわかんねぇぜヘラっちー」

「へ?クリュサオル…ですか?うーん、名前は沢山聞いたことありますけど居場所に関する文献、ありましたかね〜…」

 アタランテと別れた後、すぐに戻ったヘラクレス。ギリシャ神界とは異なる神界の住民なら知っているだろうとロキと天照、ついでに何故か部屋の中にいた結衣に聞いてみたが、やはりというべきだろうか望んだ答えは得られなかった。

「ぬぅ、やはり淡い期待だったか……というより何故結衣さんはここに居るんです?」

「え?天照様から、一緒にゲームしよーぜーって誘われたので!今日お休みですからねぇ」

 帰宅してから気になっていたこと、何故結衣がここにいるのかという疑問が解氷していく。あのパズズ事変以降、本来なら余り関わりを取るべきではない筈なのに事あるごとに一緒にゲームしたり食事をしたりしているのだ、それもヘラクレスの知らない間も。だが、今優先すべきことは別のことだ。

「結衣さん、クリュサオルについての情報は…あまり無いですよね…?」

「そうですねぇ、本当に文献も少ないですし…黄金の剣を持つ巨人ないし怪物である、としか…」

 クリュサオルの謎、それの解明だ。神話に精通している結衣もそれを覆せるような情報は知らない、だがこれは当然とも言えよう。神々が知らないのだ、人が知り得る訳がない。

 振り出しに戻ってしまったな、と頭を抱えるヘラクレス。元来なら知恵の神に教えを乞いたいところだが、知恵の神として知られているメーティスは既にゼウスの手によって同化させられている。ギリシャ神界には存在していないのだ、この事態を解決し得る力を持った神が。

 そんな彼を見て、一言呟く神がいた。

「クリュサオルは知らないけど、それを知ってそうな奴なら知ってるよ?」

 パッと声のする方向を見れば、そこには飲み物を冷蔵庫から取り出していたロキが居た。ロキは続けて、

「まあかなり気難しい奴だし、君は会わない方が良いかもしれないけどね。それでも会いに行く?」

 その問いに、ヘラクレスの答えは一つだけであった。

 

 

 

「ここか…」

 後日、ヘラクレスはロキの紹介された場所──とある店の前にいた。ビルが立ち並ぶ街並みに不似合いな、まるでジャングルを思わせるかのように草木が建物の外壁を覆っている店を見て、一抹の不安を抱くヘラクレス。

 一体何を取り扱っている店なのかすら、外観を見ただけでは分からない異質な様を見て僅かに躊躇う。

 本当にここに求めている情報があるのか…あの悪戯の神を信じて良かったのか…そう思いながら、扉を開ける。次瞬、彼が目にしたのは──本物のジャングルであった。

 熱が、湿度が外と全く異なっているのだ。不快感すら覚える環境に狼狽えつつも周囲を見渡すと、そこには多くの動物─ヘビ、トカゲ、カメ、カエルといった多種多様な種がそれぞれガラスのショーケースに飾られ陳列されていた。

「ここは、ペットショップか…?」

「そうだよ大英雄、そしていらっしゃいませお客様。ペットショップ『コリュンティアス』へ」

 店の奥側から低く陰鬱で、しかしながら透き通った声がする。それを聞いたヘラクレスは、ゆっくりとその声の方を向き、警戒心を徐々に高めていく。店に入った段階では、人の気配はしなかった。ギリシャ神界最大の英雄であると同時に最高峰の狩人として知られるヘラクレスの索敵能力は極めて高い水準を維持している。それを悠々と突破出来る者などそうはいない、ヘラクレスが警戒するのも無理はないだろう。しかしながら、声の主はそんなことを気にも止めずに飄々と続ける。

「ああ、そんなに警戒しないでおくれ。気配を消すのは癖みたいなもんさね。あの腐れ陰キャなペルセウスにしてやられたのが、癪に触っているだけさね」

 ペルセウス、その言葉にヘラクレスは僅かに反応する。自身の祖父にして、神々の怒りにより差し向けられた災厄の怪物ケートスから美姫アンドロメダを救い出した大英雄だ。そして、眼前にいる人物と深い関わり合いを持っている…即ち──

「お初にお目にかかる、メドゥーサ殿」

「堅苦しい挨拶は抜きにしよう、ヘラクレス。貴様の祖父とはそれなりに因縁がある、歓迎してやろう」

 闇夜を連想させる上下黒の服を纏い、真夜中に浮かぶ満月を思わすかのような白銀の髪を無装飾の紐で雑に束ねた長身の美女が店の奥から姿を見せる。

 メドゥーサ。ギリシャ神話において最も著名な怪物、といっても差し支えないだろう。曰く、頭髪は無数の蛇、イノシシの牙に青銅の手、そして黄金の翼を持つ怪物だ。その余りにも恐ろしい姿故に目にした者は須く石に転じさせる、凶悪な魔性だ。

「……」

「何だ、お前のような豪気な男でも口を噤むか。確かにペルセウスと私は殺し合いをしたが、それは魔性と英雄の関係性としては至極当然だと思うが?」

 カラカラと笑いながら、まあその椅子に座れとヘラクレスを促しながら自分もまた同じように椅子に座る。本格的な殺し合いをするつもりは無い、という意思表示なのか敵意や悪意といったものは見られない。だがヘラクレスは警戒を解かず、慎重に椅子に座ろうとして、ふと横を見やる。そこにあったのは…。

 

 【ヒュドラ 幼体 税込19800円】

 

「ちょっと待てえええええええええい!!!!!」

 水槽に入った小さな小さな九つの頭を持つ蛇だった。ヒュドラ、かつてヘラクレスが試練の一つとして突破したものの中で最難関を誇る、不死身の蛇。神すら弑する猛毒をその身に宿し、首を斬り落とせば新たに2つの首が現れる怪物だ。甥の知恵無くして討伐は不可能な存在が、さも当然のように売られているという事実に驚愕してしまった。そんなヘラクレスを見てメドゥーサは再びカラカラと笑い出す。

「何だ、欲しいのか?この前大学生が買っていったが、確かまだ在庫あったよな…」

「いや欲しくは無い、欲しくは無いが流石にヒュドラはダメだろう!?」

「まあ、お前が倒した時の個体になるまで最低でも2000年はかかる。人の寿命とは、案外短いものさ…」

 いやそういう問題では…と頭を抱えるヘラクレス。神代に生息した最悪の怪物が現代で復活すれば、まず間違いなく大規模な被害がもたらされるに決まっている。それに対する対処法をどうにかせねばと思考を巡らそうとするヘラクレスだったが、それはメドゥーサの一言で打ち切られてしまった。

「クリュサオルの居場所、知りたいのだろう?ロキの奴が楽しそうに教えてくれたよ」

 ロキ──北欧神界のトリックスターが事前に知らせてくれたようだが、それに対してヘラクレスはメドゥーサに疑問を投げかける。

「……知り合い、なのですか…?」

 北欧神界とギリシャ神界、本来なら交わることのない世界同士の存在が如何なる縁で結ばれているのか、ヘラクレスはそこを知りたかった。別にやましい考えがあるわけでは無い、トリックスター・ロキが何か企んでいる可能性がある以上問いたださなければならないという考えがあってのことだ。

「へ?うん、この世界のサッカーチームを一緒に応援しててね」

 そして、メドゥーサの答えは案外素っ気ないものだった。なら良かった…と安堵しつつも、改めてクリュサオルのことを聞き出すヘラクレス。それについて、メドゥーサは嘆息しながら倦怠な表情を浮かべる。

「クリュサオルの居場所は知ってる、アレは私の息子だからね……とはいえ、首を切り落とされて流れ落ちた血から産まれた子なんて、ねぇ?」

「…つまり?」

「私にとってクリュサオルとは、いてもいなくても良い存在だってことさ」

 もし仮に、この場に結衣や他の、一般常識を兼ね備えた者が居れば眉を顰めていたことだろう。親としては相応しく無い発言だったが、メドゥーサからすればそれは真実だ。ペルセウスにより切り落とされた頸部からの流血から産まれたペガサスとクリュサオル、そこに縁は確かにあるだろうが親子の縁では決して無い。つまるところメドゥーサは、ヘラクレスがクリュサオルをどうするかに興味を微塵も抱いていない。元々居ないものが、本当に居なくなるだけのことと考えている。

「あいつは此処にいるよ、どうするかはヘラクレス、お前が決めな」

 そう言って、メドゥーサは小さなメモをヘラクレスに渡す。そこには住所が記されており、恐らくクリュサオルの居場所なのだろうと推測出来る。それを受け取ったヘラクレスは、メドゥーサに対し感謝を述べつつ小さく言葉を放つ。

「……私も、かつては1人の親でした。最悪な親ではありましたが、私に出来うる限り、あの子達に愛情を注いだと思っています。たとえ歪であろうと、親と子の関係が過ちであっていい筈がない、そう思います」

「……何が言いたい、大英雄」

「クリュサオルのところに、共に行きませんか?」

 その誘いを聞いたメドゥーサは、目を閉じ吐き捨てるように言う。

「私に、クリュサオルと会う資格なんて無いよ。用が済んだらさっさと帰りな」

 そう言ってメドゥーサはさっさと店の奥に姿を消す。ヘラクレスは、言葉をかけることも出来ずにいた。だが、目的は果たせた。後はアタランテと合流し、メモに記された場所に向かうだけだった。

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大英雄、日本に立つ カツオなハヤさん @hayataro0818

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