第7話 大英雄、困惑する

 アルゴナウタイ。

 それはギリシャ神話における最大の物語、「アルゴー号の冒険」において、英雄イアソンが集めた古今無双の英傑達による冒険隊にして、荒くれ者の大集団。

 ヘラクレス、ポリュデウケース、カストール、テセウス、オルフェウス、カイニス、ペレウス。総じてギリシャ神話において著名な英雄達が集った冒険隊だが、ただ一人女性が乗っていた。

 その人物の名は、アタランテ。牝熊と狩人によって育てられ、女神アルテミスを信仰した俊足の狩人である。

 そんな彼女は、今──


「……なあ、本当に大丈夫か……?」

「だ、大丈夫だ。最近仕事が忙しくてな……眠れてないだけだから……」

 目に物凄いクマを作り、船を漕ぎそうになりながらヘラクレスの目の前に居たのであった。


 美しいセミロングの金髪を簡素なゴム紐で後ろに束ね、スーツを着る美しい女性がいた。

 女性としては高身長で無駄な脂肪は存在せず、引き締まった肢体はスラリと長く細く、だがそこにある種の力強さを感じさせている。その様は野生に生きる獣を思わせるようで、彼女の美しさをより際立たせて魅せている。尤も……

「久しぶりの再会だというのに、お前さん……そんな不健康な生活スタイルじゃなかっただろう」

「いや、まあ……うん……」

 遥か昔、共に巨船アルゴー号に乗り冒険をしていた頃の彼女と今目の前にいる彼女を比べればその違いは一目瞭然だろう、少なくともまともな睡眠と食事を取れてないのは確実で。

 そんな彼女を見て、居ても立っても居られずに料理を注文していく。今回のクリュサオルの討伐に協力してもらうのだから、これくらいはやらねばとの思いからの行動であった。そして届く料理を目にして、

「……良いのか? こんなに食べて……? ひ、久しぶりにマトモな食事にありつける……!!」

 目をキラキラさせながらパクパクと食べ始める。一体普段はどんな食生活を送っているんだと、不安になってしまうほど。そんな状況に一抹の不安を抱いたヘラクレスはアタランテに問う、

「全く、普段は一体何を食べているんだ?」

「んむんむ、む? 普段か……普段はゼリーだったり、カロリーメートだったりだな……こんなに美味しいご飯は向こう以来だ……!」

 ヘラクレスの予想通り、マトモな食事は摂っていなかったようだ。だがその答えは、もう一つの疑問をヘラクレスに抱かせる。

「少なくとも、私より先にこちらに来ていたのだろう? 金は何に使っているんだ、少なくともこうして会える時間がある以上食事を摂る機会は山ほどあると思うのだが……」

 そう、金である。少なくともアレスの口振りから察するに前々からここに来ていたのだろう、何よりアタランテの服がスーツ……つまるところ真っ当な職に就いているということだ。稼ぎは今のヘラクレスを優に超えているだろう。

 だが、アタランテの答えは意外なものだった。

「まあ、基本は貯蓄しているが……基本はパルテノパイオスの養育費……というのも何か違う気がするが、まあアイツのための金に当てている」

「パルテノパイオス……ああ、確かテーバイ攻めの七将の一人か。お前の息子だったよな」

 パルテノパイオス。ギリシャ神話における物語の一つに、テーバイ攻めの七将というものがある。王位を巡った兄弟の凄惨な殺し合いの悲劇であるが、その中でテーバイを攻め落とさんと攻撃を加えた将軍の一人がそのパルテノパイオスである。母にアタランテを持つものの、父は定かではなく複数の説が存在する。その内の一つに、アレスを父親とする説もあるのだ。それならアタランテとアレスが協力関係にあるのも納得だなと、ヘラクレスは得心し、そしてアタランテがかつてとは違いきちんと母親らしくなっていることに安堵する。そんなヘラクレスに気付くことなく、再度食事に専念するアタランテ。取り敢えず、話し合いは終わってからだなと、ヘラクレスも注文した自分の食事を食べ始める。



 暫くして、食事を終えた二人。

「さて、クリュサオルの件についてだ。アタランテ、何かわかることはないか?」

「残念だがさっぱりだ、一ヶ月ほど前から調べてはいるのだが……少なくとも、この街の何処かに隠れているという事はないな。奴は巨人と言われている、生半可な方法では隠れ切ることは出来ないだろう」

「ふむ……」

 ギリシャ神界に伝わるクリュサオルの文献は、実のところかなり少ない。曰く、メドゥーサの血が海に交わったところで産まれた黄金の剣を持つ巨人、もしくは黄金の剣そのものである。曰く、多くの怪物の祖である、と。

 何処で、誰に、どう倒されたのかが一切判明していない。神々の側も似たような状況だ、つまるところ……。

「どん詰まりだな、いくら何でも手掛かりが少なすぎる」

「同感だ。実際のところ、奴の情報が無い以上動きようがない……どうする、他の神に加護を乞うか?」

「その神々も、状況を……把握……」

 アタランテの提案を退けようとした、その瞬間。ヘラクレスはふと疑問に思う。 、と。

「アタランテ、アレス神はクリュサオルの情報を何処で知ったか言っていたか?」

「確か、北欧神界からのタレコミがあったと聞いたな。何でもサッカー友達とか言っていたが……」

 その答えは、ヘラクレスからすれば正に助け舟と言えるものだった。

「分かった、北欧神界だな? そこには伝手がある、後ですぐに確認する」

「おお! 流石はヘラクレス、他の神界とも繋がりがあるとは恐れ入る。情報が分かり次第、すぐに連絡をくれ。こちらの方でも調べてみよう」

「分かった」

 ギリシャ神界で分からずとも、他の神界なら事態を把握している可能性が浮上してきたことは、正に僥倖だ。そうと分かれば話は早い、速やかに戻りロキと天照にも協力を仰ぐとしよう。

 二人は揃って立ち上がり、お互いの成すべきことを成すために店を出る。


 なお、その時ヘラクレスは来た店がサイゼリヤであったことに感謝した。アイツ、どれだけ食べたんだ……! と内心文句を言いつつ、安くはない金額を払ったのであった。




 そして、二人が別れるその直前に、ふと気になることがありヘラクレスはアタランテに問いかける。

「ところで、アタランテは今何の仕事をしているんだ?」

「ん? ああ、アルゴーマートのSVだ。元々、私がここに来た理由が、あのイアソンの馬鹿が日本でコンビニ事業に参戦するって騒ぎ出したからな……放っておくと碌なことを仕出かさないからな、昔の馴染みで見張っていたんだ」

 その答えに、ヘラクレスは「ん?」となる。イアソン、懐かしい名前を聞いた。だが今はそれどころではない。

「……この街のか?」

「当たり前だろう?」

「山入西口店のか?」

「な、中々に詳しいな。近くに住んでるのか……?」

「いや、私も今そこでバイトとして働いていてな……」

「……」

 同じ街に来て、関連ある職場で働く。一体、どんな神の下の運命なのだろうか。二人は揃って溜息を吐き、呟く。

「世界って、案外狭いな……ヘラクレス」

「だな……」

 世界は、昔思っていたほど広くはなかったようだ。

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