ギリシャ神界編

第6話 大英雄、再会する

 そこを端的に表現するならば、赤だった。

 如何なる手法で染め上げたのだろうか、一切の混じり気の存在しない真紅の布地に金銀プラチナを糸に変質させた物で装飾を施された見事な絨毯とカーテンがそのような印象を抱かせているのだが、その本質は全く異なるものが原因だ。

 それは只管に広がる炎と、それに包まれる屍の塔。即ち、戦場である。

 無数の屍は総じて剣、槍、斧を始めとした凶器が突き刺さっているその姿は凄絶な殺し合いの果てに死していく様がありありと目に浮かぶだろう。

 無数の怨嗟と殺意が炎と共に揺らめき、今にも屍が動きだしそうな雰囲気を醸し出す館。

 それは最早地獄と称しても何らおかしくないこの場所だが、それは違う。ここは天上の界、神が住まう館である。人が死ぬ狂乱の戦場、それを住まいにする神などこの世に一柱のみであろう。

 軍神アレス。戦争の神にして、闘争の狂乱を司る神である。

 そして、戦場を館にするその主人は今──



「よしよしよし!そこだ、そこだぁ!!」

『shoooooooooooooot!!!!』

「いよおおおおおおおし!!!」

「お、おー?」


 大英雄と共にサッカーの試合を全力で楽しんでいたのであった。



「ふぅ、良い試合だったなヘラクレス…!」

「え、あ、うん。いや、そうなのか?」

 部屋の中央に置かれていた巨大なテレビ、その前に居るのは二人の巨漢であった。片方はお馴染みヘラクレス、もう片方は端的に言ってイケメンだった。短く切り揃えられた美しい金色の髪、ヘラクレスにも劣らぬ鍛え抜かれた大理石が如き肉体、そして極め付けは世の女性全てを魅了しかねないような、尋常ならざる域にまで到達している端正な顔付き。

 この男こそ、軍神アレス。オリュンポス十二神に連なる一柱にして、神々の王ゼウスと神妃ヘラの息子。即ち、オリュンポスの中において最も高貴な血筋を持つ神である。

 試合に熱中していたのだろう、仄かに熱気を帯びていた髪をプルプルと振るわせてその熱気を掻き消していく。

 紅蓮燃え盛る戦場の中でサッカーの試合を観戦していた二人は、まるで親友かのように語らっていた。事実、ヘラクレスとアレスの父親は共にゼウス──謂わば異母兄弟と言えよう。それに加え、過去に些細な行き違いがあり激しい殺し合いに発展したこともあった。それ以来、二人はこうして共に鍛錬に励んだり、遊ぶようになったのだ。

 だが、ヘラクレスとしては現状のアレスに対して驚きを隠せていない。何故なら、

「ったく、ヘラクレスよ。お前はちと硬すぎるぞ?人を知り、人と共にあると願うなら人の営みをよく知ることだ。確か今日本に居るんだよな?漫画は良いぞぅ、あれもなかなか良い闘争だ」

 オタクと化しているからだ。映画、漫画、小説ゲームetc…。地球上に存在する娯楽の大半が、アレスの館に収められているのだ。現にアレスも、かつてはエクソミスと呼ばれる服を纏っていたのだが今はどうだろうか、よくわからないアイドルがプリントされている服とジーンズを履いているのだ。これが軍神のあるべき姿か…?となってしまうのも無理はないだろう。

 そんなヘラクレスの心情に気付くことなく、アレスはポテチをパリパリと食べながら新たなサッカーの試合を観戦し始める。

「多くの者達が自らの手で新たな世界を描く、だがそれは描き終えれば必ず賞賛が来ることは決して無い。故に己が魂を尽くして進み続ける……うむ、俺好みの闘争だな。俺漫画の神に転職しようかな…」

「やめてくれ、元軍神の漫画の神とか誰が信仰するというのだ。それで、如何なる用事で私を呼んだのだ」

 そもそも転職出来るのか?という疑問は置いておく。これ以上アレスの愚行を見届けるのはある意味辛いのだ、ヘラクレスは此処に呼んだ理由を問う。その問いを聞き、アレスも思い出したかのように手を打って、

「おう、そういえば呼んだの俺だったな。すっかり忘れてたわ許してくれ!」

 ガハハと笑い出す。アレスはオリュンポスの神々の中でもかなりアホの部類だが、まさか呼んだことすら思い出せなくなるとはヘラクレスも思っていなかったのだろう、ポカンとした表情でアレスを見やる。その視線に気付き、頭を掻きながら言葉を続ける。

「簡単に言うと、今お前がいる街にある怪物が潜んでいるという情報を手に入れてな。まだ動いてはいないが、動き出せば確実に厄災となる。よって、お前に今のうちに叩いて貰おう!ということだ」

「怪物だと?そんな気配は無かったが…いや、パズズの件もある。用心に越したことはないな…分かった、こちらの方でも動くとしよう。それで…その怪物というのは?」

 先のパズズ襲来でも、気配を感じることなく突如として現れたのだ。怪物達が何らかの形で気配を消す手段を持っていると仮定するならば、件の怪物も持っていると考えて良いだろう。

「それで、その怪物というのは何なのだ」

 アレス直々にヘラクレスへの依頼、それ即ち並の英雄では打倒出来ないような怪物であることには違い無い。そんなヘラクレスの予想は、悪い意味で的中する。

「クリュサオルだ、奴が現れた」

「なっ…!?クリュサオル、だと…」

 クリュサオル。またの名をクリューサーオール。世界の西の果てにあるとされる、形のない島。そこに住んでいたゴルゴーン三姉妹が一人、メドゥーサの息子とされる怪物である。

 金色の剣を持つ巨人として知られるクリュサオルは、多くの怪物達の祖と呼ぶべき存在だ。海を統べる巨神ティタンオケアノスの娘、カリロエーとの間に三つの上半身と三つの下半身を持つとされるゲリュオーンとかの有名な不死身のニョロ怪エキドナをもうけ、更にその血筋はケルベロス、オルトロス、ヒュドラ、キマイラと言った後世にも伝わる怪物達を産み出していった。

 その多くを倒してきたヘラクレスだが、クリュサオルは戦ったことはおろか出会ったことすら無い。それはアレスもまた同じ、驚きを隠せないヘラクレスに対しアレスは続けて言葉を放つ。

「かつて奴はエキドナとクリュサオルをカリロエーに産ませた。問題はその後だ、。名前も子供も知っている、だが奴自体は誰も知らない、未知の怪物と言って良い」

 それは、何よりも恐ろしいことである。仮にこれがかつて誰かに倒されていた怪物であるなら、その時の対応を学び、楽に倒せるだろう。だがクリュサオルは誰とも戦っていない、如何なる能力を持っているかも分からないのだ。故に対策の打ちようが無い。だからこそ──

「だからこそお前なのだ、ヘラクレス。十二の試練を乗り越えた大英雄なら、奴の持つ力を突破して打倒出来るだろう」

 ──だからこそ、ヘラクレスなのだ。十三の承器を持ち、圧倒的なまでのを兼ね備える彼であるならばと、アレスは確信している。彼の眼差しが全てを物語っている、かつて本気の殺し合いをした大英雄のその強さへの信頼。それはヘラクレスもまた同じ。義兄弟にして死闘を繰り広げた軍神の信頼を裏切れようか。よって、返答はただ一つ。

「分かった、このヘラクレス。我が全てを賭けてクリュサオルを討伐してみせよう」

 自身の胸をドンと叩き、軍神に宣誓する。そうと決まれば速やかに戻り、情報を集めねばと立ち上がるヘラクレスにアレスは

「感謝する。それで今後のことだが、念の為だが協力者を用意しておいた。奴と協力して事に当たってくれ」



「それは有り難い、感謝する」

 その言葉を若干後悔するのは、数日後であった。


 後日、とあるレストランにて。

 アレスから、ここで協力者と合流してくれとのメッセージを受け取り来たヘラクレス。そしてすぐに協力者と出会えたのだが、

「……なあ、大丈夫か…?」

「だ、大丈夫だ…ちょっと眠れていないだけだから…うん」

「取り敢えず寝てくれ……アタランテ」

 目の前に居たのは、くたびれたスーツを身に纏い目の下に刻まれたクマが陰鬱とした雰囲気を出させている、かつて共に冒険を繰り広げた女狩人の姿であった。


 どうしてこうなっているんだ?



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