第5話 征け英雄よ、いざ魔を討たん

 厄災─

 それはどうしようもない絶望にして、人々が願う平穏なる明日を奪い尽くす悪夢。

 はるか古の時代、人々は迫り来る脅威に対抗することすら許されず、神へ祈るしか無かった。

 魔女の嫉妬により産まれた乙女の残骸スキュラ九つの首を持つ不死身の毒蛇スキュラ、無知なる者を喰らう人頭獅子スフィンクス、挙げてしまえばきりがない程の怪物達が跳梁跋扈する世界に、安息の地は存在しなかった。


 だからこそ、その背に人々は希望を見出したのだ。凡ゆる魔を打ち砕く、大英雄の力に。






 迸る悪意と殺意の奔流が街に落ちてくる。

 微細な砂塵がまるでミキサーのように超高速回転を行っており、一度呑み込まれてしまえば街の全てが塵に帰り、生きとし生ける者は悲鳴をあげる暇も与えられずに、骨の欠片すら残されないだろう。

 そのような滅殺の嵐を前にして、二柱の神は唖然とするしか無かった。

「な、んじゃこりゃ…」

「いやぁ……予想以上にヤバいねこりゃ」

 青空も雲も無く、只管なる砂の蓋が広がる天を見上げる天照とロキ。

「ねえロキっち、街一つ消える現実って無かったことにするのは…」

「無理無理、規模がデカすぎる。せめて村単位じゃないと……てかこの砂嵐も現れたっていう現実は消せそうにないなぁ」

 最早ロキの神威でもどうしようもできないという答えに、天照は歯がみをする。天照の有する神器、その内の一つを行使すれば砂嵐は確実に消え去るだろう。しかししまうだろう。

 よって動けなくなる、そして動けない以上事態はより深刻となる。その事実が二柱の神の精神を蝕んでいく。

 だが、ああやはり。この現状を打破し得るのは、この男しかあり得ないだろう。

 突如迸る新たなが山入市に落ちる悪意を打ち砕かんと吼え、その元凶を滅ぼさんと神の意志が煮え滾る。

「良いぞー、やっちまえー!!」

「後でケーキ買ってくるから、祝勝会開こうねー!!」

 その波動を感じた二柱は、その神に向けエールを送る。そこに先程までの絶望は無い、有るのはただ一つ──勝利の確信のみ。



 時は少し遡る。

 迫り来る破滅の権化を前にして、ヘラクレスは握り締めていた棍棒を手放す。棍棒は当たり前のように重力に従い、地面に落下しめり込む。

 その様を見て、

「んだよヘラクレス。何もしねえで諦めるってか?傑作だなァ、さっきまで全力で『殺してやるー』とか言ってたのによォッ!!!」

 ゲラゲラと笑うパズズ。当たり前だろう、先程まで激しい戦闘を繰り広げていた英雄が自ら武装を捨てたのだから。

 もう既に、ヘラクレスに闘志は無い。そう判断したパズズはただただ笑い続ける。

 その姿を見て、武器を捨てた男は呟く、

「そうだな、これは英雄ヘラクレスには無理だ。いくら私でも、滅びをどうこう出来るような力は生憎持っていない」

 天を見上げながら、左腕を掲げる。まるで、何かを掴もうとしているかのように──

「よって、ここからはとして動こう。地上に蔓延る怪物よ、悔悛の時は既に過ぎ去った。己が滅びを受け入れろ──神器降臨『女神の栄光ヘラクレス』」

 それは天より落ちて来た、

 それは雷光を纏いしもの、

 それは白き腕の神の威光、

 それは黄金の御座の神威、

 神々の王とその妃の加護が込められし、至高の神器がヘラクレスの下に馳せ参じる。

 それは、弓だった。淡く金色に輝きつつも華美な装飾の無いシンプルな代物。だがそこに宿る神威は苛烈そのもの、目にした者達に神が織りなす奇跡を信じさせる程の神々しさを周囲に


 ヘラクレスが手にした弓を、パズズは驚愕の表情で見つめ、そして叫ぶ。

「何故だ、何故貴様が…!!?」

 それは元来、あり得ないことだった。神器は神へ向けられる信仰が結晶となったもの、即ち如何に半神半人であろうと神器を獲得するのは不可能なのだ。だが…。

「やはり貴様は無知だな、もう少し勉強しておけパズズ。一応、私もオリュンポスに連なる神の一柱なのだぞ?」

 そう、ヘラクレスはその中でも例外に属する。

 神話に曰く、ヘラクレスはその死後オリュンポスの神々の末席に加わり、神として信仰されたという。ならばこそ、信仰の結晶たる神器を手にしているのも納得だ。

「……ふざけんな、なら…なら…!」

 その答えにパズズは動揺を隠せない、だがそれ以上にパズズは。今目の前にいるあの英雄─否、英雄神ヘラクレスの存在が、先まで感じなかった自身の魂魄を根こそぎ粉砕させる程の圧を発している。指先一つ動かせない、まるで蛇に睨まれた蛙のように魂レベルの天敵が現れたのだと、肉体が判断している。

 そんなパズズを尻目に、ヘラクレスは行動を開始する。

「さて、では始めようか。平穏なる民草を滅ぼす厄災を祓おうか」

 どこからともなく現れた光の矢を、弓に番える。

 迸る烈光、溢れる神威が形となり邪を滅するべく始動する。



 ──ヘラクレスは、如何なる神か。

 その問いに答えられる者は少ないだろう、何せヘラクレスは英雄、人としての物語の方が知名度も高くそれ故に語られやすい。

 だからこそ、その信仰は正にヘラクレスであると言えるだろう。

 多くの魔を打ち倒し、多くの敵を打倒し、神界と人界を守護せしめた大英雄。ならばこそ、人々は彼に祈りを捧げる。

 どうか──我等に仇なす禍を祓って欲しい。


「この天地の狭間に生きる多くの民達よ、助けを求めよ。その声聞こえし時、我が弓我が栄光が必ずや迫りし邪悪を射ち祓わん。神威顕現──『|征け、怪力無双の大英雄。討ち払う邪悪は目の前に《ヘラクレス・インヴィクティ・アラマクシマ》』」


 ヘラクレスの神威、それは人に仇なす怪物、魔、厄災を討ち滅ぼす光を司るもの、即ち破邪顕正に他ならない。

「何だそれは、何だそれはァ!!」

 迸る破魔の力に怯えるパズズ、だがヘラクレスの狙いは今はパズズでは無い。狙うはただ一つ、迫り来る破滅の嵐だ。英雄では敵わなくとも、神であるなら話は別だ。

 パズズの叫びに、ヘラクレスは静かに答える、

「決まっている、これは──」

 破滅すら滅ぼす英雄の光が遂に放たれる。

「人々を守る光だ」





 私はその日、不思議なものを見ました。

 天から地に落ちる巨大な砂嵐を、そしてそれを吹き飛ばす地から天に昇る光の柱を。

 それはとても暖かで、優しい光でした。

 でも私は、それを見てあの人のことが脳裏に浮かんだのです。

「……ありがとう、ございます……大さん」

 そして、感謝を。ありがとう、この街を救ってくれて、心優しい英雄さん。





 放たれた光の矢は一本のみ、ただそれだけで文明を消し去った嵐は消失した。それを見届けることなく、パズズは決断する。逃走という苦渋の決断を、

「逃げる、それしか道はねぇ…!メソポタミア神界に逃げ込めば、奴も追ってはこれな」

 だが、それは叶わなかった。

 神たる力を解放したヘラクレスより逃げることなど、女神の加護を受けた神鹿ですら不可能だろう。

 遥か遠くに飛び去るパズズに向け、再度光の矢を放つ。その数は数千を優に超え、その全てがパズズに飛来する。

「やめ、やめやめやめろヘラクレスゥゥゥ!!!わ、わかったもう此処には来ない!二度と手出ししないから、助けてくれッ……」

 助けを乞うパズズに向け、ヘラクレスは冷たく突き放す、

「もう遅い、さらばだパズズ。あの世で精々反省しているが良い」

 迫り来る光条弾雨レーザーレイの一発がパズズの翼を撃ち抜き、続けて無数の矢がパズズを粉砕していく。そして、断末魔をあげる暇もなくパズズは消え去った。後に残ったのは、風と砂のみだった。


「何とかなったか……さて、結衣さんのところに戻るか」

 神器を消して、ヘラクレスは天を見上げる。雲一つ無い無窮の天が、そこに広がっていた。




 山入市で起きた英雄と魔王の激突、その影響はほぼ皆無であった。ロキの神器による干渉はその戦いが起こした傷跡を跡形もなく消し去っていた。

 パズズの病に蝕まれた人々も、熱中症による搬送という形で世界に刻まれた。

 パズズは何も残せず、ヘラクレスもまた残さなかった。ただ一つ──


「あの時、変な鎧を纏った男から助けてくださったの大さんですよねっ」

「いや、その…あれは何と言いますか……熱中症が見せた幻覚では…?ハハ…」

「いいえ、あれが幻覚なわけ無いじゃないですか…!!」

 ヘラクレスと共にパズズと相対し、病に蝕まれて倒れてしまった結衣を除いて。

 ヘラクレス、天照、ロキが住まう賃貸住宅にて詰め寄る結衣と戸惑うヘラクレスを見て、二柱の神はヒソヒソと話し合っていた。

「ねーロキっちー、これ何があったん?神器失敗した?」

「かもしれないねぇ、僕の神器ってあやふやな出来事を確定は出来るけど、強い確信があった奴だと上書き出来ないから。多分彼女、ヘラクレス君の承器か神器使ってるところ見ちゃったんじゃないかな?」

「あーなるほろねー」

 それはヘラクレスも予想だにしていなかった出来事であった。どのタイミングかは分からないものの、彼女に知られてしまったのだ。

 絶対なる確信を彼女は抱いている。そうなってしまえば、神の魅せる幻と言えど上書き出来ないということだ。

「助けてくださった恩人に、感謝を伝えず何が人間か!!です!」

「いやですからそれは結衣さんの勘違いですって!私なんかそんなこと出来っこ無いですよ…てか、結衣さんどうやってここの住所を知ったんですか!」

「事情を説明して店長から教えてもらいました!」

 そう言われてヘラクレスの脳裏に一人の男性、ふくよかな体型をした人の良さそうな老人を思い浮かべる。あの人めぇ…!個人情報の管理を怠っているのか…!と、内心叫びつつ、さてどうしたものかと天照とロキに視線で助けを乞う。だが、神は助けを出さなかった。

「もう諦めなよヘラっち、無理無理」

「僕もそれに賛成かな。本気でどうこうするなら、彼女殺すしか無いよ?」

「とのことです!」

 直後、ヘラクレスさらっと殺害提案を出したロキを睨みつけ、半身を乗り出して庇う。

 その姿を見て、ロキは得心する。ヘラクレスは彼女を守ろうとするだろう、例え世界を滅ぼす破壊の神が相手であろうと。

 故に彼を相手取った上で彼女を殺すのは不可能だろう、ならば排除するのでは無く、

「我が名はロキ、北欧神界における原初の火を司りき悪戯の神。どうかこれからも仲良くしてほしいな、神原ちゃん?」

 そう、排除できないのなら神界側こちらがわに引き込めば良い。人として何も知らないままの生活を送ることは二度と出来ないが、仕方ないだろう。放置することもまた出来ない以上、手元に置いておいた方が彼女の為になるだろう。

 そう判断しての行動だったが、

「やはりあのロキ神でしたか…!となるとそちらの方はもしかしてシギュン神…!?」

 そんなことお構いなしにロキに詰め寄る結衣、そして隣にいた天照を神話におけるロキの伴侶かと勘違いするのだが、

「いやいや、私はしがない太陽神の天照でーす。よろぴくね結衣っちー」

「まさかの天照大神!?え、ちょっとサインくださいあと色々御二方にお聞きしたいことがあるので質問タイム設けさせてもらえませんか!!?」

「うーん、もしかして僕しくじったかな?」

 目の前にいるのがあの天照大神とロキであると知った彼女はその興奮を抑えることが出来ていないのか、鼻息を荒くして。

 その三人のやり取りを一人ぽつんと見つめるヘラクレスは、ため息を吐いて、

「本当に、どうしてこうなったんだ…?」

 自らの今の現状を憂い、ただただ嘆くのであった。






 山入市の西側に広がる、広大な森。

 多くの動植物が生息しており、自然豊かな土地として知られているその場所に、満月に照らされている巨大な影があった。

 その影は、遠くに見える都市をじっと見つめていた。その瞳に宿る感情は何なのか、それは誰にも分からない。ただ一つ、分かることと言えば──


「全てを、終わらせよう」

 その影は、パズズにも匹敵する程の悪意と暴威を兼ね備えていることだけだった。言葉を放つ、ただそれだけで草木が枯れて動物達は逃げ去っていく。

 新たな邪悪が、訪れる。

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