12 冷たいのに熱い


「それで、何だってそんなこと聞いて来たのさ」


 ずっかり氷乃ひのにペースを乱されてしまったが、服はもう拭いてもらったし。


 何も問題はない。


 ここからは落ち着いて対応できる。


「さっき答えた」


「“小説のため”ってことは、実際に経験してみたいってことなの?」


 やられっぱなしも癪なので、今度はあたしが深く入り込んでみる。


 どうせお互いないもの同士、どこまで行っても変な展開になりようがないのが分かって安心して攻める事が出来る。


「さあ、自分が実際にしたいかと問われれば、何とも言い難いわね」


「へえ、さすがに氷乃もそこには及び腰になるんだ」


 あたしの前では随分と高飛車なご様子だが、そういう所は女の子しているらしい。


「さすがにって何かしら。誰だって初めては怖いでしょ」


「あー怖いんだぁ」


 なるほどなるほど。


 氷乃はそういう行為を怖がり嫌がっているらしい。


「……随分と煽るような物言いね、お互いに似たような境遇なのに」


「うーん、でもあたしは怖いとかはないよ?単純にそういうきっかけがないだけで」


 やはりというか、何と言うか。


 あたしたちは同じようなポジションにいても、その心の在り様は全然異なる。


 あたしと氷乃はいつでも対象的だ。


「つまり、今すぐ脱ぎたいと?」


「……なんでそうなる」


「そうにしか聞こえないわ」


「そうじゃなくて、好きな人相手ならそういうことしてもいいかなって思うってこと」


 求められるなら応えたいというのが女心というものだ。


 自分から進んでしたいとまでは思わないが、好きな人相手ならそういうことをするのに抵抗を持っているわけでもない。


「……思った以上に普通の恋愛観のようで驚いたわ」


「もうちょっと言い方あるだろ」


 なんで普通のことなのに、悪いことをしたような物言いされてるんだ。


「いえ、あなたはもっとおかしい人だと思っていたから」


「あー、はいはい。どうせノートの匂いを嗅ぐような変態ですよ」


 そのくだりはいい加減、聞き飽きたのだよ氷乃。


「それもあるけど。それより、あなたは可愛いのにいつも一人でいるし、経験もないと言うのだから相当変わった観念を抱いていると想像したのよ」


「……ん?いま、なんて?」


「……? 歪んだ思想の持ち主だと」


「そこじゃない、あと言い方変えるな」


 なんで後半部分を、より尖った言い方に置き換える。


「今、可愛いって言った?」


 聞き間違いの可能性が大いにあるが、そんな単語が耳に飛び込んだのだ。


「ええ、言ったけど」


「誰が」


「この場にあなた以外がいるなら聞きたいわね」


「……えっと」


 いや、なにを冷静に本人を目の前にそんなこと口走ってるんだこの人。


 ていうか、氷乃が可愛いとか発するの初めてじゃないか?


 ああ、待て待て。


 ちょっと焦って来ちゃった。


「氷乃ってコンタクト?」


「裸眼よ」


 どうやら視力低下で人相が変わって見えているわけではないようだ。


「一体何をどう見たらそんな感想になるんだか……」


「ありのままを評価しただけよ」


「いやいや、そんなこと言われたことないし」


「見た目が派手なことを言われやすかったのね」


 氷乃は努めて冷静に、いつも通りのテンションで淡々と述べる。


 ただその内容があたしに対する容姿の評価というのが違和感がありすぎて……。


 いや、事実かどうかはこの際どうでもよく。


 氷乃はあたしのことをそんなふうに見ていたのか?


 あの小憎たらしい物言いからではギャップがありすぎて反応に困ってしまう。


「そもそも小説の対象にするのだからそれなりに容姿が好ましい人を選ぶのは当然でしょ」


「……知らないし、そんな常識」


 当然のことよ、みたいなテンションで言ってるけどさ。


「じゃあもっと自覚するべきね」


 ふん、と鼻息を鳴らすように言い切る。


 ……そうか、そうか。


 氷乃の目にはあたしがそう映っていたのか。


 へー、ふーん、あっそう。


「……」


「……」


 あたしは足先をパタパタさせながら、間が持たずにカップに残っていたコーヒーに口付ける。


 苦くてしょうがなかった液体は、今はまるで味がしない。


 舌が馬鹿になってしまったようだ。


 理由は察してもらいたい。


「分かりやすく落ち着きがなくなったわね」


「そ、そう?」


 まあ、なんせ人に褒められることはあまりないのでね。


 相手が氷乃とは言え、素直に喜んでしまうのと同時に照れてしまう。


 いや、照れるってなんだ。


 喜ぶ反応は普通だと思うが、照れはおかしい気がする。


 こんなに体を熱くしてしまうほど反応するって何だ?


 よく分からなくて、足先の動きばかりが加速していく。


「……本当に落ち着かない人ね。もっとじっとしたらどうかしら」


 そうして氷乃があたしの足の動きを止めようと、腕を伸ばしてくるんだけど……。


「だ、大丈夫だからっ!」


 思わず声を張り、足も折り曲げてしまうような過剰な反応をしてしまう。


 いや、いま触れられるとあたしの体温が氷乃に伝わりそうで嫌だった。


 だって恥ずかしいじゃん。


 いや、これも変なのか?


 体の熱さくらい、知られたっていいことなのか?


 ダメだ、普通が分からない。


 とりあえず今のあたしが普通でないことだけはっきりしている。


 しかし、ここは氷乃の部屋。


 どこにいたって氷乃の手が届く範囲。


 それに急に居心地の悪さを感じ始める。


「か、帰ろうかなっ」


「……来たばかりじゃない」


 なぜもう帰る?と非難めいた氷乃の視線が突き刺さるが、今のあたしにとってそれよりもこの状況から脱することの方が大事だ。


 ずっとここにいると、何かがおかしくなるような気がする。


 とにかく、あたしは立ち上がって鞄を手に取る。


「話があるなら、また学校でしようっ」


「今ここですればいいと思うのだけれど」


 無理ですっ。


 今のあたしはそれが出来ないんですっ。


「じゃあ、また明日っ」


「え、あ……」


 氷乃の声を背中に残し、あたしは部屋から飛び出す。


 あたしの中の何かがおかしいことになっている。


 きっと氷乃が変なことを言うからだ。


 いつもクールな氷乃によって、体中に熱が巡っていくなんてどうかしているとしか思えない。


 

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