11 制服を脱げとか言われても


「なっ、何がなんだって……?」


 氷乃ひのが、突然変なことを口走ったので思わず動揺してしまった。


 今も絶賛混乱中だ。


「それより、早く拭くわよ」


 しかし、氷乃はそんなあたしの動揺を無視して、近づいて来る。


「えっ、ちょっとなにっ」


「ちゃんと拭かないと、シミになるし匂いも残るわよ」


「だからってなぜボタンに手を掛けるっ!?」


「脱がないと裏まで拭けないわ。沁み込んでいないとでも思ってるの?」


 いやいや、そうかもしれないけどっ……。


「なんで氷乃がそこまでするんだ」


「……?私が用意したものが口に合わなかったのでしょう?なら責任は私にもあるわ」


 責任感から来る行為だったのか。


 口に合わなかったというのは確かに事実だけどっ、しかしもっと大きな事実を見逃している。


 しかし、それに言及する前に氷乃の手がせっせと動いている。


 気付けばブレザーのボタンを外されていた。


「え、ええ、ちょっと……!?」


 しかもそのまま肩に手が置かれる。


 こ、これはっ。


「何よ、早く脱ぎなさいと言っているでしょう」


「わ、わかった、わかったから、自分で脱ぐから手を離してっ」


 ぐいっと身をよじって氷乃の手から離れる。


 服を脱ぐくらい、自分で出来る。


 わざわざ氷乃の手をわずらわせる必要はないし、何より脱がされると変な気分になりそうだ。


「変な人ね。制服を脱がすくらいで騒いだりなんかして」


「……うるさいな」


 こっちは少なからず身の危険を感じてるのっ。


 冷静に考えて欲しい。


 氷乃は口調も態度もクールで素っ気ないが、その頭の中は恋愛小説の物語がいつも紡がれているんだぞ。


 それも、あたしをヒロインに。


 そして――


『ところであなた、男性経験はあるのかしら?』


 ――とか聞いて来たんだぞ?


 そんな相手にいきなり服を脱がされてみろ。


 反応しない方がムリじゃないか?


 それなのに、氷乃ときたら冷静な表情でいつものように対応しちゃって……。


 あたしを試しているのか、素でやっているのか判断がつかない。


「ていうか、あたしが自分で拭くから。タオルだけ貸して」


 そうだ、冷静に考えればそれで済む話だ。


 氷乃の行動にパニクってしまって冷静な判断が出来ていなかった。


 あたしは腕を伸ばして氷乃からタオルを求める。


「……あら、あなた」


 タオルを貰うだけのはずなのに、握られている。


 氷乃にあたしの腕を握られている。


 そのまま力強く引き寄せられた。


「ええっ、ちょっ、まだなに……!?」


 怖い怖い、制服の次は何なのよ。


 氷乃はあたしの胸のあたりを凝視しながら、体を寄せてくる。


 こいつ、やっぱりそういう目的で……?


「動かないで」


 氷乃が腕を伸ばしてくる。


 そ、それも、むっ、胸に……!?


「ちょ、ちょーっとストップ!いきなりそれは早いんじゃないか!?」


 そう言えば、ここは一人暮らしの部屋。


 氷乃は主人公で、あたしはヒロイン。


 恋愛小説なら何が起きてもおかしくない場面だ。


 “本番を知らないと小説に書く事が出来ないでしょう?”


 とか、言ってあたしを言いくるめるつもりかもしれないが、そうはいかないっ。


 さすがに、体をすぐに預けるほどあたしの貞操観念は壊れちゃいないっ。


「うるさいわね」


 けれど、止まらない。


 氷乃の手は真っすぐ伸びてくる。


 こいつ、本当にその気なのかっ……!?


 氷乃の手はあたしの胸元に伸びて、ブラウスを掴む。


 そして……。


「……ええと」


 いや、もう片方の手も胸元に伸びてはいるのだ。


 タオルを持った手が。


 ブラウスの上を何度もタオルが上下している。


「なにしてんの?」


「ブラウスにもコーヒーが零れていたの。これこそ白いんだからすぐに拭かないと汚れが落ちないわよ」


「……」


 死にたい。


 主に羞恥心の方で。


 こんな一人で明後日の方向に暴走することがあるだろうか。


 ま、まあ……幸いにして?


 氷乃には、あたしがどうして拒否したかの理由までは勘づかれていないからギリギリセーフということで……。


「変な妄想をするのは勝手だけど、目の前で興奮されると私もどう反応していいか分からないから控えてくれると助かるわ」


 全然アウトだったぁ……。


 完全にバレてるぅ。


 あたし一人で大慌てで、恥ずかしいし、バカみたいだ。


「いや、そもそも氷乃のせいだしっ」


「変な妄想をしていたこと自体は否定しないのね」


 こっちが応戦しようとしても、すぐに華麗なカウンターをお見舞いされる。


 氷乃相手に言葉で勝つのは無理な気がしてきた。


「うっ……そ、そこを強調するなよっ」


「図星だから焦ってるんでしょ」


 汚れを拭き終えたのか、氷乃の手がブラウスから離れる。


 ちょっと安心したけど、その片手にはあたしのブレザーが握られている。


 いつの間にか取られていて、そのまま拭いてくれている。


 ……これだけ見ると、普通に優しいな。


 コーヒー淹れてくれて、零したら文句も言わずに拭いてくれるわけで……。


 いやいや、待て待て。


 そもそも吹き出したのは氷乃のせいなんだった。


「あたしはその前の話をしてるんだっ」


「その前の話って?」


「なんだよ、男性経験あるのかとかいきなり聞いてきて……っ」


「ああ、それで私があなたに手を出すと思ったの?」


 あら、と氷乃は意外そうに口を開く。


 無自覚でやってるとか、逆にたち悪いな。


「そう思ってもおかしくないでしょっ」


「単純に気になっただけよ、ただの日常会話」


「日常会話にしては内容がセンシティブ過ぎるっ」


「そうみたいね。あなた、もう経験あるのかと思ってたから」


「……ないとは言ってない」


 なんか一方的にないと断定されるのもまた気分としては良くない。


「あら。だったらいちいちこの程度で目くじらを立てないで欲しいわ。とっくに人前で肌を見せている癖に、制服くらいで騒ぎ立てるとか清純キャラを作るのに必死みたいで痛々しいわ」


「ないですよ、ないないっ。ないから慌てたんですよ、これでいいですかっ」


 ちょっと見栄張っただけで総攻撃だ。


 怖いったらありゃしない。


「最初からそう言えばいいのよ」


 わざわざ言いたくないっての。


「それで、なんでそんなこと聞いて来たの」


「恋愛小説にはそういう描写が不可欠でしょう?」


 なんか想像してたのと同じような答えが返ってきた。


「……実際に試すとか、やめてよ」


 あたしは身を抱いて、体を守る。


 壁ドンの練習とかと違って、これは気軽に行えるようなものではない。


「するわけないでしょ。どういう想像力を働かせたらそういう発想に行き着くのかしら」


 散々あたしで試したくせにっ。


 リアルな人間を小説のモデルにするとか頭おかしいことやってるくせにっ。


 急にこういう時だけ自分が正常な人間みたいな態度をとらないで欲しいっ。


 ……しかし、氷乃はずっと落ち着いてる。


 年頃の女子だったら、もうちょっと反応が変わる話題ではあると思うんだけど……。


 はっ、も、もしかして……?


「まさか、氷乃はある、とか……?」


 だからこその落ち着き。


 そしてあたしに対しても何の恥ずかしげもなく聞いてくるわけだ。


 しかし、そうだとすると、あたしは氷乃に対する目がちょっと変わってしまう気も……。


「あるわけないでしょ」


 ないのかよっ。


「……へえ」


「あったら、恋愛感情について考えるわけない」


 それも一理ある。


 つまり、あたし達はお互いに知らないままで恋愛小説について語り合う仲なわけだ。


 ……この情報だけ抜き出すと、ピュアな女子高生すぎない?


 なんか、それはそれで嫌だった。

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