10 家に誘われたけど


氷乃ひのの家……?」


 なに、その急展開。


 いきなりすぎて展開についていけない。


「ええ、そうよ」


「なんで?」


 シンプルに疑問だ。


 確かに、あたしたちの間には普通とは違う関係があるけれど。


 それでも住んでいる空間にお邪魔するほど親しい間柄になった覚えもない。


「理由はないわ」


「ないのかよっ」


 そこはあれ。


「むしろ、クラスメイトの家に行くことに理由を求める方がおかしいと思うのだけれど」


「相手が氷乃じゃなかったら、あたしだってもうちょっとすんなり受け入れてるよ」


 なにせ相手はいつもお一人様の氷乃朱音ひのあかねだ。


 その家の敷居をまたぐ相手にあたしが選ばれるだなんて、理由があってしかるべきだ。


「……ただ、話をしてみたかっただけよ」


 ぽつり、と氷乃は珍しく消え入るような声を発した。


 いつも声は大きくないが、自分の言いたい事ははっきりと主張するので、こんなか細い話し方はしない。


 それだけに、その反応が妙なリアティを生んだりする。


「あたしと話しがしたいの?」


 なので、あたしはその真意を確かめる事にする。


 中途半端にこっちが察してあげたりなんてしない。


 言いたいことがあるのなら、ちゃんと言うべきなのだ。


「……そう、言ったのだけれど」


 氷乃は面白くなさそうに視線を反らす。


 まあ、やはりその通りらしい。


 それにしても不思議なこともあるものだ。


 人に興味がない氷乃朱音ひのあかねが、話しをしたいなんてどういった心情の変化だろう。


 何か企んでいるんじゃなかろうか。


 ……まあ、それは置いとくとしてもだ。


「あたしなんかが氷乃の家に上がっちゃってもいいの?」


「それはどういう意味?」


「ほら、氷乃の両親がどう思うか……」


 あたしはパッと見は不良娘だ。


 氷乃がどんな暮らしをしてきたかは知らないが、その物腰から察するにあたしのような存在と絡むような家庭環境ではなかっただろう。


 “娘が不良を連れてきた”、みたいな心配をする親なのではないかと踏んでいる。


「それなら心配要らないわ。家に両親はいないから」


「あ、そうなんだ」


 用事でもあるのだろうか。


 まあ、そのタイミングに合わせてあたしを誘ったのか。


「それで、どうするの」


「ああ、はいはい。行きますよ」


 行かないと言っても脅されて行くことになるだろうし。


 大人しく頷くことにした。



        ◇◇◇



「ここよ」


「はあ……」


 そこは築年数がそこそこの、至って普通なマンションだった。


 意外、というのが正直な感想だった。


 氷乃には品があるので、いいところのお嬢さんだったりするんじゃないかと勝手に想像を膨らませていたのだ。


「なに、その気の抜けた返事」 


 見透かされたのか、氷乃の冷たい声に刺される。


「いや、なんでもない」


「……」


 じーっと射抜かれるような視線に耐えながら、氷乃はようやく足を前に進める。


 4階建てのマンションで、案内されたのは2階の角部屋だった。


「お邪魔します」


 部屋は1Rの決して広いとは言えない空間だった。


 ベッドにローテーブルとテレビが居室のほとんどを占める。


 そう、まるで一人暮らしのような……。


 ていうか、どう見ても一人暮らしだよな?


「氷乃って一人暮らし?」


「そうよ」


 マジかよ。


「なら最初から言ってよ」


「……両親は家にいないと言ったはずよ」


 それで分かるか。


 表現が遠回りしすぎなんだよ。


「いいから、とりあえずそこに座りなさい」


 ローテーブルの前、藍色の座椅子を指差される。


 恐らく普段は氷乃が座っている場所だ。


「氷乃はどこに座るの?」


「別に、カーペットの上に座るわよ」


 ローテーブルの下にはアイボリー的な乳白色のカーペットが敷かれている。


 まあ、とは言え要するに床に座らせるようなものだ。


 口調は不躾なくせに、そういう所は妙な気遣いをしてくれて反応に困る。


 いや、一応お客さんなんだから当たり前のようにも思えるけど。


 氷乃の普段が普段だからな、ギャップを感じてしまっているのだ。


「何か飲む?」


「なんだと?」


 その上、氷乃があたしに飲み物を提供する?


 何がどうなっている。


「……そんなふざけた返事をされるようなこと言ってないと思うのだけれど」


「い、いや、ごめん……意外すぎて」


「私が飲み物を用意することの、何が意外なのかしら?」


「氷乃があたしを普通におもてなししてくれると思ってなくてさ……」


 何だったらあたしを床に座らせて、氷乃が小説を書くのをじっと無言で耐える時間がほとんどなんじゃないかとすら思っていた。


「……あなたは、私のことを何だと思っているのかしら」


 ああ、怒ってるわ。


 目が怖いもん。


「せっかくだし飲み物、頂こうかな!」


「……そう。ちなみにコーヒーしかないけど、大丈夫?」


「あ、うん。ありがとう」


「ええ、今用意するわ」


 ……コーヒー苦手なんだよなぁ。


 でもこの流れで言えるわけない。


 我慢して飲むことを決意した。


 キッチンで氷乃は電気ケトルに水を注いでいる。


 1Rという手狭な空間なので、その音も行動も筒抜けだ。


 ……制服姿でキッチンに立つ氷乃。


 これって、クラスの男子が見たら鼻血出すんじゃなかろうか。


「……何をジロジロと見ているの」


「いや、今の氷乃の姿を見たら男子は大喜びだろうなって」


「気持ち悪いわね」


 一蹴された。


 多分、あたしのジジ臭い発言が気に入らなかったのだろう。


 割と的を射たことを言ってると思うけどなぁ。


 そうこうしている内に、コーヒーの香りが部屋に漂う。


 香りを嗅ぐだけなら、コーヒーはいい匂いだと思う。


 氷乃は丁寧にコーヒーカップに淹れて、あたしの前に置いてくれた。


「砂糖とミルク、いる?」


「あ、お願いします」


 それがないと舌が苦さで麻痺してしまう。


「どうぞ」


 すぐにそれも氷乃は用意してくれた。


 そして、そのまま氷乃はカーペットの床に足を崩して座る。


 両足を内股にした、いわゆる“ぺたんこ座り”だ。


 そのまま氷乃は自分用のコーヒーカップをふーふーと息を拭いて冷ましている。


 ……可愛すぎだろ。その仕草。


「飲まないの?」


「ああ、飲む飲む」


 ぼーっと氷乃の仕草を見ていて、怪しまれてしまった。


 急いでミルクと砂糖を入れ、かき混ぜる。


 そのまま勢いで口をつける。


 さあ、久しぶりのコーヒー、その味やいかに。


「ところであなた、男性経験はあるのかしら?」


「ぶぅおっはっ!!」


 吐き出した。


 いや、久しぶりのコーヒーがやっぱり苦かったからとかじゃないから。


 さすがにあたしもそこまで子供じゃないから。


 氷乃がいきなり意味不明なことブッこんでくるせいだから。


「……吐き出すほど、マズかったとでも言いたいの?」


 いや、だからそこじゃないから。


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