悪役令嬢を名乗るキミが愛おしい
それから数週間が過ぎ、再びエレナとの顔合わせの日になった。会場はエレナの要望――正確にはリスナーの提案によって決まった城の展望台である。
婚約者同士の逢瀬ということで、使用人達は下がらせている。
もっとも、エレナは配信中のため、リスナー達はその光景を見守っているのだが……おかげで、アレックスはエレナがなにを考えているか、手に取るように分かった。
彼自身、エレナの配信を視聴しているからだ。
『それじゃ、まずは謝罪よ』
「あんなおかしなことを言ったのに、許してもらえるかしら?」
リスナーのコメントに対し、エレナがアレックスには聞こえないように答える。だが、その声は、配信を通してアレックスに筒抜けである。
『ゲインロス効果というのだけど、最初の評価が低い方が、より大きな評価を得られるという現象があるから大丈夫だと思うわ』
「ゲインロス効果ですか?」
『悪人が雨の日に子犬を抱いている姿を見て、実は優しい人なんだ……って思ったりする現象のことね。初対面であたおか発言をしたエレナにぴったりな手法でしょ?』
「あたおか……いえ、まぁ、そうなんですが」
アドバイスをされているのか、からかわれているのか。
リスナーに愛されていることには違いなさそうだ。
そんな想いで配信を眺めていると、意を決したかのようにエレナがアレックスに視線を向けた。そうして、「先日は申し訳ありませんでした!」と頭を下げる。
だが、すべてを知っているアレックスは不満気な顔をした。
「この婚約や両家の協議で決まった政略結婚だ。だが、婚約者である以上は、義務というモノがある。にもかかわらず、婚約者に対し、好きになったりしないと宣言しておきながら、謝罪の一つで済ませようというのか?」
「そ、それは、その……言葉のあやと申しますか、気の迷いと申しますか……」
責められると思っていなかったのか、エレナの視線が揺れた。コメントを見ようとしているのだろう。だが、アレックスはそうはさせまいと、彼女の頬に手の平を添えた。
「冗談だ。慌てるおまえの姿が可愛くて、つい、な」
「~~~っ!」
優しく微笑みかければ、彼女の顔が真っ赤に染まった。彼女は目をぐるぐるさせ、「ちょっと待ってください!」とアレックスに背を向ける。
「アレックス王太子殿下を口説こうとしたら、反撃されましたわよ!?」
リスナーに向かって言っているのだろうが、わりと大きな声だったので、普通にアレックスにまで聞こえてしまっている。
まあ、そうでなくとも、配信を通して筒抜けなのだが。
『反撃ワロタw』
『エレナがチョロイだけでは?』
『でも、さっきのアレックス様、格好よかった』
『さすが攻略対象』
リスナー達のやりとりを眺めながら、アレックスはしみじみと思った。
(最初に意地悪を言って、あとで優しくする。なるほど、これがゲインロス効果というものか。エレナには効果てきめんのようだな)
――と、そんなことを考えているあいだに、エレナは第二の秘策を伝授されていた。
その名もボッサードの法則。
物理的な距離が近いほど、心理的な距離も縮まるという法則だ。
もちろん、ただ距離を詰めればいいというものではない。人にはパーソナルスペースというものがあり、他人がそのスペース内に入り込むことを不快に思う。ゆえに、現在の信頼関係で不快に思われない範囲で距離を詰める、これがボッサードの法則の正しい使い方だ。
という話をリスナーから聞いたエレナは、意を決したように距離を詰めてきた。
「アレックス王太子殿下、服に糸くずがついていますわ」
彼女はそう言って、アレックスの真正面に立った。そうして、手を伸ばさずに届く距離まで詰め寄ると、服についている糸くずを取る振りをして上目遣いでアレックスを見上げる。
モーヴシルバーの髪に縁取られた小顔には、黄金比によって収められたパーツ。つぶらなアメシストの瞳が、アレックスを静かに見上げていた。
破滅すると知り、それを回避しようと必死にがんばっている。その健気な姿が可愛い――と、アレックスは思わず意識を持っていかれそうになった。
このままではまずいと思ったそのとき、リスナーのコメントの一つを思い出した。
パーソナルスペースは男女で形が違う。女性は自分を中心に正円を描く傾向にあり、男性はまえに広いスペースを取っている傾向にある。その結論だけ言えば、向かい合うと男性がドキドキして、横に並ぶと女性がドキドキする傾向にある、という話である。
よって――
「エレナ、こっちからだと町並みがよく見えるぞ」
彼女をさり気なく誘導し、向き合っていた体勢から、並びあう体勢へと変更する。
「~~~っ。アレックス王太子殿下がわたくしの隣りにっ」
さきほどまでアレックスが感じていた胸の高鳴りを、いまはエレナが感じているのだろう。配信からエレナの呟きが聞こえてくる。
『エレナ、がんばって。反撃はされてるけど、雰囲気は悪くないわよ。ここから吊り橋効果を狙っていきましょう』
吊り橋効果とは、別の要因でドキドキしていたとしても、人間はそれと恋のドキドキとの区別を付けられない、という現象のことだ。つまり、彼女が顔合わせで展望台を選んだのは、その吊り橋効果を狙ってのこと、だったのだが――
展望台とはいえ、城の中にあり、しかも王太子とその婚約者が供も付けずに立ち入れるような場所。ドキドキするような作りになっているはずもない。
それに気付いたのだろう。展望台の下を覗いたエレナは困った顔になった。それから視線を彷徨わせ、意を決したような顔になり、そして――
「――ひゃっ!」
足を滑らせた彼女が手すりの向こうに――落ちるはずがない。下手な演技で彼女は手すりに寄りかかり、それから再び困った顔になる。
手すりが高すぎて、落ちる演技が出来なかったのだろう。
それでも、吊り橋効果を狙おうとがんばっているのだろう。危なっかしく見えるようにと、必死に、手すりに見を乗り出そうとしている。
その可愛さに耐えかねて、アレックスはエレナの腰を抱き寄せた。
「ふえっ?」
「そのように身を乗り出しては万一と言うことがある。だが、こうしていれば安心だろう」
「は、はい。そう、ですわね……っ」
エレナは頭から煙が出そうな勢いだ。
アレックスから顔を背けると、「こ、これが吊り橋効果なんですわね。たしかに、本当にドキドキしていると錯覚しそうですわっ!」と呟いている。
もちろん、錯覚なわけがない。
いや、恋愛のドキドキと、その他のドキドキで区別がつかないという意味ではその通りかもしれないが、彼女が感じているのは明らかに前者のドキドキだ。
(なんだ、この可愛い生き物は)
きつい性格という、エレナの印象はとっくに消し飛んでいた。
彼女の素の顔は、不器用だけどいじらしい性格。それを踏まえてみれば、彼女は容姿も家柄も申し分がなく、性格まで可愛らしい令嬢と言うことになる。
だが、吊り橋効果が効いているかどうかはともかくとして、いい雰囲気であることに変わりはない。そういう理由で、リスナー達は盛り上がっていた。
そして次の一手を打つべき! という流れになる。
そこでアレックスが思い出したのは、ドアインザフェイス。
相手が受けられないような無茶な要望をして、それを断られた後に変わりの条件を出す。相手は一度断っているので、罪悪感でその後の要望を受けてくれやすい、という手法。
交渉事で使えそうだと思って覚えた手法だが、ここでも使えそうだと微笑んだ。
『エレナ嬢が目指すのは破滅の回避。そしてそれには婚約破棄を避けることだ。であるならば、それを通すことを目標に、まずは大きな要求。たとえば――』
と、アレックスはコメントを送信する。
それを目にしたのだろう。
エレナはこくりと頷き、少し潤んだ目でアレックスを見上げる。
「アレックス王太子殿下、その……お願いがあります」
「ほう、どのような願いだ?」
その願いは、さきほどアレックスがリスナーとして提案したものだ。当然内容を知っているが、それをおくびにも出さずに問い返す。
エレナは恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。
無理もない。アレックスが提案したのは、とても大胆な願いだ。断られるのが前提とはいえ、その言葉を口にするには相当な勇気が必要になるだろう。
だがそれでも、エレナは上目遣いでアレックスを見つめて口を開いた。
「アレックス王太子殿下、わたくしだけを愛すると約束してください」
「約束しよう」
「……そうですか、無理ですよね。分かってます。ではせめて、わたくしとの婚約を破棄しないと約束を……え?」
「生涯を掛けて、おまえだけを愛し続けると約束する」
「ふえぇぇぇぇぇえぇえっ!?」
断られることを前提で口にした言葉をノータイムで了承された。その事実に慌てふためくエレナに対して、すべてを仕組んだ仕掛け人のアレックスは悪い顔をする。
「どうした、なにをそんなに動揺している?」
「え、いえ、それは……っ」
動揺するエレナが可愛くて仕方がない。
「ところでエレナ、俺に永遠の愛を求めると言うことは、おまえも俺を永遠に愛してくれると言うことか?」
「え、それは、その……あの……」
視線を彷徨わせる。そんなエレナの顎を摑み、くいっと上を向かせた。
城にある展望台。穏やかな風が吹き抜ける中、二人の距離が徐々に詰まっていく――が、互いの距離がゼロになる寸前、エレナがアレックスの胸を突き飛ばした。
「こ……っ、これで勝ったと思わないでくださいませ!」
捨て台詞を残して逃げていく。
そんな彼女の後ろ姿を、アレックスは呆気にとられた様子で見送った。
「……ふむ。雰囲気は悪くなかったはずだが、なにか失敗したか?」
眉を寄せる。
そんなとき、配信中の彼女の様子が目に入った。
彼女は少し離れた物陰で壁に手をついていた。
『ちょ、エレナ、なんでそこで逃げてるのよ』
『ヘタレw』
『台無しじゃんw』
散々な言われようであるが、彼女の行動を考えれば無理もない。
だが――
『し、仕方ないじゃありませんか! アレックス王太子殿下を惚れさせるまえに、わたくしがベタ惚れになりそうだったんだからっ!』
悲痛――といっていいか不明だが、彼女は叫び声を上げた。その言葉に爆笑するコメントの数々。アレックスもまた腹を抱えて笑い声を上げた。
そうしてひとしきり笑い、アレックスはコメントを書き始めた。
『なら、次の計画を立てるとしよう。大丈夫だ。エレナががんばれば、アレックスもきっとおまえのことを好きになってくれるはずだ』
とっくに好きになっている――なんておくびにも出さずに匿名で書き込む。婚約者の愛らしい姿を配信で眺めながら、アレックスは表情を綻ばせた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お読みいただきありがとうございました。
明日(5日)完結予定の長編『侯爵令嬢の破滅配信』もよろしくお願いします。
悪役令嬢を名乗るキミが愛おしい 緋色の雨 @tsukigase_rain
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます