44.その頃のアルタートン4

 アルタートンとハーヴェイの模擬戦が行われて、十日後。

 ロードリックは、父ジョナスの執務室に呼ばれていた。執務机の上に置かれた、数枚の報告書を示されて読む。


「……この報告書の内容に、間違いはないな?」


「……」


 父のイライラした口調での問いに、息子は答えることができなかった。

 模擬戦のさなか、ついうっかり自分が口走った内容の精査。本来自分と自分の配下が手掛けるべき書類の数々を、次男のセオドールにほぼ丸投げしていたという事実の確認は、多くの騎士団員の証言と書類の筆跡鑑定により証明されていた。

 ただの文書であれば、まだ良かった。中には騎士団の外に漏らすべきではない書類も数多くあり、それらのほとんどがセオドールの字で書かれていたことが判明したのだ。

 幸いというか、セオドールはハーヴェイ家に生活基盤を移すまでほぼ外部との関係はなく、ハーヴェイに移ってからも王都守護騎士団の機密事項を誰かに漏らしたことはない、そう調べがついていたのだが。


「ロードリック。黙っていてはわからん」


 それはともかく、返答のないロードリックにさらに苛立ったのか、ジョナスはどんと机を拳で叩いた。ひ、と顔をひきつらせてロードリックは、渋々答えを、口に出す。


「…………間違い、ありません……」


「愚か者が」


 ちっと舌を打ち、ジョナスが吐き捨てる。ただ、その後に続いた言葉はロードリックには意外なものだった。


「なぜ、もっと早く言わなかった」


「え」


「あれがお前の手駒であるならば、外に出さぬよう手を講じたものを。そうできていれば、あのように恥をかくことはなかったはずだ」


 つまり、父が嫡男に苛立っている理由は彼本人がすべき仕事を弟に丸投げしていたから、ではなく。

 それを外部に知られるような状況にしてしまったから、のようだ。セオドールをアルタートンの家の中で飼い殺しにするよう、ロードリックが動いていればよかったのだとジョナスは言っている。

 そうであれば、セオドールさえ戻ってくればあとは何とかなるのではないだろうか。そう、ロードリックは考えたのだが。


「そ、それなら今からでも、あいつの婚約を」


「今更遅い。ハーヴェイにあれを返せ、と言って戻ってくるものか。そもそもあれの婚約は、向こうが望んだものだ」


「っ」


 ジョナスが告げた事実に、ロードリックの顔から血の気が引く。

 なぜハーヴェイ辺境伯家が、アルタートンに劣るとは言え王家の覚えもめでたい家がセオドールごときを望んだのか。

 彼らはふたりとも、アルタートンとの結びつきをハーヴェイが望んでいたからだ、と考えている。それがまるでお門違いであることを、アルタートンの当主と次期当主は知らない。


「婚約契約書にも記された通り、あちらに行ったことであれは事実上ハーヴェイの一員となっている。よほどのことがなければ、戻ることは叶うまい。それに、せっかくのハーヴェイとの結びつきが白紙となることは避けたいしな」


 故に、『ハーヴェイ側の望み』を無くすことをジョナスは考えていない。何しろ悪いのはセオドールに仕事を押し付けたロードリックなのだ、彼に罰を与えることでハーヴェイに納得してもらうしかない。

 それに、アルタートン側としてはハーヴェイと結びつくことで外国との絹の取引が有利になる、と考えている。

 隣国との境にあるハーヴェイ領を通るための通行税、製品が国境を越えるための関税などをハーヴェイと内々に交渉し、値引きしてもらえばアルタートンの利益は上がる。そこまで考えているのは、ジョナスくらいのものだが。


「そ、それではっ、俺は」


「お前は平からやり直しだ。私もおそらく、副長や第一師団長の座を降りることとなろう」


 とはいえ、それをあまり大っぴらに出してしまっては違法ではないか、と痛くもない腹を探られる。その前にジョナスは、あくまでも苦々しげに息子の処分をざっくりと言い渡した。既に内定しているであろう、自身の監督不行き届きに対する処分も。

 もっとも、自身の処分は後で王城の方々とうまくやればいいだろう。そこまで考え終わり、そして。


「それはそうと、ベルベッタはどうした」


 先日結婚式を終え、模擬戦以降顔を見ていない長男の妻の名をジョナスは、無造作に呼んだ。


「その、それ、が。あの日の夜にベルベッタは家を出ました。どうやら、実家に戻ったらしく」


 父の問いに対するロードリックの答えが、ジョナスの顔を更に歪めた。


「どういうことだ」


「ついさきほど、ガーリング家から俺宛に届いた書状です。中身を読む前に父上に呼ばれたので、まだ読んでいません」


 恐る恐るロードリックが差し出した封書を、「よこせ!」ともぎ取る。蝋封だけは開かれていたので、そこから中身を取り出して広げた。そして。


『ロードリック殿。貴殿の王都守護騎士団員としての仕事に対し、多くの疑念が生じた。故にベルベッタはしばらくの間、生家であるガーリング家にて過ごすものとする』


 ざっくりと読み終えた内容をそうまとめたジョナスは、ぐしゃりと書状を握り潰した。

 ガーリング侯爵家が、ベルベッタを取り返すだけで済むとは思えない。既に、さまざまな手配を済ませているはずだ。あれからもう、十日も経っているのだから。

 出遅れたとは言え、今からでもジョナスが動く必要はある。だが、その前に。


「ロードリック! 貴様はしばらく、自室で謹慎していろ! 家から出ること、まかりならん!」


 まるで雷のような怒鳴り声に、ロードリックはひいと身を縮めて震えることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る