29.その頃のアルタートン3
アルタートン家嫡男ロードリックは、あと二ヶ月半ほどでガーリング侯爵家息女ベルベッタとの結婚式を迎える。
既にほとんどの招待客には送り終えたどころか返事ももらっている招待状を、今頃になってハーヴェイ辺境伯家にも出したと聞いて彼は、茶を差し出しながらそれを伝えた自分の母に対し問うた。
「え、ハーヴェイに招待状出したんですか、母上。どうして」
「当然でしょう? 縁続きになったんですもの。あなたの結婚式に弟夫婦を呼ばないなんて、相手に対して礼を失していると笑われてもおかしくないの」
それに対する母、すなわちアルタートン伯爵夫人リリディアの返答は至極シンプルなものであった。婿入りする弟とその婚約者を、兄の結婚式に呼びつけるのは当然のことだと。
「最低でも招待状を出しておけば、無礼とは言われないのよ。あちらがお断りになったときに、他家の方々にそう言えばいいのだから」
「それはそうですが……」
「もし来られても、問題はないでしょう? おいでになるのはあくまでもハーヴェイ家のご嫡女と、その婚約者なんですから」
ハーヴェイの嫡女と、『その婚約者』。
次男セオドールもまた自身の腹を痛めて産んだ子のはずだが、リリディアは彼をそのように扱っている。家から外に出てしまったのだから、ということだろう。
彼女自身、実家であるグラッサ伯爵家から嫁いでくるときに今後はアルタートンの者として扱う、と言われた立場だから。
「あなたも、かれらも伯爵家の次期当主。いずれはお互い、国を守る家の当主となる身なのですから、交流は持っておきなさいな」
「……は、はい」
そうして、その母の言葉をロードリックは、素直に受け止めざるを得なかった。
こちらは、代々王都守護騎士団の幹部を務めるアルタートン伯爵家の後継者。
あちらは、隣国から王国自体を護るハーヴェイ辺境伯家の後継者。
ロードリック自身が相手に対して何を考えているかはともかく、『役立たず』の婿入り先と交流を持たねばならぬことは理解できている。ち、と小さく舌打ちはするが。
「それより、ロードリック」
ふと、リリディアの声が固くなった。思わず姿勢を正した息子に対し、母はティーカップを音もなくテーブルに戻しながら問う。
「騎士団のお仕事が詰まっている、と旦那様から伺ったのだけど、どうしたの?」
「そ、それは」
騎士団のお仕事。この場合は、以前はセオドールに任せていた事務処理、書類整理などのことである。
わざわざ事務専門にしてやったというのに仕事の速度は上がらず、報告書の提出が遅れるたびにロードリックは父から叱責されている。それがついに、普段は伝わらない母の耳に届いてしまったらしい。
「必要なら、きちんと文官を雇いなさい。そうでなければ、アルタートンの跡取りはまともに仕事もできない能無しと言われてもおかしくないのだから」
「は、はいっ」
父ジョナスの叱責よりも、母リリディアの丁寧な言葉のほうが恐ろしい、とロードリックは思う。それに比べれば、自分がセオドールを殴るなんて大したことじゃない、とも。
アルタートンに生まれながらセオドールは自分よりできが悪く、戦闘力もないのだから。ハーヴェイ家に種馬として買われただけマシだろう。そう、ロードリックは至極真面目にそう考えている。
それに対し、リリディアは自分が息子に恐れられているということには全く気づかないまま言葉を続けた。
「旦那様は、あまりにこのようなことが続くのであれば後継者について再考することもやぶさかではない、とおっしゃっていたわ。分家から養子を取ることはともかく、セオドールを戻すことも考えておられます」
「な」
騎士団の仕事が進んでいないのは、ロードリックからしてみれば部下の仕事が遅いせいだ。それなのに、父はよりにもよって『役立たず』を家に戻し跡を継がせる、などという可能性に言及したらしい。
「何で、あんなやつを」
「あの子は、あなたの『お手伝い』を誠実にしてくれていたようですもの。旦那様が実質的に領主のお仕事をして、あの子には『お手伝い』と子作りに徹してもらえばアルタートンは安泰だわ」
リリディアはのんびりと、そう答える。自分自身がアルタートンで果たした最大の務めがロードリックとセオドール、二人の息子を産み落としたことだと考えているのだ。
彼女にとってセオドールは、ロードリックが言っていた『役立たずのお手伝い』という印象が強い。だからこそセオドールは外に出ることなく、夫であるジョナスもそう考えてハーヴェイへ婿に出したのだ。
リリディア自身は普段から息子たちには目もくれず、特産品の絹でドレスを作ったり通いの商人と宝石や貴金属に関して楽しく話をするのが自分の務めであると考えている。そうしてたまに、夫の言葉を息子や使用人に伝えることが。
「それで、ハーヴェイ家が納得するとでもお思いですか」
「納得しないほうがおかしくないかしら? 王家の覚えがめでたいとは言え、ハーヴェイは国境に追いやられた家よ。対してアルタートンは王都のそばに領地を持ち、王都をお守りすることを課せられた家柄ですものね」
さらに、彼女の生家たるグラッサも現在の家であるアルタートンも、王都のそばに領地を持ち王都に関する仕事についている。それこそが、コームラス王国に仕えし貴族にとって誉れである……そう、彼女は教育を受けてきた。
無論、国境を護る辺境伯の重要性も知ってはいる。ただし、辺境から王都付近に戻ってこられない以上彼らはその程度の家なのだ、と思い込んでいるゆえに、リリディアは。
「あんまり役には立たない子だけれど、アルタートンの家を継げると知れば喜んで帰ってくるでしょう。同じ伯爵家なら田舎より都だわ」
本心から思っている言葉を、晴れ晴れとした顔でのたもうた。それから、長男であるロードリックに向き直り真面目に伝える。
「あの子にアルタートンの家を取られたくなければ、きちんとお仕事をなさい。そのためなら、わたくしはわたくしのお財布から援助をしてあげてもいいのよ? ロードリック」
「は、はい! お願いします、母上!」
こうしてやれば、可愛い長男は励むに違いない。勝手な母の思い込みに気づくことなく、ロードリックは大きく頷いた。
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