20.その頃のアルタートン2
この日、王都守護騎士団の副長であるジョナス・アルタートンは、実子であり一つの部隊を任せているロードリックを己の執務室に呼び出していた。
「最近、報告書の提出が遅いな」
「も、申し訳ありません。父上」
「ここは職場だよ? アルタートン部隊長」
「はっ! 失礼しました、アルタートン副長」
イライラしているらしく執務机の端を指でコンコンと叩いているジョナスの前で、ロードリックは直立不動のまま動かない。
セオドールがアルタートン家を離れてから一ヶ月、彼に報告書を始めとした事務処理のほとんど全てを押し付けていたロードリックの部隊は、そのせいで現在それらの処理が滞っている。だがロードリックは、そのことを父には報告していなかった。
せめて、文官スタッフの手配を頼めばよかったのだろうが、そうするとこれまでの怠慢を知られてしまうこととなる。それによる処分や処罰を恐れて、彼は内々に解決しようとしていたのだが。
「……で」
結局、処理はどんどん遅れていく。それを父に咎められ、ロードリックはすべての責任を部下に押し付けることにした。
自分は書類の処理などに手をかけているよりも、魔物の討伐や王都の警備についているべきであると考えていたからだ。
書類などの『ちょっとした仕事』は部下がやるべき仕事であり、それが遅れているのはかれらが怠けているからだと。
「部下の報告資料に手違いが多く、まとめるのに時間がかかっております……」
「ふむ、なるほど」
嫡男の言葉に、父親たる副長は頷く。彼にとってロードリックは出来の良い、文武共に良い成績を誇る自慢の後継者であるから。
その後継者の『手伝い』をさせていた次男は既に家にいないが、よもやそれが報告書の提出遅延の理由だとは考えていない。
だが一応、それに対して問う。
「セオドールがいなくなってから、仕事が遅くなってきたと評判だ。よもや、あの役立たずに必要以上に手伝わせてはいまいな?」
「ま、まさか、そんなことあるわけないじゃないですか! あれはあくまでも、俺の手伝いしかさせていませんでした!」
ロードリックが狼狽えたのには訝しげに首を傾げたが、それでもセオドールには大した仕事はできまい、と高をくくっている。
その程度にはジョナスは、後継者ではない次男に対してまるで興味を向けていなかった。アルタートンの家にとって大切な後継者が『立派に』育っているのだから、何の問題もないと。
「ならば、もう少し仕事を急げ。書類ごときに手間取っていては、我ら王都守護騎士団の本来の務めにも支障が出る」
「はい、肝に銘じます」
「よし。では、話は終わりだ。我がアルタートンのためにも、頑張ってくれ」
「失礼いたします」
騎士団の副長としてではなく、アルタートンの当主としてジョナスはロードリックを送り出した。
それはまるで、王都守護騎士団はアルタートン家がなければ成り立たない、とでも考えているかのようだった。
さて。
ロードリックは自身の、部隊長としての執務室に戻る。その顔は怒りに震えており、扉を開けた瞬間彼はその怒りを声に出して吠えた。
「お前ら! 怠けてるんじゃない!」
「ひっ!?」
「あ、部隊長」
室内で、紙の山に埋もれるようにしてペンを走らせている、部下二人。
この部屋に積まれている紙たちは、ロードリック率いる部隊が任務を完了したことを報告するための書類、それを作成するに必要な資料と証言が記されたものどもだ。
既に複数の任務分のそれらが溜まっており、部下は泊まりがけでその整理と報告書作成に当たっている。
「怠けてなんかいませんよ。これでも精一杯頑張ってるんですから」
ひらり、と書き終わった一枚を横に避けた部下の一人が、はあとため息をついた。彼の担当分はもう二山ほど残っているようだが、それらをぺらぺらめくってもう一度ため息を吐く。
「だったら、何で報告書ができるのが遅いんだ! 父上に怒られただろうが!」
「そうは言いますけどねえ」
顔を歪めたロードリックに対して、もう一人の部下が適当な山の一つを示した。
そこに積み上げられている紙を数枚眺めた彼の目が、露骨に見開かれる。ほとんどが殴り書きのメモで、中には癖字が過ぎてロードリックには判読不可能なものもあった。
「何だ、これは」
「こないだの、サーベルタイガー討伐の報告書を書くのに使うメモですよ。部隊の連中が提出してくるの、こんなのばっかでして」
「これでまとめろって無茶ですよ。俺たち、訓練とか哨戒とか他にも仕事あるのに」
ため息を付いた部下が、諦めたように次の書類にかかる。その参考に取り上げたメモは、まだ読める文字ではあったがやはり殴り書きに近い。
「あぁ? セオドールのやつなら、これでちゃんと書いてたんだろ?」
「あの人、騎士じゃなかったじゃないですか。単なる、部隊長の私的な補佐役でしょ?」
「そりゃ、騎士の仕事ないんですから書類に集中できるでしょうよ。あーうらやまし、くもないな。この落書き書類と連日にらめっこなんて」
この部下たちは、セオドールがハーヴェイ家に向かうまでは彼のもとにこういった書類……というよりはメモの山をワゴンに乗せて押し付け、出来上がった書類を引き取る仕事をしていた。騎士団員でもある彼らは、当然そちらの仕事もやらなければならない。
セオドールのように専任であればこれらの書類をさばききれる、部下たちのセリフをロードリックはそう理解した。
「うるさい! 他の仕事と兼任できないなら、お前らを事務専任にしてやる!」
「えー、部隊長横暴ですよそれ」
「そうですよ。事務専任なら、別で雇ってもいいじゃないですか。認められてますよね?」
部下の言葉に、ロードリックの顔は更に歪んだ。
確かに、事務専任の文官を雇うことは認められている。彼以外の部隊ではそれが当然であり、事務処理すら自分たちでこなしている、と思われていたロードリックは戦闘能力と事務処理能力の高さを他の者から称賛されていたのだ。
戦闘は自分自身でこなしているから、それはロードリック自身の力だ。だが事務はそうではなく、『役立たず』セオドールに押し付けた結果だ。
……今、事務処理の遅れがこれ以上響けば自分の能力がそれほどでもない、と気づかれる。それは、アルタートンの嫡男としてあってはならないことなのだ。少なくとも、ロードリックにとっては。
「うるさいと言っている、他人になんぞ任せられるか!」
「うわあっ!」
ばき、と鈍い音がして部下の一人が吹き飛んだ。壁にある書棚に叩きつけられ、ずるずると床にへたり込む。その上からばさばさと、いくらかの紙が崩れて落ちた。
「……え」
そこまで来たところで、ロードリックは目を瞬かせた。
今、自分はセオドールを殴るのと同程度の力で部下を殴った。そのくらいであればセオドールは平気な顔をしていたし、ふっとばされてもすぐに起き上がってきたから、このくらいの力であれば人は平気なのだと思いこんでいた。
「……部隊長。アルタートンに本気出されたら、俺たちは無事じゃすまないんですが」
「そう、なのか」
もう一人の部下の震える声が、アルタートンの長男に現実を教える。ぐったりした一人は息はしているものの、しばらく見ていても起き上がる様子がない。すっかり、意識を飛ばしているようだ。
「そう、ですよ。ご自覚ないのかもしれませんが、アルタートンってそういう家系なんすから」
部下の言葉の意味を理解したのかしていないのか、ともかくロードリックは自身の拳と失神した部下、そして荒れた室内をぼうっと見回すだけだった。
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