12.その頃のアルタートン1

 セオドールが、かのハーヴェイ辺境伯家に婿入りすることになった。そう父上から聞いた時、俺はざまあみろと思ったものだ。


「あの生意気娘の種馬か。役立たずのあいつには、ちょうどいいな」


 ハーヴェイの一人娘とは九年前、俺が十歳になった記念の誕生日パーティで会ったことがある。アルタートンの後継ぎであるこの俺の婚約者、いずれは妻となる娘を選ぶために父上も母上も、張り切って多くの貴族を呼んでくれたからな。

 大概の者たちは、アルタートンの家に娘を嫁入りさせるために酷く腰が低かったりおべっかを使ったりしていた。見え見えの態度だったが、それでも俺はまだ十歳だったし気持ちが良かったもんだ。

 ただ、その中にあってハーヴェイの娘は違った。まあ、最初はよかったんだがな。


「ハーヴェイ辺境伯家の長女、ヴァイオレットにございます。はじめまして」


「楽にしろ。そうか、お前があのハーヴェイの跡取り……にはなれないか。女だもんな」


 俺はこの時、その考え方が当然だと思っていた。特にハーヴェイ家は国境地帯に領地を持っていて、隣国との微妙な関係を戦力をもって保っているのだと父上から聞いたことがある。軍を率いるのであれば、当然当主は男だろうと。


「あら。アルタートンの跡取り様は、今どき信じられないお考えなんですね」


「は?」


 だから、あいつの反論には目を見張った。今どき、って父上だって同じ考えだぞ。母上は家にいるし、戦で指揮を取ったりできないし。


「まあ、アルタートンのお家がそういうお考えなのであればわたしには縁がありませんね。では、失礼いたします」


 だのにあの娘、ヴァイオレットは俺のことを鼻で笑って、そうして身を翻した。俺だって、お前のような妻など御免だが。

 それでも、人を馬鹿にしたまま行くなんて冗談じゃない。だから俺は、あいつを追いかけた。


「この、待てっ、謝れ!」


「あらあら。本日の主役の方が、声を荒らげてはいけませんわよ」


 だがすぐに、俺の身体をひょいと持ち上げる者がいた。声からして女なのは間違いないが、ばたばた暴れる俺を近くにあったチェアの上にすとんと座らせてしまう。


「娘が失礼いたしました。あの子はハーヴェイの後継者、その第一候補ですのでね。気が強いのですよ」


 にこにこ笑うのは……言葉の内容からしてハーヴェイ辺境伯の夫人に間違いなかった。つまり、ヴァイオレットの母親。

 お前の教育のせいで娘が生意気なんだ、と叫ぼうとして彼女の目に、射すくめられた。


「わたくしから言っておきますので、ロードリック様もここは穏便にお願い致しますわ。アルタートンのご嫡男ともあろうお方が、たかが小娘一人にお怒りとかございませんわよね?」


 へりくだっているように聞こえなくもない言葉だが、その実彼女の目はそう言っていなかった。

 大人しくしてくれなければ、この場がどうなるかわからない……そう言っているようで俺は、こくこくと頷くしかできなかった。




 結局俺は、俺にふさわしいベルベッタと出会うことができたので良かった、と思っている。そうして、あの生意気女のところに役立たずのセオドールを追い出せて良かった、とも。

 ただ、ちょっと面倒なことになった。これまでやつには、俺の手が回らない書類作業を任せていたんだが、今後はそれができなくなる。そうすると……ま、いいか。


「ドナエル、ライオス、いるな」


『はっ』


 あいつのところに書類を運んでいる担当の部下を呼び出す。あれと違って騎士団の仕事もしているから、さすがに一人では時間がかかりすぎるだろうからな。俺は、実力のあるやつには優しいんだ。


「お前たちに、新しい任務を与える。実は、あの役立たずのセオドールが婿に行くことになってな」


「は?」


「やつには書類をまとめる仕事を与えてやっていたが、これからはお前たちにそれをやってもらう」


「え」


「あれはずっと家にいたから一人でやらせていたが、お前たちは俺の部下だからな。二人でなら、十分やれるだろう」


 おや。

 ふたりとも、顔色が良くないな。何だ、体調が悪いならそう言えばいいのに。いや、俺が呼んだらやってきたのだからそういうわけではないのか。

 もしかして、事務作業が苦手だとかいうなよ。セオドールに書類を持っていく役割だったのは、その前に資料や報告書のもとになるメモをまとめていたのがお前たちだったからだ。つまり、得意分野のはずだな。


「あ、あの」


「ん、何だ? 何か文句でもあるのか」


「い、いえ、ありません!」


「その任務、喜んで受けさせていただきます!」


 それに部隊長、上司である俺の指示に従うのが部下としては当然のことだろう。もちろん、ふたりとも喜んで受け入れてくれた。

 うむ、いい笑顔をしている。これからは『少し』仕事が増えることになるが、その分は何とかしてつけてやろう。

 騎士でも何でもないあいつはタダ働きだったが、お前たちは俺の騎士団における部下だからな。


「そうだろうそうだろう。お前たち、俺のために頑張ってくれよ?」


「了解しました!」


「で、ではこれで、仕事がありますので失礼いたします!」


 急いで出ていったあの二人、なかなか仕事熱心なようだな。うまく手配して、給料に色を付けてやれないだろうか。

 父上に相談してみてもいいな、と思う。王都守護騎士団なのだから、給料自体は国庫から出ているのだからな。

 それは俺も、父上も同じことなのだから。


 ……そんなふうに思っていたのだが。

 セオドールが家を出て三日後には、俺のところにくる書類の量が減り始めていた。もっとも俺は、それには気づかなかったのだが。


 ドナエルとライオスの作業が詰まっているらしい、と俺が知るのは半月もあとになってからのことだ。

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