07.昼休憩
彼女としてはざっくりと、であろう説明を受けて俺は、とりあえず目を丸くするしかなかった。
場所は宿の食堂にある個室、この場にいるのは俺とヴィーとヴィーの侍女さんだけ。この侍女さんは昔からヴィーの担当で、今彼女が話してくれた内容の大部分も知っているとのことだ。
食事は宿の従業員さんが適宜運んでくれる形式で、それを侍女さんと分担して配膳してくれている。昼食、とても美味しい。
「あら。いかがなさいました? セオドール様」
「………………いや」
おっと、食事にかまけてる場合ではなかった。魚のソテーを飲み込んで、ヴィーに向き直る。
「ヴィーは、俺よりずっとたくさん努力してきたんだなって思ってしまって」
俺の、話を聞いた感想を素直に口にした。俺は基本的に書類の処理ばかりで、例えば戦闘訓練とかは……まあ少しはやってるけれど、それでもヴィーとはレベルが段違いだ。アルタートンの家系もハーヴェイと同じで、武功で爵位を得た家なんだけどな。
「そんなことはございませんわ。わたくし、その、お父様譲りで書き物が少々苦手でして……」
「ありゃ」
その答えにヴィーの顔を見ると、真っ赤になっていた。多分恥ずかしいのだろう、頬を両手で抑えて少し伏し目になっている。
ああ可愛いな、と思う。そして、俺には彼女のためにできることがあるってことが分かって、ほっとした。
「いえもちろん、きちんと書類は読みますし配下にもお手伝いいただいてきちんと書きますから!」
「ええ、分かっています。比較対象にするのも何ですが、兄も一応騎士で次期当主ですからね。それなりに任務の多さや厳しさは理解しているつもりです」
「あ、ありがとうございます……」
書類を読むのも書くべきことを書くのも、その任に当たっているのであれば当然のことだ。当然ではなかった人物も俺はよく知っているけれど、ヴィーはそうじゃない。だから本当に、安心できる。
一番身近だった『騎士職にある次期当主』があの兄上だというのが少し腹が立つけれど、でもその仕事を押し付けられていたせいでそれがどれだけ忙しいことであるのかは理解できるつもりだ。まあ、王家に仕えるのと自身の家の騎士団とでは違うだろうけどさ。
「それに、そういうことであれば俺は、ヴィーのお仕事を手伝うことができますね。書類さばきなら、任せてください」
そうして、俺は自分にできることを宣言してみせる。途端、ヴィーの顔がぱっと晴れた。まだ、真っ赤なままだけど。
「お、お願いします。もちろん、わたくし自身も頑張りますわ」
「ええ、一緒に頑張りましょう」
「はい!」
テーブル越しに伸ばした俺の手を、ヴィーはきゅうと両手で握ってくれた。細いけれどしっかりしていて、まめもある手。
君が、あの日から九年間努力していたその証。
「……はあ」
与えられた部屋、寝室のベッドにごろんと横になる。夕方まではゆっくり休んで構わないとのことだったので、お言葉に甘えることにした。明日にはこの街を発ってハーヴェイ領に向かうので、その前に体力を回復しておけということだろうな。
ちなみにこの部屋、宿の最上級の客室だということもあるんだろうが俺の寝室より調度品などの質が良い。さすがにリネンなんかはアルタートンのもののほうが上だと思うけど。
「……俺、ヴィーのお婿さんになるんだ」
アルタートン、実家のことはひとまず横に置いておく。
九年前、俺を元気づけてくれた口約束の主であるヴィーがヴァイオレット・ハーヴェイ、俺の婚約者だという事実を知ってほんの数時間……も経ってないか。知ってこの街に入ってお昼食べて今、だものな。
「書類作業だけじゃ、だめだよな」
なんとなく、口に出して言う。
ハーヴェイもアルタートンも、戦での功績をもって伯爵の位を得た家柄。裏側の思惑はどうあれ、外から見ればその両家が結びついたということで世間は俺に、相応の能力を要求してもおかしくない。
「辺境伯閣下だって、そこには期待してるかもしれないし」
クランド・ハーヴェイ辺境伯閣下。ヴィーのお父上で、俺との婚約に尽力してくれた現当主。
その人たちをがっかりさせてしまったら、あの口約束を守ってくれたヴィーにとてもとても申し訳が立たない。
俺はセオドール・アルタートンとして、ヴィーの婚約者として、頑張らなくちゃならない。ヴィーが俺を選んでくれてよかったと、皆に思わせてやらなくちゃならない。
「それで父上や兄上が文句をつけてきたら……どうしよう?」
なんだか余計なことまで考えてしまって、思わず首を横に倒した。
あの二人は、もし俺がそれなりに頑張ったらそれはそれで文句を言ってくるはずだ。何でかわからないけれど、現在のアルタートンの功績は自分たちが得たものであり、俺は役立たずであるということに『なっている』からなあ。
「……辺境伯閣下に、相談してもいいのかな」
兄上はともかく、父上が面倒事を言ってきた場合ヴィーでは多分対処しきれない。いや、物理的には対処できそうな気がしなくもないけれど、それはそれで問題が大きくなる。
「まあ、関税やら何やらがあるから、そう変なことは言ってこないと思うけどさ……」
特産品である絹の輸出に有利になるように、という思惑がある実家が、妙なことでその有利さを反故にするような愚かなことはしないと思う。いくら何でも、そこまで馬鹿ではないだろう。兄上はわからないけれど、父上は。
「辺境伯閣下にお目通りできたら、まずはお礼を言って、それからきちんと話をしないとなあ」
少なくとも、アルタートンは面倒くさい相手であるということは説明しておかないといけないよな。
それでこの婚約をなかったことに、と言われたらそれは仕方のないことだ。
でも俺は、ヴィーの隣に、いたいな。
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