02.婿入りの話
こんこんこん。
「失礼します。セオドール様」
「バロットさん。何ですか?」
ノックのあと、自分で扉を開いて入ってきたのはバロット。この家の執事で、つまり父上の一の部下と言って良い存在だ。
真っ白のオールバックにガッチリした身体つきは、父上に戦闘を教えた師匠だという過去の名残。もちろん、今でも強い。俺は、指一本で弾き飛ばされて終わりだったからな。兄上はきっちり教わっているそうで、俺が兄上に敵わない理由でもある。
「旦那様がお呼びでございます。最優先で、お部屋にご案内するよう仰せつかりました」
「え? は、はい」
バロットにそう言われて、俺は思わず目を見張った。父上が、俺を呼ぶことがあるなんて。というか、家にいたんだ。
……もっとも、どうせろくな用事ではないだろうと思う。兄上に立場を叩き込まれて以降、バロットや他の使用人たちに連れられて行った先であったことと言えば新入り相手の模擬戦とか、新作魔術の的とかである。
アルタートンの人間は妙に丈夫な身体をしているようで、模擬戦の相手には俺は便利な存在、ということらしい。
「分かりました。案内してください」
「はい。おいでくださいませ」
俺が承諾すると、バロットはそのまますたすたと部屋を出ていく。俺は慌てて、その後をついていった。
到着したのは、父上の執務室。アルタートン家当主のみが使うことを許される、とにかくシンプルに誂えられた部屋だ。
「旦那様。セオドール様をお連れいたしました」
「入れ」
「失礼します。父上」
お祖父様の頃からこの家に仕えているバロットですら、父上の許しがなければ入ることを許されない。後は兄上と、父上の配下と、掃除に入るメイドが数名ってところか。俺なんて、入室したことがあるのはせいぜい二、三回だっけな。
そうして、今回俺が呼ばれたその訳を父上は、さっくりとぶつけてきた。ひどく上機嫌な顔で。
「アルタートンに、喜ばしい話が来た。ハーヴェイ辺境伯家より、ご嫡女に婿をもらいたいという申し出があってな」
ハーヴェイ辺境伯家。
コームラス王国の国境を護る家の一つで、王家の覚えもめでたいと聞く。彼らが周辺国ににらみを聞かせているからこそ、この国は大きな戦もなく平和に過ごすことができている、という話だ。
ああ、確か次期当主と目されているのは長女のヴァイオレット嬢だったな。……え、ご嫡女の婿ってそういうことか?
「王家の信頼を得ているかの家とつながりを持つことで、我が家の格も更に上がるというものだ。受け入れない理由はない」
つまり父上は、辺境伯家と親戚関係になってアルタートンの価値を引き上げるチャンスをものにしたわけか。
そうして、俺を呼んだ理由はつまり。
「……婿に出るのは、俺ですね」
「当たり前だろう。我が家の大事な後継ぎを出す訳がない、役立たずのお前が最適だ」
役立たず。そう言って父上は、俺を鼻で笑う。父上にとって俺は、兄上の書類の手伝いをしているだけの穀潰しにしか見えていないからな。
王都守護騎士団の副長という役職に就いている以上、父上が今日のように在宅していることは少ない。兄上の、家での仕事ぶりなど見たこともないのではないだろうか。
それに……仕事ぶりはともかく、兄上がこの家の後継者だということは決定済みだ。既に、ベルベッタ嬢という婚約者もいる。だったら、次男である俺が家のために婿に出されるのは、至極当然のことだ。
さて、そうすると俺は何をすべきか。
「わかりました。それで、どうすれば」
「三日やる。すぐに荷物をまとめろ」
「は」
三日。荷物をまとめろ。
何かいきなりだな……要するに後三日で、この家を出て辺境伯家に婿入りしろということか。
父上はそれでいいとして、ハーヴェイの方は都合ついているのだろうか……という疑問は、あっさり解消する。
「こちらからそう申し出て、ハーヴェイも承諾している。次期当主がまもなく妻を迎える家に、役立たずの弟がいてはかわいそうだろうが」
はは、そうか。
俺は、兄上の結婚式にすら出席させられない存在ということか、父上。
「……わかり、まし、た」
わかったよ。そういうことなら、すぐにでも荷物をまとめてやる。
婿ということで、ハーヴェイ家でどれだけこき使われるかはわからないけれど……いくら何でも、この家より酷いということはないだろうし。
ああ、でも結局、ヴィーには会えないままか。それはそうだよなあ、あれは子供の口約束でしかないんだから。
少なくとも、十八歳まで頑張って生きたから、アルタートンの家を出ることになったよ。ヴィー。
さて。
婿入りの準備、といっても大した荷物があるわけではない。
「一応婿ってことだし、生活に必要なものは揃えてもらえるはずだよな。となると……」
服と下着はある程度揃えていけば、新しいものはあちらでも手に入れられるだろう。
愛用の文房具……ペンとインクと、書き損じなどの紙を束ねたメモ帳は持っていこう。あちらで、あまり良い紙を無駄に使うこともできないだろうし。インクは書類を書くのに必要だから、頼めば仕入れてもらえるとしても。
そして、本。王国と隣接するいくつかの国の言葉を覚えるための教科書と、子供の頃に読んでいた絵本。俺にとっては大切な宝物だけど、残していったら多分捨てられるしな。
「……このくらいか」
これが女性であれば、母上や婚約者などから頂いた装飾品なんかも入るのだろう。けれど俺は男で、かつ兄上の影に隠れた役立たずの次男だ。
兄上は騎士団に入った折に父上から剣を贈られていて、それを自室に飾っている。俺には、そういうものはなにもない。
生まれたときに守り刀をもらったらしいけれど、今部屋を探してみてもそういうものは出てこない。一度、兄上がお前にはもったいないとか言っていろんなものを部屋から持っていったことがあるから、おそらくその中に入っていたんだろう。
「ま、いいか」
アルタートンの人間でなくなる俺には、アルタートンの守り刀はいらない。
……ハーヴェイで、ちゃんと暮らしていければいいかな。うん。
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