01.兄弟格差

 アルタートン伯爵領は、コームラス王国の王都から馬車で一日ほどの距離にある。

 代々の当主が王都守護騎士団に属し、その幹部として働いていることが影響しているようだ。……というよりは、騎士団で名を挙げた先祖が爵位と領地をもらった、ということのようだけれど。

 現在の当主である父上、ジョナス・アルタートン伯爵は騎士団の副長と、そして第一師団長を務めている。長男であるロードリック兄上は父上の下につき、現在は部隊を一つ任されているとのことだ。


「……やれやれ」


 父上は現在、領主としての務めの一部を後継者であるロードリック兄上に任せている。そして次男であるこの俺、セオドールは兄上の補佐として、主に書類のサポートを行っている……と、父上は思っているらしい。

 少なくとも、兄上のお手伝いをするくらいは当然のことだ、と思っているさ。兄上がこの家と父上の後を継ぐ以上、俺はどこかに婿入りなり独立なりをするまではその補佐をすべきだと。

 でもなあ、と思いながら扉をノックする。ほどなく開いて、兄上の侍従がどうぞ、と目礼で迎え入れてくれた。俺にはそんなのいないけどね。


「失礼します、兄上」


 ワゴンに積み上げた書類を、ロードリック兄上の部屋まで運び入れる。そのまま、執務机の横まで動かして固定。

 俺が自室で使ってる机よりも新しく重厚な執務机、その向こうで兄上はこれまた質のいい椅子に腰を下ろしたままだ。そうして俺を見る目は、酷くつまらなそうで。


「本日分の書類をお持ちしました」


「遅い」


「申し訳ありません」


 兄上の不機嫌な一言に、ほとんど反射的に俺は謝罪の言葉を口にして頭を下げた。そうしなければ次の瞬間、俺は兄上の拳で壁に叩きつけられているからだ。


「まあいい。俺の補佐として、少しは役に立っているようで何よりだ」


「ありがとうございます」


 その後、俺が机の上に移動させた書類を一瞥して兄上は機嫌を直してくれたようだ。今度はありがとうという意味を込めて、もう一度頭を下げる。

 ……ただ。

 俺が持ってきた書類は、本来であれば兄上がここまで処理すべき書類。提出されるときには、責任者として兄上のサインが記されるものだ。つまり、上からしてみれば兄上がこの書類に記される内容を処理してその結果作成したものだと認識される。

 実際にこの書類を作成しているのは、まるっと俺。補佐って、そこまでやるものだったかな。


「ちゃんとまとめてあるんだろうな?」


「はい」


 守護騎士としても、領主補佐としてもそれぞれ仕事は多くある。もちろんどちらの地位でも部下はいるし、それらをうまく使って仕事を進めるのが当然だろうな。

 ただ、兄上は書類の処理を俺に任せている。補佐なのだから当然だとか言う以前の問題で……正確に言うと、ほぼ丸投げ。

 父上の部下や兄上の部下がまとめてきた資料などを処理して、清書して兄上の部屋まで持ってくるのが俺の仕事、ということになる。ちなみに扉を開けてくれた侍従は、俺のところに資料を持ってくるのが仕事だ。少なくとも、俺から見た場合。


「よし。では、次はこちらだ」


 せめてその内容を精査してくれてるならともかく……一度ちょっとしたミスで差し戻されたことがあるんだけど、その責任を兄上は全て俺にぶつけた。いや、たしかに俺のミスではあるけれど、兄上がチェックしていれば気づけたはずで。

 今も、書類のチェックもせずに兄上は次の書類を持ち出してくる。ざっくり見たところ、先日の魔物討伐の報告書らしい。


「俺は昼から、ベルベッタと茶会だ。夕食には帰ってくるが、こいつは明日の晩まででいい」


「わかりました」


 兄上自身は報告書を書くことすら俺に放り投げて、自分は婚約者たるベルベッタ・ガーリング嬢とお茶を飲むらしい。明日の晩まででいいとは言うけれど、この言葉を本気にしたら怠け者、と蹴り飛ばされるのがオチだ。

 ベルベッタ嬢のご実家であるガーリング侯爵家は、母上の実家であるグラッサ伯爵家と親戚関係だ。それもあって、九年前のパーティで顔を合わせた後婚約が締結されたようだ。いや、俺は蚊帳の外だったからよく知らないんだ。


「用事は終わりだ。さっさと出て行け、目障りだ」


「はい、失礼します」


 ふんと鼻息の荒い兄上に深く頭を下げて、新しい書類を載せたワゴンを押して退室する。侍従は扉を閉めながら、最後の一瞬俺を鼻で笑った。……確か子爵家の三男だったと思うけど、失礼のないように仕事できているのかな。


「魔物討伐の報告書くらい、自分で書けと思わんでもないけどなあ」


 自室に戻りながら、口の中だけで呟く。ワゴンの上に積み上げられた書類……いや、殴り書きに目を走らせながらそれは無理だと結論づけた。兄上、実は悪筆である。あの侍従が右筆をやっていたこともあるらしいけれど、現在は俺がその役だ。

 それにしても、婚約者かあ。

 確か、四ヶ月後にはベルベッタ嬢が俺の義姉となるはずである。兄上は建前上仕事がお忙しいので、結婚式の準備は両親に丸投げであろう。昼からの茶会というやつも、母上がまるっとセッティングしてるはずだし。

 なお、結婚その他において兄上自身のサインが必要な書類は、さっき俺が持っていった山の中にある。婚姻届はさすがにないけれど、将来の財産分与とかこう、いろいろあるからね。

 それはそれとして。


「最近、魔物増えたかな」


 さっきの山の中にも、魔物討伐の報告書はあった。そして、今持って来てる書類もそれだ。

 確かに、王都守護騎士団の重要な任務の一つに王都近辺における魔物の討伐、というのはあるけれど。

 コームラス王国は軍や騎士団を持っているけれど、例えば隣国などとの戦というのは今はほとんどない。時折ちょっかいを出してくる国はあるけれど、それは確か辺境に領地を持つ貴族が追い返しているはずだ。

 故に父上や兄上の仕事は、部下たちの訓練や魔物の討伐ということになる。王都から離れた場所であれば、そちらに領地を持つ貴族の軍の任務になるけれど。


「……ま、いいか。俺には関係ないや」


 父上とは手合わせしてもらったことがないけれど、兄上には散々打ちのめされた。一歳しか違わない兄上にボロクソにやられる時点で、俺は騎士団に入る道は断たれた。入団願いを出したところで、父上や兄上が破り捨てて終わりだろう。

 力で敵わない俺は、兄上が手掛けるべき書類のほぼ全てを押し付けられている。拒否すれば死なない程度に叩きのめされて、父上や母上には体調不良で休んでいると言われて終わりだ。なお、経験済み。

 その両親……特に母上は、本来兄上が手掛けるはずの書類を俺がほとんど仕上げていることに気づいていない。兄上の筆跡が綺麗だ、と褒めているところを見たことがあるから。

 俺がやっているのはせいぜいが兄上のちょっとしたお手伝い、という認識だろう。

 そして、兄上は忙しいのだから役立たずの弟が手伝うのは当然、と。


「……ヴィー」


 君は、元気かな。

 俺は、頑張ってるよ。

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