第3話 やけ酒と腐れ縁





 子牛亭へ着いたのは、空が茜色に染まり始めたくらいのときだった。


 商店街の小路地にひっそりと佇む、隠れ家と呼ぶに相応しい小さな木造の居酒屋。それが子牛亭だった。


 店内には、何人か客が入っていた。私とクローネが入ってきても、軽く流し見た程度で気にした様子はない。視界の端でクローネがほっとしているのが見えた。


 どこに座ろうかと見回していると、子供くらいの大きさの女性が近寄ってきた。


「あら、クローネとアイファ。いらっしゃい」


「どうも」クローネが頭を下げる。


「あっちの奥の方に座って。飲み物はエールでいい?」


「……いや、今日はアクアヴィテにしておくよ」


 アクアヴィテとは、大麦の蒸留酒だ。


「いきなり飛ばすわねえ。アイファは? エールにする?」


「ええ。よろしく。エレナさん」


 エレナさんは了解と答えると、奥の方へと消えていった。パタパタと歩く姿はどう見ても子供にしか見えないが、あれでも二十八歳だ。エレナさんはドワーフのハーフであった。


 ハーフ。私と同じだ。そして、私とは違い忌むべき者として同族から嫌われはしない。


 下らない感傷が浮かびそうになったので、そうそうに打ち消して席についた。


 まもなく飲み物が運ばれてきた。巨大な人影が、私達のテーブルに降りている。運んできたのは二メートルはあろうかという大男だった。緑色の鱗をもつ、竜人族の男だ。目元に大きな傷がある。


 店長のジークさんだ。子牛亭という看板を背負うには、あまりにも似つかわしくない風体をしている。


「……今日はやけ酒かい?」


 ジークさんの言葉に、クローネは苦笑いを浮かべた。


「まあ、そんなところです」


「そうかい。酒で充分に消毒して、明日からの活力にするといい」


 そう言うとジークさんは太い手にもっていた酒を置いた。なみなみと注がれた大ジョッキと、蒸留酒のビンだった。思わずクローネと顔を見合わせた。


 ジークさんは豪快に笑う。


「サービスだ。泣くほど感謝しろ」


「店長……」


 クローネは本当に泣きそうだった。


 こんなに飲めないんだけど。そう思ったが、なにも言わなかった。とりあえず料理を注文する。名物のルーンアップルのパイと草食竜の唐揚げを頼むと、ジークさんは大声で指示した。


「それじゃ、奥さんも楽しんでいけよ」


「はあ? 誰が奥さんよ、誰が!」


 私は思わず立ち上がって叫びをあげた。


「そんなムキにならなくてもいいだろ? いつも一緒なんだし、似たようなもんだろう」


「こいつとはただの腐れ縁よ! こいつがいつまでもマトモなパーティが組めなくて可哀想だから、仕方なーく付き合ってやってるだけなんだから!」


 早口でまくし立てると、ジークさんは気圧されたように体を引いて、「お、おう」と引き気味に言っていた。はっと我に帰ると、クローネが苦く口を吊り上げていた。


 しまった。フォローしなきゃ。


 そう思って口を開こうとしたら、クローネが先に言った。


「そうだぜ店長。アイファが俺の奥さんだなんて、天地がひっくり返ってもあり得ねえよ」


 私はクローネの脛を蹴っていた。フォローする気なんか消し飛んでいた。


 クローネが悲鳴を上げて抗議の眼差しを向けてきたが、無視をする。イライラが収まらず、エールを勢いよく呷った。


 どうしてこうも苦いのかと思える温い液体が、喉を通って身体に染み渡ってゆく。半分ほど飲んで、ドンッと叩きつけるようにグラスを置いた。


「あんたも飲め! 喉が焼けるくらい」


「お、おう」


 クローネは勢いにおされるようにグラスに酒を注いだ。ジークさんが肩をすくめて、カウンターの方へと戻っていく。


 その後は届いた料理に舌鼓を打ちながら、私達は酒を飲んだ。最初に勢いに任せて口をつけたからだろう。いつもは一杯飲めればいい方なのに、グイグイ入ってくる。


 今日はなんだか調子がよい。クローネも黙って蒸留酒を舐めていただけだったけど、いつもよりペースが早くて、顔は赤かった。


 気づかないうちに日が沈んでいた。窓の外は暗がりに包まれ、炎魔法の外灯が優しく闇を照らしている。店内の客も増えてきたからか、エレナさんが慌ただしく動き回っていた。


 喧騒を増した店内で、私達は静かに飲んでいたからだろう。客の声が、ふと耳に入ってくる。


「……知事選どうする? お前、どの候補に投票するか決めたか?」


「一応、ヒルフェ候補にする予定だよ。現職のグリム候補は駄目だ。失策ばかりだしなあ」


「まあ、そうだよなあ。それが一番固いか。ヒルフェ氏が支援している『フライハイト』も、アイン昇格のかかった上位クエストに挑戦するらしいし、それが成功すりゃ間違いなくあの人で決まりだろうな」


「『フライハイト』の出陣式ってたしか一週間後だっけ?」


「そうそう。街中から人が集まるだろうから早く席取りしないと、見れないぞフィリーネちゃんの勇姿が!」

 

「……お前、本当はフィリーネ嬢を見たいだけだろ」


 私は酒を煽って、息をつく。


 テオドール歴1510年――今年は六年に一度のノルドブルク知事選が行われており、どこもかしこもその話題で持ち切りだった。


 ヴォールテール共和国は選挙制の国家で、基本的にどの都市も最高責任者である知事を選挙で決めるようになっている。五族協和をスローガンに掲げる国だけあって、立候補者に種族の縛りはない。


 人間、エルフ、獣人族、竜人族、ドワーフ――。


 これらすべての種族に政治参画と投票権が与えられている。だからこそどの都市でも、選挙は市や祭りの開催に等しく……いやそれ以上に熱狂的な盛り上がりを見せていた。


 まあ、娯楽なんて酒くらいしかないだろうから、盛り上がる気持ちはわからなくはない。だけど、私にとってノルドブルク知事選は単なる娯楽ではなく冷たい戦略でしかなかった。


 その意味を知るものは、ここには私以外誰もいない。


 私は、黙り込んでいるクローネを見遣り、選挙の話題でも出そうかと口を開きかけた。


 だが、それよりも先にクローネが言った。


「……なんで、こんなに上手く行かねえんだろうなあ」


 



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