第4話

 インターホンが鳴る。

「もう来たわ。この店は美味しくて早いから、出前をとるときは重宝してるの」

 確かに早かった。電話をしてから二十分もかかっていない。受け取ろうと玄関を出ると、門扉の前に一台のバイクと、じゃれつこうとするシベリアンハスキーをやりすごす男の人が見えた。

「おまちでーっす、カツ丼、鍋焼きうどん、もりそばの三点で三五二〇円になります!」

 だがおれたちが近寄るなり、それまでの可愛げはどこへやら、シベリアンハスキーがグルグルとこっちを向いて威嚇しだす。

「ちょちょ、なんだよもう」

 友枝さんが用意したお札と小銭を、釣銭なしで渡す。男はハキハキと「毎度あり! それじゃあ、また容器を取りに伺います!」と言って、去って行った。

 ハスキーはまだ吠えている。一体おれはどれだけ嫌われてるのだろうか。とくに機嫌を損ねるようなことはしていないはずなのに。飼い犬のご乱心が気になったのか、友枝さんが玄関から顔をのぞかせた。

「こら、シロ。シッ! 静かにしなさい! ……ごめんなさいね、いつもは滅多に吠えないし、はじめましての方にもすぐなつくのだけれど」

「い、いえ。なんか、気に障ることしちゃったのかもしんないっす」

 そんな会話を交わしながら、背後の威嚇をやり過ごして家の中に入る。真夏にカツ丼と鍋焼きという暑苦しい組み合わせにも、友枝さんは笑ってくれた。カツ丼はうまかった。喫茶店でしっかりカレーを食べたというのに、ぺろりと平らげてしまった。隣の男は言わずもがな。手を合わせ、あらためて「ごちそうさまでした」という。

「そういえば、最近は珍しいですね。犬を外で飼うの」

 阿久津が食後の日本茶をすすりながら言う。おそらく、世間話をしながら手紙のことを切り出すタイミングを伺っているのだ。おれはそんな思惑に乗ってやる。

「番犬ですか?」と聞くと、友枝さんは「そうねえ。最初は室内犬だったんだけどね」と答えた。

「……ちょうど一年前、空き巣が来たことがあって」

「あ、空き巣!?」

 予想外の反応に、おれは声を裏返した。

「ああ、いえ、未遂なのよ。まぎらわしくてごめんなさい。いまだったら信じられないけれど、そのときは窓を開けて寝ていたの。ほら、年寄りだからクーラーの風はきつくてねえ。旦那は怒るのだけど、門も鍵がかかっていたし、大丈夫だろうと思って」

 友枝さんが眉を下げながら窓際に目をやる。

「そしたら突然、シロが窓の近くで吠え出して。近くに行ったら、庭に知らない男が立っていて……」

「ええ……それは……その、大丈夫だったんですか?」

「ええ。実害はなかったのよ。ただ、心臓は止まりそうになったけれどね」

「……知りませんでした、そんなことがあったなんて」

「そうよ、初めて言ったもの」

 友枝さんがいたずらっぽく笑い、日本茶を飲む。すると隣の阿久津が、冷静に尋ねた。

「警察には?」

「まあ、すぐに逃げていったし、なにも取られていないから」 

 友枝さんが苦笑する。そんな反応に、にわかに霧のような不安が立ち込めた。ううん、ずいぶんとこう、平和すぎるのではないか。おれは小綺麗に整った居間を見渡した。広々としたフローリングの空間に小洒落たランプや観葉植物が並んでいる景色は、うちにはお金があります、と言っているようにも見える。

「それからは戸締りをしっかりしているし、念のため、外にユキを出したわ。まあ気休めだけれど」

「……やっぱり、警察に相談した方がいいんじゃ……。シロくんだって、おれたちには吠えてたけど、出前の人にはなついてましたし」

「そうね……話だけでもしてみようかしらね」

 だが、それは「行けたら行く」というせりふ以上に実効性はなさそうだった。いまは旦那さんのことで頭がいっぱいなのかもしれない。これ以上しつこく追及すると心労を増やしかねないと思い、おれは素直に引き下がる。

 阿久津の様子を伺うと小さく頷いたので、おれも同じように返した。友枝さんが手紙の話をしない以上、深堀りするのはよろしくない。今日はこの辺にしておこう――そんな考えはこいつも同じだったらしい。だが「そろそろお暇します」と言いかけたとき、たまたまだろう、壁のカレンダーの方を向いた友枝さんが、ぼそりとつぶやく。

「……そう、去年の今日だったわ」

「え」

「空き巣が来たのが、去年の八月十三日だった」


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