第2話

 三上さんというのは、居酒屋『よっちゃん』の常連の老夫婦だ。おれが働き始めたときからすでに常連だった。七年前にこちらに越してきて、夫婦二人と犬一匹、穏やかも寂しく過ごしていたところ、たまたま寄った居酒屋の味に惚れて、週に一回は通ってくれるようになった、ありがたいお客さんだ。

 支払いも現金でしてくれるし、空いている時間を選んできてくれる。急なときは電話を一本入れてくれる。そう言う気づかいのある人たちだった。旦那さんの方は足が悪いのか杖をついていて、それを支えるように奥さんが横に佇んでいる。でもその実、奥さんの方が主導権を握っていて、なんでも先回りしてちゃきちゃきとこなしてしまう、そんな関係性に見えた。

 つい半年前には、地方で働く息子さんとその家族を連れてきてくれたこともあった。そのときの、いつもは無口な三上さんの賑やかな笑い声と笑い皺の濃い笑顔は、なんだかとても印象に残っている。

 そんなふうに、たまに息子家族と食事をし、普段は無口な夫と、そんな夫の尻を叩きつつ生き生きふるまう妻の二人暮らし。それがおれの三上さん夫婦のイメージだ。そう、誰が見ても、理想的で幸せな老後。

 それなのに。

「変な手紙って?」

「たった一行だけの手紙が来たらしいんだよ」

「なんて書いてあったんですか?」

「『今年もまた伺います』、だったかな」

「……『今年も、また』?」

 おれはオウムがえしする。ああ、とタケさんは頭をかいた。

「しかも差出人は不明。不気味だと思わねえか?」

「それは……ちょっと気持ち悪いっすね」

 なんだかあの穏やかな三上さんと、奇妙な手紙が結びつかない。阿久津がモゴモゴと「間違いなんじゃないですか」と聞いた。タケさんが腕を組んで答える。

「宛先もきちんと書いてあったらしいし、それはねえな」

「また、ってことは前にも来てたんスかね」

「さあな……。奥さんもぽろっとこぼしただけで、詳しくはわかんねえんだ。だけど別に危害を加えるような内容じゃないから、警察に言ってもしょうがないしよ。なんかもやもやするよな、って話だ」

 おおかた単なるイタズラだろうが、しばらく三上さんの顔を見ていなかったから、少し心配になってくる。この店が休業に入る少し前あたりから、三上さんが顔を出す頻度が減っていたこともある。胸に植え付けられた不安の種。このまま芽は出なければいいのだが、変な方向に事態が向かうのも怖い。おれは顔を上げた。

「もしあれだったら、おれ、三上さんに会って話聞いてきますよ」

「え?」

「こいつと一緒に」

 急に振られた阿久津は目をパチパチとさせて、それでも頷いた。

「ほら……寄付の件も、まだちゃんとお礼ができていなかったので」

 タケさんは「そうか、その話もあったな」とつぶやき、「それならちょっと、三上さんに連絡してみるよ」と笑った。

 迷ったらすぐ行動。そうだ、これでいい。絶え間なく飯を摂取し続ける後輩を見、お前予定は、と聞こうとしたら、「野沢菜の漬物とライス下さい」とか言いだしたので、おれは空いた皿を無言で片付けた。

 どうやら今日も閉店コースだ。どんなに食ってもそれが筋肉になる体を恨めし気に見、テーブル席からの呼びかけに気合いを入れて返事をする。一組のサラリーマンが支払いを終えて帰るとき、外から叩きつけるような雨音が聞こえた。外はすでに、一面水の世界へと変貌している。

「やべえ、今日傘持ってきてねえんだよなあ」

 すると阿久津が、お返しのように半ば閉じた目をこちらに向けた。

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