第14話
その知らせが来たのは、祭りのあとだった。
休憩時間を少しオーバーしてしまい、誰かさんの冷たい視線にさらされるというハプニングはあったものの、その後もかき氷屋は順調だった。加藤さんによれば、あいにくの天気だった去年と比べて二倍ほどの人出だったという。
片づけも大方終わり、売り上げも確定し、あとはテントを撤収するだけの段階になったころ。そんなとき、血相を変えたあかりさんがおれたちのところに走ってきた。
「丈、相沢くん! それに加藤さん。宏太くん、見ませんでしたか⁉」
「宏太? いえ、一度も見てませんけど……」
「何かあったのか」
顔を手で覆いながら、あかりさんが声を詰まらせた。
「宏太くんが、怪我をしたまま見つからないの……」
話によると宏太は、あの後の午後二時過ぎごろに学校に現れたらしい。ウサギ小屋の周りをうろうろしていたという彼は、しかし運の悪いことに、用務員の佐藤さんに見つかってしまった。走って逃げていたところ、ざらざらとした荒いコンクリートの地面で、思いっきり転んでしまったらしい。
「保健室で処置したあと、私がちょっと目を離したすきに……。自宅の電話にも出ないし、ご両親の携帯も繋がらないし」
「姉貴、落ち着けよ。転んだだけだろ? そんなに心配しなくても大丈夫だ」
「そうよ先生。道宮さんのとこの子でしょう? そのうちひょっこり出てくるわよ」
「でも、腕にもひざにもけがをしていたし、それに、」
あかりさんがしょんぼりと俯いた。
「何だか、落ち着きがなくて……いつも以上に思いつめたような顔をしていた気がするの」
「おれ、探してきますよ。なあ阿久津」
エプロンと三角巾を外す。阿久津はすでにそれらを畳み終え、ていねいに机の上に置いていた。
「ああ」
「ちょっと、片づけは……」
「スミマセン、それより重要なこと、できちゃいました!」
加藤さんはポカンとしていた。文句を言われる前に、おれと阿久津は校門に向かって走りだす。
「よろしくね。見つかったらすぐ連絡してね」
必死な声。あかりさんには思うところがあるのだ。だったらその勘を信じないでどうする。おれは努めて明るい声で、「任してください!」と叫んだ。
まず最初に向かったのは宏太の家だ。
あかりさんは電話しても出ないと言っていたから留守だとは思うが、この前みたいに、マンションの前で待ちくたびれているんじゃないかと思った。が、やはりそこに宏太の姿はなかった。
オートロックのインターホンに、あかりさんから聞いた部屋番号を入力する。だが呼び出し音が空しく続くだけで、応えるものはない。
「家に帰ってるなら問題ないんだけどな」
「そうだな……」
「取り越し苦労ならそれでいい。おれたちにできることは、まだ帰っていない可能性を考えて動くことだけだ」
おれは頷く。その通りだ、でも、そうではない気がした。なぜだろう、これが杞憂では終わらない気がした。
「わざわざ学校まで来て、祭りにも目をくれずに、あいつは何がしたかったんだろうな」
阿久津が、ぼそっとつぶやいた。
「うさぎのエサとかお世話に関しては問題はなかったって、あかりさんが」
「何かを探してたのか」
「え?」
「あんた、そう言ったろ」
タワマンを見上げながら、阿久津が言う。
「その野生みたいな勘で」
「……なあ、二手に別れよう。お前はここにいて、宏太が帰ってきたら連絡してくれ。おれは学校の近くをもっと探してみる。そんな遠くには行っていないと思うから」
阿久津の問いに答えなかったのは、おれだって確信があったわけじゃないから。それに、昔の自分に少し重なったなんて言えなかったのだ。それでも阿久津は、心得たように頷いた。
おれとは来た道を戻り、例のペット用品店や、学校近くの公園、そして塾の方にも足を運んだ。だが、やはり見当たらない。見かけた人もいない。連休中は塾も休みだったから、もちろん周辺には誰もいない。
いつもは知らず知らずのうちに現れるのに、いざ探してみるとまったく姿を現わさない。何だそれ。まったく、いつもいつも振り回しやがって。あかりさんがどれだけお前のこと心配してると思ってるんだ。そう心の中で文句を垂れても、状況は変わらず、ただ焦りだけが募る。
日は一日一日と長くなっているはずなのに、それでも太陽が沈むのは早かった。阿久津からの連絡もない。仕事を終えたあかりさんも合流し、二人で探しまわった。もう一度、学校も探した。宏太が行きそうな場所を、手あたりしだいに探した。それでも見つからない。
「どうしよう。なにか犯罪に巻き込まれてたりしたら……」
いよいよ、警察に連絡しなければならないのか。そう思い、駅前の交番に向かおうとしたとき、手元のスマホが鳴った。表示されたのは阿久津の名前。慌ててスピーカー状態にしてから、デカい声で聞いた。
「見つかったか!?」
「ああ。便所行こうと思って駅前に行ったら、改札前をうろうろしてた」
少しかすれた阿久津の声。おれはあかりさんと目を合わせながら聞いた。
「そこにいるのか?」
「いまはマンションの前にいる。親は出かけていて、まだ帰ってきてないそうだ」
通話ボタンを切ったら、どっと疲れが押し寄せる。あかりさんはしゃがみこんで、その膝に顔をうずめた。
「もう……」
その二文字にこめられた思い。良かったな、宏太。こんなふうに本気で心配してくれる先生がいて。今日一日太陽に照らされ続けて赤くなった首筋が、街灯に照らされてほのかに浮かび上がる。
「ふとした瞬間に、糸が切れてしまうというか。そんなときってあると思うの」
「……はい」
駅までの道を、今度は走らずに、あかりさんと並んで歩く。
「誰にも何も言わず、あきらめたような顔して、そういう人いるじゃない。宏太くんはね、学校でも、いつでも一人なの。よく同じ服を着てるからからかわれて、でも人に手をあげたりはしないの。かと思えば奇行に走るし、でも、やっぱりそう言う顔をするの」
とりとめがなくてごめんね。そう言ったあかりさんの横顔に阿久津の面影を見て、ああ、やっぱり姉弟なんだなあと思う。夕焼けの名残が消えて、常緑樹に囲まれたこの辺は静かな暗闇に包まれている。あかり先生がかけてほしい言葉はなんだろう。おれに言える言葉はなんだろう。考えがまとまらないまま、でも、気付けば言葉を紡いでいた。
「きっと、あかり先生には話してくれますよ。……宏太は、きっとわかってる。本気でぶつかってくれる人間を、宏太はちゃんと、わかっていると思います」
「そうかしら」
答えるまでの間には、少し間があった。でもその語尾が少し明るかったように感じたので、ひとまず胸をなでおろす。
「丈は、良い先輩を持ったのね」
「いや、っへへ、そうですかね」
褒められることに慣れていなかったから、ちょっと挙動不審気味に返す。あかりさんは高い声で笑って、そうよ、と言った。
「丈はね、人と仲良くなるのが昔から苦手なの。友達を家に連れてきたこともない。だから本当に、彼があなたを連れてきたときはびっくりしたのよ」
「そ、そうなんですか」
「ありがとうね、相沢くん。丈と仲良くしてくれて」
「いやあ、丈くんには怒られてばっかりですよ。おれはよく遅刻しちゃうんですけど、丈くんは絶対時間を守るし」
おれは何を言っているんだ。まるで初めて彼女の両親に会った彼氏みたいなセリフじゃないか。だがあかりさんが気になったのはそこではなかったようで、「あら、おかしいわね」と返す。
「私と待ち合わせするときは、よく遅刻するのに」
「そ、そうなんですか」
「そうよ、意外と時間にルーズなのよ、あの子」
いつの間にか駅前の明かりが見えている。おれたちは早足で、宏太のマンションに向かった。
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