第13話
焼きそばか、たこ焼きか、はたまたカレーか。校庭を三週くらい回って考えて、カレーが嫌いな小学生などいないだろうと考え、二人分のカレーを買う。
「ハル、カレー食おうぜ」
ぼうっとこいのぼりを見上げていたハルはおれに気づかなかったのか、驚いた顔をした。だがすぐにおれと、おれの持っているカレーを見て破顔した。
「やった。先生、ありがとう」
「アレルギーとか、ないか?」
「うん。喘息はあるけど、食べ物は平気なの」
「え、喘息持ちなのか? 大変だな」
ハルはううん、と首を振った。それから、「にんじんは苦手だけど、でもカレーに入ってたら食べれるよ」と報告してきた。
正直なところがハルの良いところ。おれは「えらいじゃんか」と笑いかける。カレーはうちで作るのより大分甘めだった。カレーは辛いに越したことはないと思っていたけど、これはこれでうまい。新しい発見だった。
「でもまあ、喘息はいまは平気なんだな。ならよかった」
カレーを口に運びながら、ハルはぱちぱちと瞬きした。そのあと首を傾ける。
「いや、今日はマスクしてないからさ」
そういうことか、とハルが笑う。
「ちがうよ。マスクしてるのは、わたし、花粉症だから」
「そうだったのか。気づかなかった……。もう平気なのか?」
「うん。だってもう春じゃないから」
足をバタバタさせて、ハルが祭りの喧騒を眺める。さっきとは違い、焦点が合っているだろうその目に安心した。
「誕生日が来るころにはね、もう花粉症は大丈夫なの」
「え、誕生日?」
「うん」
「いつ?」
「今日」
むせかえりそうになったおれを見て、ハルがけたけたと笑う。
「マジで⁉」
「うん」
「なんだよ、早く言えよ。ちょっと待て、いまラムネも買ってくる」
誕生日プレゼントにはちょっと貧乏くさいかもしれないが、他に何もないからしょうがない。だがハルは嬉しそうに、それでも「いいの、カレーおいしかったから」と言った。
「炭酸飲めないし」
「そうか……」
すとん、とまた腰かける。いや、せめて他の飲み物でも買ってくるか――そう思ってまた立ち上がろうとしたとき、誰かがこちらに駆けてくるのが見えた。
「あかりさん!」
「相沢くん、お疲れさま。大したものじゃないけど、良かったら飲んで」
右手にはラムネの瓶、左手にはオレンジジュースのペットボトル。あかりさんはそれらを、おれとハルにそれぞれ差し出した。
「あ、あざっす! あかりさんも、お疲れさまっす」
「ふふ。ハルちゃんにもおすそ分け」
「あ……ありがとう、先生」
汗を拭いながら、「日陰助かるわ」と言って、あかりさんがハルの隣に腰かけた。白いTシャツがまぶしい。ついでに笑顔もまぶしい。
「ハルちゃんは確か、炭酸が苦手だったわよね」
ハルは不思議そうにあかりさんを見る。どうして知ってるの? という顔だ。
「前、特別給食でオレンジジュースとコーラが出たとき、オレンジジュースの方が人気で、じゃんけん大会になったじゃない。でもハルちゃんはコーラで良いよって、じゃんけんに負けた友達に譲ってあげたのよね」
「でも、飲めないんだろ? 大丈夫だったのか」
「そこでジャンケンに勝ったはずの宏太くんが、やっぱりコーラにするって言いだして。交換したのよね。それで一件落着したのを、よく覚えてるの。いつもは問題ばっかりだけど、あの時は助かったよね」
トラブルの種、それが状況をよくすることもある。カレーだってスパイスが利いているからおいしいのだ。塩をかけるからスイカもより甘く感じる。ジェットコースターがあるから、メリーゴーランドの良さだって際立つ。おれは笑った。宏太の不満げな表情が、ありありと思い浮かんだからだ。
「そう言えば……相沢くん、宏太くん見た?」
「宏太……今日ですか? 見てないっすね」
「そう……。一応声かけたけど、やっぱり来てないのね」
ポスターの件を聞こうか迷って、少しどもりながら聞いた。するとあかりさんは見るからに表情を曇らせて、ううん、と口ごもる。
「宏太くんが落書きしてるのを、見てる子がいるの。佐藤さんもかなりお怒りで……今日、宏太くんのお母さんにお話を聞こうと思ってたんだけどね、ほら、来れなくなっちゃったから」
「そうですか……」
じゃあ、また塾に来たときに本人に聞いてみますよ。そう言おうとしとき、それまで黙っていたハルが口を開いた。
「先生、違うよ」
いつものおしとやかな、小さな声ではなかった。
「え?」
「道宮くんじゃないよ、ポスターに落書きしたの」
凛とした声だった。ハルのこんな声を、おれは初めて聞いた気がする。いままでのハルとは違う音だ。さなぎが脱皮して蝶々になったくらいに。
ハルはおれのことも、あかりさんの方も見ずに、まっすぐ前を見ていた。
そのメガネ越しに、ハルはなにを見ているんだろう。
「……それじゃあ、誰がやったんだ?」
「それは……」
目を伏せる。そこに映る葛藤をおれたちはすぐに察知した。あかりさんは「言いたくないならいいのよ」と言い、「でも黙っているのが辛くなったら、いつでも先生に言うのよ」と付け加えた。
まだ少しこわばったハルの顔。かける言葉はひとつしかない。
「そんなことより」
「うん」
「ハル、誕生日おめでとうな」
ハルが一瞬、ポカンとして、それから笑って頷いた。わたし、行くね。そう言って、ハルはゴミをきちんとごみ箱に捨てて、人波の中に飲まれていった。
「うさぎ小屋の件ですけど……宏太のやつ、扉を壊そうとしたんじゃなくて、エサをやろうとしたらしいです」
「丈から聞いたわ。そのときはね、担当の先生がエサを忘れてたみたいで……餌箱がカラカラだったの。そのあとすぐ気づいたんだけど、なんだろう、不器用なのかな。そう言ってくれればよかったのに」
「何か理由があるはずですよね。宏太が騒ぎを起こす理由が。おれは、ハルの言っていることは本当なんだと思います。ポスターの件は、宏太がしたことじゃない」
出会ってまだ一か月しかないのに、おれは確信していた。困らせてしまったかと思ってとなりを伺うが、あかりさんは小さく微笑んでいた。視線の先には、加藤さんや、となりの輪投げ屋のおばさんに絡まれている阿久津の姿がある。
「イタズラしたり、騒ぎを起こしてもね、本人はまったく楽しそうじゃないのよね」
「……?」
「ポスターの落書きにはね、明らかな悪意があったわ。どうして小学生がこんな言葉を知っているの、ってくらいの」
あかりさんが挙げた言葉に、おれは絶句した。落書きをしたのは大人なのではないか? そう思うほどに、不条理な大人の世界を垣間見る言葉だった。
「あの子は誰かを傷つけたり、迷惑かけても、それを楽しんでいるわけじゃない。教室を水浸しにしたって、花壇を荒らしたって、ウサギ小屋の扉を無理やり開けようとしたって、楽しそうじゃないの。誰が何を言おうと……その勘だけは、最後まで捨てたくないのよね」
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