第12話

「……こいのぼり祭りの手伝いィ?」

 阿久津が一枚のチラシを差し出す。

「そう。かき氷の店を手伝うはずだった人が、急に来れなくなったらしい」

「へえ」

「……だから、手伝いに行く」

 お前も付いてくるよな? という目をしていた。おれは優しいので、腹をボリボリとかきながら、わかったよと言ってやる。ちなみに今日は五月五日、祭りのまさに当日だ。なんならあと二時間で始まる。ハルがずいぶんと楽しみにしていたはずだ、と寝起きの頭で考えた。ちなみにこいつの突発的な提案はいつものことなので、それは大して気にしない。

「みっともねえからその寝ぐせは直せよ」

 連休の朝八時に家まで押しかけてきておいて、こいつは平気でそんなことを言う。おれは「はいはい」と軽く流し、十分待ってろ、と言ってドアを閉めた。

 まだぼんやりとしている目を、冷たいシャワーでこじ開ける。まだ昨日の皿洗いをしてないが、まあ、開店までに帰ってやればいいだろう。まだ眠っているだろう母を起こさないように、音を出さないように準備した。

「あんた、いつも半袖半ズボンだな」

「別にいいだろ。今日は暑いし……」

 半袖半ズボンでも問題ないくらいの気温、五月上旬にしては珍しい夏日だった。昼には三十度近くなるという。だから髪を乾かすのもそこそこに出てきたのだ。

「ポカリがうめえ季節だな」

「どうせすぐ梅雨になる」

 だからこそ、梅雨明けほど暑くなく、梅雨ほど湿気が強くない、この時期が好きだった。初夏の特権。五月が誕生日のやつが、昔からちょっと羨ましい。

 小学校に着くころには、髪はからからに乾いていた。阿久津が校門で手作りのスタッフパスみたいなものを見せて中に入る。まだ一般入場者は入っていないが、この祭りの主催者であるPTAを中心に、お母さんお父さんと思われる人たちがせわしなく準備に追われていた。

「ああ、丈! それにアキくんもありがとう!」

 走ってきたのはあかりさんだった。肩にかけた白いタオルで、額の汗をぬぐって言う。

「ごめんね、急に頼んだりして。アキくんも大丈夫だった?」

「い、いえ! ゼンゼン大丈夫です! 暇ですから、基本!」

 おれはぶんぶんとおおげさに手を振って見せる。

「ありがとう。ふたりに手伝ってもらうのはね、かき氷のお店なの、詳しいことはそこの人に聞いて。それじゃ、お願いね!」

 そういうと、あかりさんはまた慌ただしく駆けて行った。小学校の先生というのは本当に大変そうだ。連休はこの日の準備に追われていただろう。バイト探しもせず、ダラダラと過ごしていた自分が恥ずかしい。

「大変だな、小学校の先生も」

「ああ。宏太のこともあるしな」

「え、なんかあったのか」

 あれ以来、宏太のイタズラは一応、落ち着きつつあった。だが、よく塾に来るのは変わらない。授業が始まるたびに来て、終わって数十分したら帰っていく。ストレートに塾に入りたたいのか、勉強がしたいのかと聞いたら、「んなわけねーだろバーーーーカ!!!」と叫ばれた。だったら何がしたいんだよ。そう聞いても、「うっせえクソジジイーーー!!」と言われるだけ。すっかりいつもの調子を取り戻している。

「学校に貼ってあったこいのぼり祭りのポスターが、油性ペンでめちゃくちゃに落書きされてたらしい」

「それで?」

「用務員の佐藤さん、いただろ。その人が宏太のせいに違いないって言い張るんだそうだ。というのも、目撃者もいるらしくてな。でも宏太はやってないと言う。話が大きくなって宏太の両親に連絡しようとしても、電話に一度も出ないらしい」

 おれの知らない間に、また新たな火種がくすぶっていたのか。頭を抱えたくなった。

「それで姉貴が板挟みになっててな。この前会ったとき、その話をぽろっとこぼしたもんだから」

 だから今日も、協力を申し出たのか。朝八時に仮にも元センパイの家に押しかけてまで。そう言えば、「センパイがちゃんと連絡を返す人なら押しかけてない」と言われた。おれは苦笑し、筋肉質な背中をばん、と叩いて言った。

「それにしてもおまえ、結構姉ちゃん思いだよな。意外だ」

「別に……」

 いつもだったら嫌そうにおれを見るのに、阿久津は姉を目で追うように顔を背ける。そこには触れられたくないというかすかな拒絶を感じて、おれは戸惑い、「まあ、はやくいこうぜ」と話題を変えた。

「あら、あなたたちが道宮さんの代わり?」

 かき氷屋のテントに行くと、ちゃきちゃきした雰囲気のおばさんが出迎えてくれた。

「はい。おれが相沢で、こっちが阿久津といいます」

「相沢くんに阿久津くんね。あたしは加藤。ありがとねえ、よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 あたりにはすでに、焼きそばやたこ焼きのソースの匂いが立ち込めている。ヨーヨー釣りやスーパーボールすくいもあれば、ラムネやコーラが氷で冷やされていたり。まさに一足早い夏祭りだ。

 青と白のテントが青空に映えるが、主役は圧巻のこいのぼりだ。風を一身に飲み込んで空を泳いでいる。まるで校庭が川底のよう。こいのぼりを見上げたのはいつ以来だろうかと、なつかしさに一瞬、目を細める。

「時間ないから、ちゃっちゃと説明しちゃうわね」

 とはいっても、特段難しい仕事はなかった。注文を受けたらかき氷機のスイッチをオン、器に氷を盛って、ご希望のシロップをかけて終了。値段は一律百円ぽっきり、なんと良心的なのだろう。

「なあ知ってるか? かき氷のシロップって、色と香りが違うだけでみんな同じ味なんだぜ」

「知ってる」

 十秒で会話が終了した。いつも通りの阿久津であることを確認したところで、開場の時間を迎える。エプロンをきっちりと閉め、三角巾もばっちり。手はアルコールでピカピカにして、準備万端、お客さんを待つ。

「いらっしゃいませー」

 校門の方から、どっと人が押し寄せてきた。子どもたちのキャッキャした声が響くと、校庭が一気に賑わいを増した。その中にどこか宏太の姿がないか探しながら、一人目のお客さんにかき氷を売る。かき氷屋は繁盛していた。大盛況と言ってもいい。作業自体は楽だったが、列ができるほど次から次へと注文が入るので、割と忙しかった。

「らっしゃっせぇ!」

 油断していたのか、掛け声に居酒屋勤務時代のクセが出る。すると、「なんか居酒屋の掛け声みたいねえ」と加藤さんに的確に指摘されてしまった。

「天気のせいかしら、去年より人出が多いわね。あなたたちが来てくれて逆に正解かも」

 太陽が真上に来たあたりで、ようやく客足もひと段落した。トイレから戻ってくると、加藤さんが売り上げをチェックしながら話しかけてきた。

「結構忙しかったっすよね」

「ええ。たぶん、おばさん二人じゃきつかったわあ」

 豪快な笑い声。

「それにしてもあなた、先生の弟さんなのねえ?」

「あ、うす」

「あかり先生って美人じゃない。やっぱり血は争えないわね~」

「……うす」

 悔しいがそれは否定できない。実際こいつはよくモテた。身長、ちょっと高すぎね? おれくらいがちょうどよくね? と思うのだが、どうやら重要なのはそこではないらしい。

「先生も若いのに大変よ。ただでさえいろんな仕事こなしてるのに、今年からちょっと問題のある子の担任にもなってねえ」

 それがだれを指しているのか、いやというほど心当たりがある。おれは平静を装って、そうなんすか、と相づちを打った。

「道宮さん――あ、今日来るはずだった人なんだけど――その人の息子さんでねえ。お母さんもPTAの役員だっていうのに、非協力的なのよ。そりゃ誰だってやりたかないわよ、PTAなんて。でもこういうのは持ち回りだし、そもそもお仕事のない人が率先してやるべきじゃない? このお祭りだってね、ここに来るまでほんと大変だったんだから。ラインは無視するから連絡も満足に取れないし、集まりもすっぽかすし。挙句の果てに急遽欠席よ? これってどうなの? ねえ、どう思う?」

 口を挟む隙が無いほどの連続攻撃。おれはノックアウトされそうになりながら、「いや、大変っすね」と言ってみる。

「その、こう……息子さんって――そんなに有名なんですか、その、いろいろ素行とか」

「そうよ、うちの学年じゃみんな知ってるレベルの要注意人物よ。この前なんて、うちの娘が追っかけ回されたんだから。いやよねえ」

「そうですか……」

 聞かなければよかったな、と後悔した。阿久津は黙って、机を拭いている。

「弟が一人いてね、その子がほら、結構有名な私立の小学校に通ってるらしいの。珍しく顔を出したかと思えば、それをマシンガンみたいに自慢してくるのよ。鬱陶しいったらありゃしない。あの親にしてこの子あり、って感じね……正直、マトモに話が通じる相手じゃないわ」

 宏太のお母さんに関しては一度会ったきりなので、本当はどういう人なのか、加藤さんのいう通りの人物なのかは判断がつかない。だから曖昧に笑うしかなかった。

 宏太は確かに問題行動が多い。他のいわゆる「ふつう」で「マトモ」な子供を持つ親からしたら、眉をひそめたくなる気持ちは分かる。また母親が加藤さんのいう通りの人なら、そりゃあ文句の一つでも言いたくなるだろう。

 焼きそばをおいしそうに頬張る子どもと、その頬を拭ってあげている母親がいた。ここにいる誰もが笑っている。笑っていなくても、楽しそうに見える。それだけでいいのに、一皮むくと、そこにはドロドロに煮詰まった感情が渦巻いている。

 なんだか目をそむけたくなったとき。下の方から、小さな声がした。

「レモンのかき氷、下さい」

 よく知る顔だった。

「ハル!」

 メガネの中のつぶらな瞳が、おれを見て微笑んだ。でも一瞬気付かなかったのは、いつもは隠れている口元が見えていたからだ。ハルはこんな顔をしていたのか。一か月間、ハルは鼻をかむとき以外マスクを手放さなかったから、なんだか新鮮な気持ちになる。

 小さな手のひらに乗った百円玉を丁寧に受け取って、おれは言った。

「おっしゃ、レモンだな」

 気持ち多めに黄色いシロップをかけて、おれはかき氷を差し出す。ありがとう、そう小さく呟いて、ハルが受け取る。そこで加藤さんが横から割り込んできた。

「あらハルちゃん。綾香は一緒じゃないの?」

「あ……綾ちゃんママ、こんにちは。その、今日は一人で来ました」

「そうなの。綾香、いつもの三人で行くって言ってた気がするけど……まあいいわ、ハルちゃんも楽しんでね」

「はい」

 こいのぼり祭りに行くことはちょこちょこ話してくれていたけど、まさか一人で来るとは思わなかった。ハルは体育館の方に行き、その手前の階段のところでちょこんと座って、かき氷を食べ始めた。ベロに染みた着色料を見せ合って笑う、そんな相手がいないかき氷っておいしいんだろうか。ふと、そんなことを考える。

「ハルちゃんはお父さんがいないのよね」

「え」

「なのに、お母さんが立派な人でね。女手一つでハルちゃんを育てているの。毎日パートで働いてるのに、去年PTAの役員にくじ引きで選ばれたときも、いやな顔せずニコニコしてたわ」

 どうしてこうも違うのかしらね。加藤さんは怒りが再燃したようだったが、それからおれは、加藤さんの愚痴を右から左に話を聞き流していた。この日を楽しみにしていただろうに、一人でいるハルから目を離せなかったからだ。

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