第8話

「ちょ、まて、このガキ!」

「ついてくんなフシンシャ! ヘンタイ!」

 すばしっこい生き物を捕らえるのは骨が折れる。虫取りと同じだ。都営住宅の間を縫うようにして走っていた宏太の動きを、駐輪場の前らへんで、阿久津と協力して挟み込むようにして止めた。すぐさま阿久津が宏太の首根っこを掴む。

「こら! 悪いことしたら謝らなきゃだめだろ!」

 おれはしゃがみこんで、宏太の頭をわし、と掴みながら言った。「な?」と宏太の目をじっと見ながら。すると宏太は、負けじとおれを睨み返してきた。

「……」

 子供の目は穢れない。よく大人はそういうけれど、それが少しわかった気がする。真っ直ぐこちらを射抜く瞳には、後ろめたさという濁りがひとかけらもない。

天然水で作った氷、あるいは雨上がりの水たまり、コップに注いだ夏休みのサイダー。例えようとしても、それを正確に言い表すことができない。そのことにおれはなぜか、少しだけ感心した。

 おれが宏太の真意を探るのと同時に、宏太もおれの瞳を探っている。お前は何者だ、何を考えているのかと問われている。そんな気もした。

「人さらい! ユーカイ! チカン!」

 人聞きの悪いことを言い出したので、慌てて手を放す。だが阿久津はむすっとしたまま、その手はびくともさせなかった。

「まったく、しょうがないな。お前んち、どこだ?」

「いうわけねーだろクソジジイ!」

 ぐさ、と今日一番の衝撃がおれを射抜いた。そうか、そうだよな。推定八歳からしたら、おれなんてクソジジイだよな。高校生ごろまで、母親をクソババア呼ばわりしていたことを、少しだけ後悔する。おれは眉間をぐりぐりとマッサージしながら、宏太に問いかけた。

「……なあ、おまえ、どうしてウサギ小屋の扉を壊そうとしたんだ?」

「……」

 どれだけ待っても、宏太はだんまりを決め込んだ。おれはふう、とため息をつく。それから空を見上げた。晴れているはずなのに、空全体を雲が薄く張っているから、なんだかぼやけた天気だ。薄い青。太陽はいつもより元気がない。

「ていうかお前、それ寒くねえの?」

 ふと、宏太の恰好を見て言った。赤い半そでに茶色の半ズボン。子供は風の子とは言うが、薄着で出てきてしまった自分と重なった。

「……別に」

 無視されると思ったが、意外にも宏太は言葉を返してきた。おれは妙な感動を覚え、ぽんぽん、と頭を叩いた。

「風邪ひいちまうよ。送ってやるから、今日は家に帰ろう。な?」

 これ以上、責めるのは得策ではない気がした。すると宏太は、再び歩き出した。阿久津も今度は手を離した。

「うち、ここらへんなのか?」

「違う」

「じゃあどこ?」

「もっとむこう」

「むこうって、どこだよ」

「駅の方」

 振り向きもせず、宏太はトコトコとおれたちの前を歩く。しばらくして大きい通りに出ると、そのまま駅の方に向かって歩く。

 片側二車線の通り沿いは、そこそこ広い歩道がガードレールによって守られているため、子どもの通学路としては逆に安心かもしれない。「何歳?」「八歳」「一人っ子?」「弟がいる」「血液型は?」「知らない」「パン派、ごはん派?」「どっちでもいい」そんなとりとめのないことで時間をつぶすこと十数分。宏太がふと、ある店の前で足を止めた。ペットショップと思しき店だった。

「どうした? 犬でも飼いたいのか?」

 ガラス張りになっている窓から中を覗き込む、だが動物がいる気配はなにもない。きょろきょろと店の周りを見渡すと、頭上の看板に『ペット用品ショップ はらだ』と書かれているのが見えた。三人でドアの前で立ち止まったままでいると、からん、とドアが中から開く。

「あら、この前の」

 目じりを下げ、柔和な笑みと共に迎えてくれたのは、エプロンをした中年の女性店員だった。

「今日はお兄ちゃんたちと一緒なの?」

 宏太はちがう! と言った後、そわそわとあたりを見回した。

「あら、ちがうの」

「あ、ちょっと知り合いで。学校から家まで、送ってあげてるところなんです」

 宏太が妙なことを言い出さないうちに、おれが口を挟む。

「あらあら、そうなのね」

「はい。おい宏太、何か用があるのか?」

「……えさ、」

「え?」

 宏太はじっと店員さんを見た。するとああ、と思い出したみたいに手を叩いた。

「うさぎちゃんのエサね。どうだった? ちゃんとあげられた?」

 宏太は首を振った。え、とおれたちが状況を読めずにいると、びし、と指をさされる。

「こいつらに邪魔された!」

「ちょ、はあ⁉」

「あらあら」

 だが店員の女性は、そんな告発にも動じずに口に手を当てて笑った。

「すみません。あの、こいつ、何かご迷惑かけました?」

「いえいえ、そんなことはないのよ。ただ、三日くらい前にやってきて、ウサギのエサを教えてくれって言われただけ」

 おれは宏太を見た。もしかしてこいつは、ウサギにエサをやるために扉を破壊しようとしていたのか。本人は居心地が悪そうに貧乏ゆすりを始める。

 もしかしたら、ただのいたずらや八つ当たりではないのか? そう思って阿久津を見る。だがやつは肩をすくめ、店員さんに言いつける形で口を挟んだ。

「それでお前、花壇の花を勝手に摘んだのか」

「まあ」

 店員さんが目を丸くする。

「植物や野菜なら何でもいいってわけじゃなくてね。ウサギには毒になる花もあるから気を付けないとだめよ。スイセンとかアサガオとか、結構身近な花もあるの」

「だってよ」

 阿久津が軽く宏太の額を軽く小突く。

「そもそも、なんでウサギのエサをやるのに、わざわざ花壇の花に手を出すんだよ。そこら辺の草でいいだろうが」

「うるせえクソジジイ! イッセキニチョーなんだよ!」

「はあ? 何言ってんだおまえ」

「では、どういうエサならいいんですかね?」

 隣の小競り合いを無視して、おれが尋ねる。

「まず、チモシーとかの牧草とペレットが主食。それプラス、たまに野菜とか果物をおやつ代わりにあげるのがいいと思うわ」

「なるほど。ありがとうございます」

 宏太はそれを聞いて、さらにそわそわと落ち着かない。店中あちこち目をやり、誰とも目を合わせたがらない。おれは改めて店員さんに礼を言い、さっさと店を出ようとする宏太の腕をむんずと掴み、店員さんに向かって一緒に頭を下げさせた。

 店員さんは笑いながら言う。

「いいのよいいのよ。またわからないことがあったらいらっしゃいね」

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