第6話

「問題児?」

 お詫びのつもりなのか、冷たい缶コーヒーを二本買ってきた阿久津は、近くの公園のベンチに座るようおれに促した。

「さっきのガキが?」

「そう。名前は道宮宏太。小学校じゃあ手の付けられない問題児で、あっちこっちで騒ぎを起こすから、教師も手を焼いているらしい」

「そうだとして、なんでお前がそいつを探してたんだよ」

「おれがこの塾で子供に勉強教えてるから、姉貴に頼まれたんだよ。学校の外でのあいつの様子、教えてくれって」

 ようやく状況が読めてきた。だから小学校を視察したのか。ブラックコーヒーの澄んだ苦みで頭をクリアにしながら、ふと感じた疑問をぶつける。

「お前、姉ちゃんがいたのか」

「ああ」

「何個上?」

「……五個。いま二十四」

 割と濃い付き合いをしていたと思うが、姉がいるなんて初めて知った。阿久津はなぜか眉間にしわを寄せると、「話を戻すぞ」と仕切り直した。

「姉貴が宏太の担任になって一か月も経ってない。なのに問題行動が多すぎて、注意しても直らない。とにかくいまは、なんでもいいから宏太のことを知りたいらしい」

「でもさ、あの子はこの塾に入ってるわけじゃないんだろ」

「ああ。でも、なんでかよくここに来るんだよ。それでイタズラして帰ってく。この前なんか、庭に忍び込んでキンモクセイの花を全部毟りやがった」

「そりゃあ……ずいぶんなことしてくれるな」

「あんたはどう思う」

 阿久津が飲み干した缶をべこべことへこませながら、おれに問う。

「あいつがなんでそんなことするのか」

その目はじっとおれを見ている。こいつの癖だ。真剣なときほど、ちゃんと人の目を見て話す。こいつがおれに「なにか」を期待しているのを感じ、おれはううん、と足を投げ出して、かすんだ春の空を見上げて言った。

「塾に入りたいんじゃないか? わざわざここに来るってことは、そういうことだろう」

「そうだな……」

「入れてやらないのか? 佐々木さんに頼めば、一人くらい……」

「それはできない」

 阿久津が即答した。

「あの塾は、親の収入が少なく、教育費が捻出できないような家庭のためにある。だれでもオッケーなわけじゃない。入塾するにあたっては親の税務状況なんかもチェックされるからな」

「そうか……」

 ただの悪ガキなら、チョチョッときつめに説教すればそれで済むのではないか。そう言うと、阿久津はその無駄に整った顔の、くちびるを突き出すようにした。これはこいつが納得していないとき、かつ反論が思いつかないときにする顔だ。

「まあ、なんにせよ」

 おれはそれを察して、その黒髪に手を伸ばす。されるがままの後頭部を、犬にやるようにクシャクシャにした。

「宏太、だっけ。そいつのことをよく知らないと、対策も立てられないだろうな」

 でかい図体で、なのに子供みたいに阿久津がコクン、と頷いたから、昔を思い出して笑ってしまった。姉貴に頼まれたからだけじゃない。こいつなりに悪ガキのことが気になっているんだろう。一見すると「世間なんて知ったことか」という感じで冷たそうなのに、その実、意外とこいつなりの考えがある。そうだ、こいつはそういうやつだった。

「センパイ、明日の土曜は暇? バイト辞めたって言ってたけど」

「ああ、バイト先が閉店してよ、いま探し中。昨日も面接言ったけど、門前払い」

「門前払い?」

「おれみたいなのはお呼びじゃなかったみたいだからな。だから、基本暇だぜ。明日だろ? 付き合うよ」

 そう言ってやったのに、阿久津は麦茶と間違えてめんつゆを飲んでしまったときのような顔になった。

「どこに面接行ったんだよ」

「不動産会社の事務。時給良かったから受けたけど、お門違いだったよ。鼻であしらわれちまった」

 苦笑しながら軽く流す。だがこいつは、空の缶コーヒーを今度こそ完全に潰しながら言った。

「なんて言われたんだよ」

「はあ?」

「なんか、ちょっと悔しそうな顔してる」

 おれは驚いた。こいつが少女漫画に出てくる王子様みたいな気遣いをしたからじゃない。気にしていないつもりだったのに、それが他人にわかるくらい、傷ついた顔を見せていた自分に、だ。

「おれは別に……」

「ならいいけど」

 脇にあったゴミ箱におれの分の缶もまとめてシュートして、阿久津はさっさと切り替えるように立ち上がった。

「それじゃ、明日。一時に南口の改札前で。遅刻すんなよ」

 それはこっちのセリフだ。そう言おうとして、こいつがただの一度も、約束の時間を破ったことがないことに気づいた。

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