4.Lv.35 -4 衝突

「止まれ」


 声を掛けると、彼女は振り返る。


「どうした?」


「来てる」


「お、今度はにーちゃんのが早かったな。どんな魔物だ?」


「魔物じゃない」


 緑の中に流線形の道は続く。木々の陰に阻まれ、高低差も激しいこともあり、中々遠くまで見通せない。


「人が来てる、後ろから、俺たちと同じ道を」


「おー? 冒険者?」


 ……どうだろうか。ここは未開域、ギルドが管理する通常の狩場ではない。もちろん未開域にて依頼が発生する場合もあるが……同じ場所で連続して起こる事など早々ない。……まぁ、俺たちが向かう先は歴史ある史跡、何のあてもなく歩いている訳ではない、ゼロとは言い難いが……。


「どうする? 隠れる?」


「……いや、向こうも気づいてる」


「何で分かんだ?」


「俺たちが止まった途端歩調が緩んだ」


 彼女は首を傾げる。


「おれたちが目当て……ってことか?」


「……」


 道の後ろをじっと見据え、それが近づくのを待つ。


「……あ?」


「どーしたにーちゃん。おれはまだなんも見えないぞ」


「いや……この気配……」


 ざく、ざく、ざく、ざくと、規則的な足音が近づいてくる。深く染まった藍のマント、肩に勇者の徽章、腰元には細身の直剣。

 それは俺たちの目の前で立ち止まる。


「やっほー、ふーくん」


 見えたのは、見知った顔だった。淡い青の髪、いつもは無造作に垂らしているそれも、今は動きやすさの為か頭の後ろで綺麗に束ねている。


 彼女は腰元に手を置き、すらりと抜いてこちらに向ける。


「ちょっとどいてくれない? 今、ふーくんに用無いから」


 冷たい目が俺の後ろの少女を射抜いていた。


「穏やかじゃないな」


「どいてって言ったんだけど」


「まずは剣を納めろよ」


 ぴっと、額の真先に剣の先端が当てられる。


「私がどかさなきゃダメ?」


「話は通じないのか?」


 剣先が翻り素早く肩を貫く、その軌道を剣を跳ね上げ弾いた。


「知ってる? 治せるなら傷つけてもいいんだよ」


「そんな訳ないだろ」


 互いに剣を構え相対する。


「……はっ、はっ、は、はやて」


 後ろから酷く動転した少女の声がする。


「落ち着けあそび」


「逃げたらダメだよ」


 しずくの目は変わらず俺を挟んで背後の少女にある。


「こんな小さい子脅して楽しいか? お前」


「ふーくん、また何も聞かされずに利用されてるんじゃない?」


「今のお前よりかは、よく喋ってくれたな、この子は」


「時と場合を考えないとね。今はお喋りしてる気分じゃないし」


「のんびり歩いていた所だ、焦ってるのはお前だけ。話もせずに斬り合うような状況に見えるか?」


 しずくは、俺の背後の、怯えて縮こまった少女の姿を見る。


「じゃあ、先にその子の手足だけ切り落としていい?」


「代わりに、俺が掴んでおくんじゃダメか?」


「ふーくんじゃ頼りないからちょっと。ふーくんの剣で、その子を地面に磔にするのを、手伝ってくれたらいいよ」


「俺の両手の方が丈夫だと思うんだがな、やっぱり」


 じり、じりと後退り始める少女に、


「逃げたら殺す」


 刃のような冷たい声をしずくが突き刺す。


「一旦、俺を挟んで会話をすることにしないか?」


「なんで私がそんなことしなきゃいけないの?」


「俺を挟んで穏便に話し合うのと、俺とそいつまとめて痛めつけてから聞き出すのと、どっちが早いよ」


「ふーくんがどいてくれたら早いんだけど」


 話が通じないな。


「どかないって言ってるんだが」


 じり、と再び少女が足を動かす。


「逃げるなっ!!」


 鋭く踏み込みしずくは少女に切りかかる、燕のように低く駆け、俺のすぐ横を通り抜ける、剣を振りかぶっても間に合わない、


 秘跡”陽炎”―


 鈍く、肉を断つ音が響いた。血が飛び散り周囲を汚す、それは俺の顔にも掛かる。


 目の前で、苦々しげに悔いたような彼女の顔が見える。


「……ふーくんは、後で治してあげるよ」


「まだ続ける気か」


 彼女の剣が俺の腕の骨にギリギリと当たる。


「ひ……い、いや……」


「あそび、落ち着け。俺らは平気だ」


「で、でも……にーちゃん、血が……」


「大丈夫だ」


 痛みを押し隠し声を平静に保つ。少女は俺の声を聞くと、いくらか落ち着きを取り戻したようだ。


「しずく、これでもこいつがお前に何かするように見えるか?」


 しずくは、怯え切り地面に腰を着く少女に目を遣る、少女はひっと肩を震わせる。 


「分かったら剣を下ろせ」


「……」


 彼女はじっと少女を見ていたが。やがて、ふっと剣から力が抜ける。ずずっと、肉から剣が離れる嫌な感触が伝わる。


「”天癒の涙”」


 彼女は短く唱えると、空中にまばゆく輝く水滴が現れ、ゆっくりと落ちてきてそれは俺に触れる。気が付けば傷は跡形もなく癒える。


 彼女はきょろきょろと周囲を見渡し、やがて一点に止まる。


「あっち」


「あ?」


「開けた場所がある。ここで話すのは嫌だから付いてきて」


 彼女はひゅっと剣を振り払い、付いた血を飛ばして鞘にしまう。それを確認し、俺はしずくに背を向ける。


「あそび、立てるか?」


「あ……わ、私……腰が抜けて……」


「俺が抱えて……あぁ、荷物はどうするかな……」


「あ、あの……それと……」


「どうした」


 聞いても応えず、濡れた目で、彼女は申し訳なさそうに俯く。……と、見れば、服のズボンの所に染みが。


「近くに水場もあるから。そこで着替えて」


 と、冷めた声が後ろからする。


「臭いままだと話したくないし」


「……お前、こいつの荷物持って歩く気あるか?」


「ない」


 あそびに目を戻す。


「ほら、自分で立て」


 手を差し伸べると掴み返す、力比べをした時とは比べ物にならないくらい弱弱しい。引っ張りあげ、どうにか立たせる。


「来て。こっち」


 淡白にそう告げ、しずくは道の脇へと入っていく。




 川のせせらぎが絶えず流れる。ごろごろと灰色の岩々に紛れ、下を透明な清流が下っていく。しずくは、岩の一つに背を持たれかけさせる。


「なんで逃げたの?」


 しずくは、剣の柄をいじりながら聞いてくる。


「……に、逃げた訳じゃ」


 少女は俺の陰に隠れ、しがみつく。


「黙って居なくなった理由は何?」


 と、少女は俯き答えない。


「逃げた先で、何をする気だった?」


 やはり、少女は何も答えなかった。


「体に剣の一つでも刺してた方が答えやすいかな」


「にっ、逃げた訳じゃなくてっ……女神さまに……」


 しずくはくいと首を傾げる。


「……女神、さま? ……星の勇者団の、あの女神さん?}


「そう。その人に……頼、まれて……」


「ふーん? ずいぶん都合がいい時に、あなたにお願い事してくれたんだね」


「う、嘘じゃ……っ!」


「嘘だったらもう斬ってる」


 びくりと肩を震わせ、少女はさらに身を固く縮こませる。


「それで? そのお願い事って何?」


「……言え、ない」


「そーなんだ」


 しずくは興味なさげに剣の柄をいじっている。


「俺も話に混ぜてもらっていいか?」


 しずくが目を上げる。


「二人で依頼を受けてきてるんだ。失敗すると困る」


「ふーん、今回はそういう寸法」


 しらーとしずくは冷たい目を向けてくる。


「仲間の身元をよく調べておかない、ふーくんが悪いんじゃない?」


「野良で組むパーティーの身元なんていちいち調べてられるかよ」


「ふーくんがどうするかなんて知らないよ。何もしなかったのなら、そのリスクは受け入れるべきじゃない?」


「だから今、こうやって投げ出さずに受け入れてるんだが」


 はぁ、と彼女は短く息を吐く。


「その子は魔物」


「知ってる」


「勇者協会で保護した、協会で管理中の魔物」


「……保護? 勇者じゃないのか?」


「勇者? その子がそう名乗ったの?」


 不思議そうに彼女は問い返してくる。


「違うのか?」


 しずくは少女の服に目を向け、何やらぶつぶつと呟く。


「……女神さんが手を回したのかな」


 しずくの目線から隠れるように少女は俺の後ろに回る。


「いい? ふーくん。その子は、異界の中で見つかった身元不明の人間。私たちはその子が、敵対的な魔王の勢力に属していないか調べている途中だった」


 あそびは、身元不明の少女。


「私たちは善意で保護して人界に連れ帰ってきたけど、勝手に居なくなられたら、私たちは魔王による斥候を疑わなきゃいけなくなる。ここまでいい?」


 彼女が黙ると、小鳥の声や、木々のざわめき、水の流れる音だけが響いていく。


「それで、お前はこいつを処分しに来た訳か」


「処分は私の裁量だけど。見つけたら、意気揚々と未開域を行進中。状況証拠としては十分じゃない」


「俺たちはギルドで依頼を受けてここに来てるんだぞ。魔王の斥候だか何だか知らんが、逃げるだけなら手順を踏みすぎじゃないか?」


「知らないよそんなの。報告を終えたらまた戻ってくる気だったんじゃない?」


 俺の陰に隠れた少女は、びくびくと怯えながら答える。


「ち、ちが……そんなんじゃ……」


「違うって言ってるぞ」


「……あくまで、私はそういう行動原理でここまで来たって話してるだけ。私を納得させられるだけの何かが無ければ、私はそのままの理由で動くよ」


 じろと、しずくの目が少女に向けば、俺にしがみつく手の力が強まる。


「で……でも……女神さまには、秘密って……」


 んー、と、そういえば。


「あそび、お前のそれ、星の女神様から貰った星器って言ってただろ。見せてやれば?」


「あっ」


 彼女は慌てて手首にぶら下げたストラップをつかみ、大剣を顕現させる。


「これ……あっ、戦う気じゃなくて!」


 すんと、冷たい目でしずくはその武器を見る。透明な刀身、意味不明な原理。


「……まぁ、星の勇者団のとこの神器だね」


「これで、この子の行動の正当性は認められたか? そっちの女神様からわざわざ武器を貸し与えられてお使いしてんだ。別に咎められるほどのことじゃないだろ」


 彼女は嫌そうな顔をして顔を逸らす。


「そうだね。……まぁ、あの女神さんは正確には協会の人じゃないし、何の権限もないけど」


「勇者に協力してるんだから大体仲間でいいんじゃね」


「……まぁ、根拠としては否定しないけど」


 すぅと、彼女の険が解けていくように見えた。

 ぴょんと岩の上を跳ね、たったと俺の前に回り、しゃがみ込む。


「ひっ」


「怖がらせてごめんね。もう襲う気はないから。とりあえず」


 彼女は一転、落ち着いた、穏やかな声音で彼女は語り掛ける。


「えっ、いやっ、あのっ」


 態度の緩急に、当然少女は付いていけていない。


「でも、居なくなるなら周りの人に何か声を掛けて欲しかったな」


「あ……その、ごめんなさい」


「うん」


 しずくはそぉっと手を伸ばし、優しく少女の頭を撫でる。


「俺にごめんなさいは?」


 ふいと、屈んだまましずくは顔をそらす。


「斬ったとこ? 治してあげたじゃん」


「痛みは?」


「もうないよ」


「覚えたの俺だよ」


 いやまぁ治ったから今はないけど。


「ふーくんが、邪魔してきたのがいけないんだけど。おかげで、余計な手間が増えたじゃん」


 しずくは拗ねたように言う。


「俺が居たお陰で穏便に事が済んだんじゃないのか?」


「無力化だけしたらすぐ終わる気だったよ。別に、命まで取る気はなかったし。突いて何も無ければ」


「それ手間減ってる?」


「捕縛対象に手加減とか無いから。こっちは指令受けて来てるんですけど」


 まぁ、勇者協会内のどうこうは別に詳しくない。彼女が今回受けた依頼が、どれだけの重さを持つものかは、彼女の言葉から想像するしかないのだ。過程を聞くに、ひょっとしたらそれなりの大きさの事件になる所だったのだろう、しかしそれにしても。


「俺見て柔軟に動こうとか思わなかったの?」


「ふーくんを? その子が敵だったら騙されてたでしょ。人界まで入り込めてた訳だし、ふーくんごとき」


 おれはスパイじゃないと、陰で少女は小さく否定する。


「んで? 俺への謝罪は?」


「……ふーくんこそ。私の仕事邪魔してごめんなさいは」


「仕事の邪魔してごめんなさい」


 しずくは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。


「……ケガさせて、ごめん」


「おう」


 彼女はぱっと立ち上がり、離れてまた同じ岩にもたれ掛かる。


「仕事が終わったならさっさと帰れ」


「指令は、その子を連れ帰るまで」


 まぁ、それはそうか。しがみつく少女を見下ろす。


「俺たちはまだ帰る気ないぞ」


「……」


 彼女はしばし黙り込む。


「……その子を今から私の管理下にあるという事にすれば、通らないこともないけど」


「え? お前も付いて来る気なの?」


「今連れ帰ってもいいよ」


 ぎゅうと、再び俺をつかむ少女の手が強まる。


「お使いぐらい最後までさせてやれよ」


「子供のお使いくらいだったら、見逃してあげた所なんだけどな」


 んーと、彼女は空を仰いで考える。


「まぁ、仕方ないか」


 しずくはぽつり呟く。


「うちの女神さんからのお願いらしいし。私も最後まで付き合ってあげるよ、乗り掛かった舟だし……」


 ぱっぱっぱと、彼女は膝辺りを手で払う。


「……え……? 付いてくるの……?」


 と、少女が、か細い声で俺にだけ聞こえるように言ってくる。聞こえないようにした気だろうけど多分しずくにも聞こえてる。


「わはは嫌がられてるぜ」


「ふーくん? 治せるなら傷つけてもいいんだよ?」


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