3.Lv.36 -7 山小屋
「だいぶ冷えてきましたね……」
斜面を覆う緑は、もうすっかり剥げてきた。黒くて冷たい岩が延々と上へと続く。
「もうすぐで日が沈むな……」
「小屋は、この辺でしたよね」
「よくもまぁ、こんな所に建ててもらえたものだ」
「まったくですね。ありがたいことです」
硬い大地を踏みしめ斜面を登っていくと、やがて窪みのような場所に一軒の小屋が建っているのが見える。
「夜のうちはあそこで過ごしましょうか」
「天気は……悪くならないことを祈ろう」
ちらほらと雪が見え始めている。吹雪いたなら動けなくなる。食料はある程度確保しているとはいえ、小屋に閉じ込められるのはきつい。
入口に立つ、特にカギなどは掛かってない、扉に手をかければぎぃと開いた。中に入ると薄暗い、魔法の灯をともすとぼんやりオレンジ色に室内を照らしてくれる。
そこは簡素なログハウスだった。窓からは外の景色が、はるか下に続いていく世界の景色が見える。
「さて。山上にふさわしい、豪勢な晩餐の用意をしよう」
「味気ない携帯食料しかないですよ、先生」
「何も無いよりかはましだろう、どれ」
少女が言うと、彼は脇に置いた荷物から、食料の袋と、小型の容器を取り出す。
「温かい食事はいつだって心を癒してくれる」
「火を使うつもりですか?」
「なに、火を使わずとも熱は生み出せる。少し時間は掛かるがな」
彼が手に持っているそれは、魔道具なのだろう、ポッドのようなそれは、彼がスイッチを入れるとぽうと光を宿す。
「寝ずの番は私とはやてで務めよう。どちらが先に寝る?」
「……先生、私も」
「うさぎ、君は寝ていたまえ。相当疲れが見える」
「しかし」
「疲労で同行の足を引っ張られたらそれこそ困る」
彼がそう言うと、少女は押し黙る。
「俺が先に寝ていいですか?」
「よかろう。では私が最初の見張りだな」
彼は容器に水を注ぎ、固形の食糧の一部を小さくちぎり、容器の中に放り込んでいく。
「ところで君は、私の天使の力を見抜いていたな」
手を動かしながら、彼は聞いてくる。
「話が急ですね」
「人目も気にせず話せるのは、ここくらいだろう」
「それも……そうですか」
「なぜ気づいた。なぜ知っている」
言い触らすことではないが、聞かれて口を閉ざすことでもない。正直に答える。
「俺は賢者の弟子です。世界を構成する理の幾つもを、師匠から教わりました」
「……賢者とは」
「”空の賢者”です」
彼はその単語を聞くとわずかに目を見開く。
「まぁ、その割には情けない弟子ですが」
「……そんなことは、ないと思うが」
「天使の力は彼女も引いてる、俺が知っている理由としては十分でしょう」
彼は、次に紡ぐ言葉を決めかねているようだった。
「俺からも聞いていいですか?」
「答えられることなら答えよう」
「どうして天使に?」
彼はわずかに眉をしかめる。
「それは後天的なものでしょう。どうして天使の力なんかを身に宿したんですか? ……やはりお偉い学者さんだから、不老の命に興味でも? そんなに人として死ぬのが怖いですか」
彼は、遅れて肯定する。
「そうだな」
「きっとそれは、人の望む結果には至りません」
「私は生まれつき寿命が短かった」
今度は、俺が黙る番だった。
「十五を越さずに死ぬと言われた。私は生きたかった。私の願いを聞き入れた医者は、どこからか天使の魔石を仕入れ、私に与えた。それを使えば私の体の時間は永らえ、人並みの時間を生きられるだろうと。私は人として生きたかった、だから私は人として死を諦め、禁忌の力に触れた」
彼は淡々と告げた。そこの怒りも悲しみの感情も見えなかった。
「……すみません。出過ぎたことを」
「構わない。きっと君の偏見は合っている。私の同僚はいつも、私の体質について聞くと羨み、私も仲間に入れてくれと願ってくる。私は魔石の入手のルートなど知らなかったがな」
彼はやはり、平らな声でそう語った。
「君の言う、人の望む結果にならないとは? 具体的にどうなる?」
「……医者から説明は?」
「君の知っていることが知りたい」
とは言っても、俺も大したことは知らない……いや、あれの異常性は十分理解しているか。
「天使の力は強力な”保持”の力。その影響は体だけに留まらない。あなたの体の時が止まったように、あなたの心もまた止まっている」
「心が止まるとは?」
「あなたの心はきっと冷たいでしょう。動かないから。冷えて固まっているんです」
彼は黙り込む。
「死期を乗り越え、度胸が付いたものだと思っていた」
どれくらいの影響があったのかは知らない。それでも彼を納得させるだけの何かはあったのだろう。
「でもきっと、それはまだ個性で片づけられる範疇ですよ」
「そうか」
「それ以上の天使化を進めようとするのなら、話は別ですが」
「心配するな。私は人のように死ぬつもりだ。それ以上は望まない」
と、準備をしていた彼のそれは終わったようだ。容器の蓋を開けると、ほわと柔らかい湯気が立ち昇る。
「出来たぞ」
彼は器にそれらを盛り分け、俺たちの前に置く。
「味わって食べるといい。冷えた心と体を温めてくれる」
「……ありがとうございます」
彼女も礼を言ってずずずと啜っている。
「私の心も、これで少しは解れてくれるといい」
「……すみません。そこまで強い意味で言ったつもりはないんです。ただ、あなたの落ち着きの要因の一つとして、それもあるかもしれないと。止まっているというのは正確には間違いで、緩やかに―」
「いい。私も自分が冷たい自覚はある」
彼はまた、冷たい声で返す。それでも言いたかった。
「あなたはまだ人間ですよ。温かい人間です」
「……ふむ。ありがとう」
彼の作ってくれたスープを口の中に流し込む。じんわりと熱が口の中を伝わり、喉の奥へと落ちていった。
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