番外 -きらり

「暗いなー」


 彼女が身を屈めて垂れ下がった岩の槍をくぐりながら言う。


「こんな所に生き物なんていんのかー?」


「居るよ。秘境には秘境に適した魔物がな」


 ラテリア森林地区に隠れた洞窟に潜ってしばらくすると、そこそこ広い空間にぶち当たる。頭に付けたライトが地面を照らすと、水浸しの床が光を反射し、天井に波間を映す。足音が空洞に木霊する。ぴちゃぴちゃと、等間隔に滴の音が聞こえる。


 地面から生える石筍を避けながら苦労して進んでいると、ぺたん、ぺたんと奇妙な音が響いていた。


「居たぞ」


 声を潜めて彼女に言うと、少しだけ彼女の肩が強張る。


「強い魔物じゃ、無いんだよな」


「系統的には幻龍種に近い。だが見るのは浅い層ばかりだ。劣化版スライムって所だな」


 ぺたん、ぺたんと足音(?)を響かせる、その正体が岩の陰から姿を現す。

 それは正確な六面体をしていた。していたというか、本来はそういう形なんだと思う。不可思議な六面体は、透明な餅の様な質感をしていて、重力に引かれ、凸凹な地面に合わせて変形している。

 それがぺたんぺたんと一面ずつ転がり、一歩ずつ進んでいる。生き物かどうかも分からない、不思議な光景だ。青いキューブの中央には赤い球が明滅しており、ともすれば機械めいた瞬きを見せる。一応、弱点である。固形ではないので、破壊するには丸ごと押しつぶした方が早い。


「アクアキューブ……」


 幻龍種アクアキューブ。龍脈から生まれ龍脈で出来た、精霊とも呼ばれる生命体群の一種である。


「あれを……生きたまま、持って帰りゃいいのか?」


「今回はな。魔法は使うし使わせただけ縮む、捕獲は難しいぞ」


「どうすりゃいいんだ? あの赤い点を壊しゃいいのか?」


「死にはしないが、持って帰る前に溶けるな」


「じゃあどうすんだ?」


「まずは見てろ。俺が手本を見せる」


 懐から小さな魔石を取り出す。色は薄い水色、見ていれば心まで凍えるような、触れた指先からじんじんと冷えていくような、氷に属する魔石の小片である。

 龍脈は元々、属性に応じた現象を引き起こす力の塊である。それは結晶化して魔石となった後も変わらない。空中を流れる龍脈よりかは安定しているが、切っ掛けとなる衝撃を与えてやれば、魔石はすぐにでも変幻の現象を起こしてくれる。

 それが最も原始的な魔法。まぁ魔法といえば体内の魔力を消費して放つものを指すが、訳あって俺は魔法が使えない。疑似的に魔法を扱うためには、こういった非効率的な手段に頼るしかない。


 魔石の小片を握り、じわり、じわりとアクアキューブに向けて近づいていく。靴の裏が水面に浸り、離れる時には水滴を落としていく。


 ぺたんと、その子は動きを止めていた。多分、とっくにこっちには気づいている。彼らは大気や体内を流れる龍脈を視ることが出来るから。


 恐らくはその子にじっと睨まれながら、俺は少しずつ距離を詰めていった。圏内に入った、息を止め、その子に動きがない事を見極めて。


 単発なので外すと後がない。ぴしり、爪を入れた魔石にひびが入る。そのまま握りつぶすと急速に手に冷気が伝わってきて。

 

 魔石に魔力を流し込み、投げつけた。氷の石は宙を踊りながら冷気をまき散らし、その子へと降りかかる。


 びくりとその子は動いたようだったが、体の表面に霜が降り、動きが鈍り、体に落ちた氷の魔石がゼリーを固体に変えていく。


「アクアキューブは体の触媒に水を使っていてな」


 ぺたぺたとその子に近づきながら、彼女に話しかける。


「この通り、凍らせれば凍る」


「スライムは違うのか?」


「あぁ。あっちは半液体状の龍脈だ、水とは性質が異なるし、ごく低温下でも凍らないし、そもそも魔法が通らない」


 手袋をはめ直し、それをばりばりと地面から剝がす。小さな木箱くらいの立方体。それを特殊な袋に入れ、包んでしっかりと口を絞る。


「低級の精霊は何らかの物質に頼って体を構成するんだ。その物質の特性を色濃く受け継ぐから、利用してやれば簡単に対処できる」


 きらりは何も分からなかったようで聞き流す。


「この袋に入れてしまえば、もう大丈夫なのか?」


「特殊な材質の布らしいな。魔法は通さない。まぁ、通さないだけで妨げはしないから、隙間の無いようにしっかり絞っておけよ」


 彼女に梱包したアクアキューブの口を見せる。ある程度見せたところで、おいていた籠の中に入れる。


「こんなもん捕まえてどうすんだ?」


「さぁな。王都の学術院なんかで研究に使われんだと。やってる事はさっぱりだが、高度な魔道具を作ってくれるし貢献しないとな」


「へー」


 彼女は分かったような分かってないような返事をする。手間が掛かり技術も居るので報酬は美味しい、稀に発注されるが見かけたら大体取っている。


「これ美味しいの?」


「食用じゃないと思うぞ……」


 龍脈の濃度も濃いし、抜いたら抜いたでただの水だ。


「冷たいまま持って帰るのか?」


「捕まえやすいように凍らせただけだ。抵抗なく捕まえて隙間なく包めるなら他の手を使ってもいいぞ」


 きらりが宙を見上げ、頬を搔きながら言ってくる。


「なぁ。捕まえるのはお前がやってくれないか?」


「来たんだからお前も働け」


「いや、他のとこで手伝うけどよ。なんつーか、繊細な作業なんだろ? オレには向いてない」


 まぁ、少しでも隙間を作ってしまった場合、中のアクアキューブが魔法を放ち封をこじ開けついでに一緒に入れているアクアキューブも解き放つ火薬庫みたいな事も起こりえるので、軽視していい段取りじゃないというか、まぁ今回の依頼自体全部そういう感じなんだけど。


「まぁ、どっちにしろお前には魔法の部分をやってもらいたかったし、いいけど」


「魔法……っていうと、あいつらを凍らせりゃいいのか?」


「俺はそうするな」


「それ……オレがやらなきゃダメか?」


 彼女はなぜか渋る様子。


「見学にでも来たのか?」


「いや……いつも通り、魔物をぶっ倒せばいいのかと」


 こいつ、ただ俺の名前見て付いて来たな? 細かいことは俺に任せればいいと。信頼してくれるのはまぁ、嬉しい気持ちも無くは無いが、火力だけが必要な依頼を受けている訳でもないし。困る場面も出てくるぞ。


「俺は魔法が使えない。さっきみたいにするには、そこそこ値の張る魔石を、一個ずつ使って一匹ずつ凍らせなきゃいけない。お前がそれを補ってくれると、経費が浮いてこっちとしては有難いんだがな」


 脳死で付いてきた手前、彼女もバツが悪いのだろう。何やら考え込んでいる。もしや、彼女も魔法が不得意だったりする? そう言えばまだ怪力しか見てないな。


「氷なら……まぁ、大丈夫か。閉鎖空間だけど……」


「何の心配してんだ? 氷の魔法は覚えてないのか?」


「いや出来る……出来るん、だけど」


 じゃあやれや。


「ちなみに、それを断ったら……どうなる?」


 この期に及んで彼女はまだ言い渋る。


「帰れ」


「やります……後で文句言うなよ」


「なんか言ったか? 綺麗に固めろよ。包むのが面倒だからな」


「それは大丈夫だ、けど」


 また歯切れの悪い答えを。なんなんだ。……まぁ、失敗しても、そんなに強い魔物でもない。とりあえずやらせるか。


 またしばらく洞窟内の探索を続けて、新しい個体を一匹見つける。


「ほら、居たぞ。やれ」

 

 小声で彼女に示す。


「……やって、いいんだな?」


「やれ」


 魔法は体内の龍脈、いわゆる魔力を消費して放つ。一時的に体内の均衡が乱れるため、魔法の行使には特有の疲労感を伴う。もちろん、放つ魔法が強いほど、その傾向も強く表れる。魔物を倒すほどの魔法ともなればそこそこきついし、彼女はそれを嫌がっているのだろうか?


 ……ん? いや、待てよ。彼女は、魔法が得意だったはずだと思い当たる。得意というか代名詞というか……っいややっぱり待て!! ここで彼女に魔法を使わせるのはまずいっ!!


「きらり、やっぱりい―」


「アルト・ブリザード!!!」


 放たれた。

 彼女が突き出す手の平で光が瞬く、それは幾度か煌めきながら流星のようにアクアキューブに突き刺さった。光が解き放たれる、俺は彼女を抱えて後ろに飛びのいた。

 振り返るとそこは。


 一面丸々凍り付いていた。まるで、最初からここが氷の洞窟だったかのように、岩肌は凍り白い氷で覆われ、石の柱は新たに現れた氷筍や氷柱に紛れてしまい、冷気が空中を煌めきながら漂い、そして肝心のアクアキューブはと言えば。

 水の塊は地面と癒着して凍り付き、その上から更に氷を纏い丸く膨れている。どう考えてもそのまま取り出せる状態じゃない。


 隣で倒れ伏す、きらりの顔を見つめる。彼女はさっきから地面に顔を伏せ起き上がる様子を見せない。


「おい」


「……はやてが」


「お前」


「はやてが使えって言った」


「俺は捕まえるために凍らせろって言った。手本だって見せた。あれが―」


「だってはやてが使えなきゃ帰れって言った!」


 きらりが伏せたままふるふると震える。


「加減は。出来ないのか。これ以上小さくは」


 壁一帯が凍ってしまった魔法の惨状を眺める。


「……無理」


 軽く宙を仰ぐ。

 そう言えば知っていたのだ。彼女が魔法を得意なことを。得意というか、大得意というか。速攻・高出力・超燃費が彼女の魔法の専売特許。バカみたいな大規模魔法をポンポン撃てるのが、彼女の扱う魔法の流派で。

 恐らくは、蛇口を全開にしか出来ないのだろう。そして小規模な、生活に使うような小回りの利く魔法は一切使えない。やることなすこと全てが高火力。


 以上が目の前の惨状の原因である。こんな狭い閉鎖空間で火の魔法とか使わせなくて良かったよ全く。


「ほら、もう起きろ。魔法も捕獲も出来ねーなら荷物持ちでもやってろ」


 ったく、馬鹿がよ。と、彼女が起きる様子を全然見せない。


「……きらり?」


「立てない」


「あ?」


「今の魔法で使い切った……」


 使い切ったって……え? 魔力を?


「いや、まだ一発だろ」


「一発で無理……」


 魔力切れ、か? ……いやまぁ、あれだけの魔法を放てば大抵の人間は魔力切れを起こすし、魔力の切れた人間は瀕死、慣れてても極度の疲労状態に陥ることにはなるの、だが。

 あのお前が? ……。いや、正確に言えば、魔法が得意なのは彼女自身ではない。


「……膨大な魔力量は、受け継がなかった訳か」


「……うん」


 あぁ……。


「それで、なんでそんな馬鹿な魔法覚えた」


「馬鹿な魔法じゃない……」


「答えろ」


「……他に知らない」


 この脳筋どもが。どおりで、きらりが魔法を使う場面に出くわさなかったわけだ。たった一発放っただけでこのグロッキーか。彼女は筋力だけでどうにかなる場面も多い。まぁ、今回はそうじゃなかった訳だが。


「あの……起こしてくれると」


「俺は働いてくるから好きなだけ寝てていいぞ」


「あぁ待って! 荷物持ちでも何でもやるから! オレが動けるようになるまで待ってよ! ねぇ!」


 石筍の一つに寄りかかり、徐々に溶けていく、アクアキューブと彼女とを眺めていた。

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