番外 -きらり

「でけぇ湖だな」


 ラテリア湖水域。緑豊富な山岳地帯に囲まれる広い湖だ。未開域であり人の船は浮いていない。石を投げなければ静かな水面に映る景色を楽しむことができる。


「飛び込むなよ」


「入るかよ、こんな得体の知れない水の中」


 ……まぁ、普通はそうだよな。湖は青く綺麗で、しかし薄く濁っており、奥に行けばすぐに底が見えなくなる。魔物の領域で底の知れない水の中を泳ぎたくないというのはまぁ、自然な警戒だ。


「ここに今回の獲物が居るんだよな?」


「あぁ」


 魔物”アクアウォード”。水辺に生息するワニ系統の魔物。龍脈の深度が深い種であり、魔法を堪能に扱う。


「あーあ、水着でも持ってくりゃ良かったかな」


「やっぱり泳ぐ気じゃねーか」


「ちげーよ。濡れたら面倒だろ」


「だからって水着で戦う馬鹿が居るかよ。防御力どうなってんだ」


 あー……と彼女は空を眺める。


「ちょっとは見たがれよ」


「プライベートで来るんならいくらでも脱いでいいぞ」


「なんだ? やっぱりオレの裸に興味あんのか?」


「バカ言ってねーでさっさと探せ」


「あいあい」


 ざらついた石が転がる湖畔を、水辺に沿って歩いていく。見渡しはよく、敵対的な魔物も見当たらない。のどかな青空に綿雲がゆったり流れていく。暖かな風が草原を揺らし、まばゆい陽光が俺たちの背中を温める。


 しばらく歩いていると、突然彼女がばしゃばしゃと水面を歩く。


「魔物でも居たか?」


 鼻は効く方だが水中にまでは意識が及ばない。水面に何かを見つけたのだろうか。しかし、問い掛けたはずの彼女は暢気に振り向く。


「あ?」


「……なにしてんだ」


「足があちぃんだよ」


 彼女は脱いだ靴と下履きを両手に掲げて言ってみせる。


「お前も来いよ、涼しいぞ」


「足が冷えたら動けねーだろうが」


「あー? ノリの悪ぃ奴だな」


 そのままばっしゃばっしゃと水をかき分け再び歩き始める。警戒心の高い魔物なら逃げていくが、肉食系の魔物なら寄ってくるだろうか。まぁ、対象をおびき寄せるなんて高等なこと考えてる訳でもないのだろうが。


 彼女と水の境界を挟んで歩いていると、突然水柱が上がる。咄嗟に避けたが、やはり俺の居た位置に水柱は落ちる。やった犯人は分かっている。


「……きらりー?」


「油断も隙もないなー」


「こっちの台詞だ、ったく」


 けたけたと彼女は笑う。


「いいか? 濡れたら動きが鈍る。服は重いし体は冷える、一つも良いことがない。俺たちは、今から魔物を狩りに行くんだぞ」


「水の魔法を使う相手だろ、どうせすぐに水浸しだよ」


「だからそうならないようにだな……」


 ふさがった両手で耳を塞ぐジェスチャーをして、彼女はそっぽを向く。こいつ……。


「どうしても遊んで欲しいなら帰りに構ってやるよ。まずは依頼をこなすことに集中しろ」


「あー? 依頼終わったら元気ないだろ」


「なら逆だろ。余力残すように依頼こなせないようなら、先に体力使ったら依頼できくなるじゃねーか」


「だから先に遊ぶんだろ?」


「俺たちは遊びに来たんじゃねーぞ」


 きらりはやれやれと手を広げて見せる。


「ほら、見てみろよ。こんな広い世界の中に二人きり」


 彼女は腕を広げたままゆっくりと周囲を見渡す。水面が風に揺れ、太陽のきらめきをまばらに映す。風が吹き抜けるとさぁぁと心地よい音が鳴っていく。彼女の白い素足が動くにつれて、水と泥が少しだけ掻き立てられる。


「誰も見ちゃいねーんだ。少しくらい遊んで行ったって、誰にも責められはしない」


「あのな。こーゆー仕事は、信用が大事なんだ。それで失敗したらどうする」


「頭がかてーなー。その時はその時だ。遊びを実力に含めたっていいだろ? 生きやすいようにさ」


「そうか。お前は一人でガキっぽくはしゃいでろ」


 ばしゃあんと、また一際大きな水柱がこちらに上がる。さっきより広範囲を薙いだ、少し荷物に掛かったようだ。


「やーい、当たりー」


「……はぁ」


 抱えていた荷物をぶん投げ、ついでに靴も脱ぎ同じ方に投げ捨てる。


「お、おい。遊ばないんじゃなかったのか?」


「お前がここで伸びたとして、俺は一人で行って一人で依頼をこなす。もちろん報酬はお前にはやらない。お前は水遊びだけして骨折り損」


「オレがくたばる? お前相手に?」


「……いいか? 先に手を出したのはお前だからな?」


「なんだよ、案外乗り気じゃねーか。内心、お前も遊びたかったんじゃねーのか?」


 水面を蹴り上げきらりにぶち当てる。飛沫が水面へと落ち、彼女が顔をしかめ、髪から水が滴る。


「ふーん」


「……先に手を出したのは、おま―」


 たらいをひっくり返したような水の壁が目の前に迫る、水中じゃ思うように足が動かない、移動する間もなく頭から水を被る。


「容赦は、要らないんだよな」


「さっさと掛かって来いよ、雑魚」


 水の騒ぎを聞きつけて集まってきた、魔物どもは軒並み倒していると、いつの間にか今回の依頼は達成していたようだ。水辺で寝ころびながら魔石を数えていれば、再び頭から水を掛けられ、また乱闘になった。

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