2.Lv.35 -11 目的地

 寒い。熱を持つ地上の光が恋しい。変化のない静寂が心を乱す。音を立てれば反響し、下手に動くことが出来ない。


 ラテリア区域森林地帯の洞窟を、下って下って地下深く。複雑怪奇な道のりは、地上への単純な距離を頭に描かせてくれない。ただ漠然と、難解で辟易な帰り道を想起させる。


「はぁ……」


 吐いた息は白い霞となって消えていく。俺の他に音を立てるものはなく、世界から浮いているような孤独を感じる。

 ふと、このままここでじっとして、ずっと動かなかったらと考える。何か困ることはあるだろうか、お腹は空くだろうか、喉は乾くだろうか。もし、何も不快に思うものが無かったら、俺はどれだけの間、ここでこうしているのだろうか。

 放置された静寂に、少しだけ乱れが生じる。


 戻ってきた。下方に地底湖、その奥に岸が広がり、空間は萎んでいくつかの小道と繋がっている。その穴の一つから、小走りに駆けてくる影がある、音は殺しているだろうが消し切れていない。

 そしてもう一つ。彼女を追う何者かの姿も。


 彼女は水際を背にし、振り返って武器を構える。逃げるのをやめたのを、相手も気づいたのだろうか、追う足は緩み、やがてゆっくりと。


 洞窟の奥から、一匹の化け物が姿を現した。


 仄暗い、微かな光が漂う洞窟の奥に目を凝らす。地を這う生物の影がある。大きさは人を横にしたくらい、魔物にしては大して大きくはない。

 輪郭はワニ、あるいはトカゲに似ている。しかし体の一部が欠損し、形を保った水に置き換わっているその姿を見れば、誰しもがそれを只者でないと分かるだろう。


 魔物”アクアウォード”。彼女のレベル二十飛び級の実地試験での課題として選ばれた魔物であり、初心者殺しとしても有名な魔物の一種でもある。


 遠方から、じりじりと魔物が彼女に迫る姿を眺める。俺はこの壁の穴から、ただこうして見守る事しかできない。俺が動けるのは彼女が危機に瀕してから。彼女の邪魔をせぬよう、しかし決して彼女の危機を見過ごさぬよう、ただ落ち着いて、じっと下方を眺める。


 まだ両者に目立った動きはなく、魔物の側が慎重に彼女の動きを探っているようだ。彼女は上手く一匹だけをおびき寄せたらしい、他に姿を現す魔物は居ない。


 魔物を倒す正攻法はいくつか存在するが、その中に魔法を打ち込むというものがある。

 狭い意味での魔物とは、龍脈の影響を受け変化した原生の生き物たちである。魔法の発動源は魔力、つまり龍脈であり、龍脈に適応した生物に龍脈の力を打ち込むのは一見有効でないようにも思える。

 しかし魔物においても、龍脈の許容量には一定の限界があるのだ。多量の龍脈を体内に流し込まれれば、体が急速な変化に耐えられず、生命としての器が自壊する。ゆえに、龍脈の塊である魔法を打ち込む方法は、魔物を倒すセオリーとして広く知られている。


 だがこのアクアウォードは魔法が効かない。誰彼構わず魔法を打ち込み魔物を倒してきた冒険者は、まずここで立ち止まる。

 原理としては単純で、この魔物は龍脈を吸収する力が強いのだ。並みの魔法では即座に吸収され、魔力や魔石として奴らの糧にされる。一応、強大な魔力を帯びた魔法なら許容量を超え倒すことが出来るが、それが出来るなら初心者の冒険者ではない。


 冒険者は一切魔法を絡めない、体のみの戦闘で奴の討伐と向き合うことになる。まぁ、もともとあまり魔法を使用しない彼女には、関係が薄い話だが。


 じりじりと距離を詰めていたワニは、やがて立ち止まっていた。奴の周囲の流れが変化する、あれは……魔法の予兆。


 奴の正面から光線のような柱が放たれた、それはこちらから見れば、緩やかな放物線を描き湖水へと着水している。彼女の目からすれば、ほぼほぼ動きがなく目の前に攻撃が迫っていたのが見えた事だろう。


 彼女は魔法の射出と同時に身を投げ出し、真横へと交わしていた。ワニはぐるるると威嚇のような響きを立てる。


 こちらからの魔法は通用しない。だが奴の方は魔法を得意とする。今のは水の魔法、高圧力の水の柱を吹き出し獲物を攻撃する魔法だ。

 距離減衰こそ強く掛かるものの、至近距離で撃たれれば岩をも貫く恐ろしい威力である。距離をとっても目など軟らかい部位を狙われればそこそこの衝撃を受ける。戦う上では無視できない、厄介な魔法である。


 ぐるぐると唸り、両者は再び膠着状態に陥る。


 魔物である限り、弱点となる魔石の核を破壊すれば、体内の龍脈を制御しきれなくなり、倒せるのは同じである。あそこに居るアクアウォードを倒すのにも、核の破壊を目標として戦闘の算段を付けるのは正しい。


 しかし、核を破壊する上では、奴の特殊な体の構造が障害になってくる。


 見れば見るほど恐ろしい、奴の体は穴だらけ、その穴は水の塊が埋めており、その生命に支障が出ているようには感じられない。


 魔物は高位になるほど、魔法体という、龍脈で出来た仮の物質で体を構成するようになる。だからこそ、核を壊すと維持できなくなりその体は消えてしまうが、魔物として生きていく上で普通の体よりは魔法体の方が都合がいい。多少の欠損も、蓄えた魔力が許す限りいくらでも再生できるからである。


 アクアウォードの体も、魔法体で体を補う、ようにしているのであろう。その補完は半端であり、欠けた体を埋めているのは、龍脈で出来た高純度の魔法水。強い魔物であれば元来の生命維持の器官は不要になってくる。アクアウォードの体は斑に水に置き換わっていき、生命として歪に進化した姿を見せる。


 そんな穴開きのワニであるが、戦闘を行う上で注意しなければならない点がもう一つ。体を埋める高純度の魔法水である。


 魔物は魔石として龍脈をため込むのが普通であるが、奴はあの穴あきの水に大量の魔力をため込んでいる。本来、高濃度の龍脈は生物に強く作用する劇毒である。我々が人間であるならば、あの魔物を倒すなら体を埋める劇薬に長く触れてはならない。


 魔法に秀でる魔物であるが、元々の肉食獣としての戦闘力も十分に有する。接近され嚙みつかれようものなら、逃れられないまま死ぬだろう。彼女が先ほどから距離をとったまま近づけない理由である。


 近遠距離両方の魔法を有し、容易に触れられず、肉体の性能も高い。

 二十レベルに駆け上がらんとする冒険者に課される課題としては、十二分な強さを持った魔物である。


 彼女らは未だ睨みあっていたが、遂に、彼女の側から仕掛けた。


 強く踏み込み距離を詰め、ロッドの先端を奴の体へと突き付けた。魔法は間に合わない、彼女の独特の間合いに、奴は肉体をそのロッドに捉えられる。

 だが急所には入らなかったようだ、奴は身を捩り俊敏に後退する、そして口を開き再び周囲の流れが変わる。


 彼女は身を屈ませ頭上を掠める水柱を避けたが、続けて奴は彼女へと迫った。滑るように地面を移動し彼女の足に食いつく、彼女はロッドを地面へと突き立てそれを阻止し、そのままロッドを滑らせ奴の口内を突こうとするが。


 空いた空洞、水の塊の部分にロッドが滑り、彼女の目論見は不発に終わる。ぐるんと体を捩じり、奴はロッドの拘束から逃れてしまう。


 あの穴あきは個体によって無作為であり、事前に対処の計算が出来ない。運悪く、その穴が今は不利に働いてしまったようだ。

 彼女のロッドは、敵の急所を的確に、鋭く突く事で体の動きを止める。それには経験や前知識が重要となる。無作為に体の急所が消える、奴の相手は苦労するだろう。


 三度距離が空き、両者はじりじりと睨みあう。


 と、彼女がゆっくりと片手をロッドから外した。奴は動かない。その手はじりじりと彼女の懐に入っていき、やがて何かを握ったまま彼女は手を取り出す。


「……」


 彼女はきっと冷や汗をかいている、そのまま左手を構え。


 握ったそれを投げつけた。


 咄嗟に奴は身を動かすが、彼女が追従し、地面を転がるそれをロッドで弾き、真上から砕く。


 ふわと光が溢れ出す、光が加速度的に強くなり、やがて耐え切れなくなったように強い光を放ち、現象を吐き出す。


 ロッドを中心に冷気が走る、それはワニのすぐ脇で広がった。瞬く間に地面事、丸く凍り付く。奴は慌てて後ずさるが、その体にも魔法は入った。奴の体を埋める水が半身ほど凍り固まった。


 目に見えて奴の動きが悪くなる。じりじりと後退っていき、しかし彼女は離さないようにそれを追う。


 奴が背後の穴に進路を翻す、その瞬間だった。勝負はその時に大きく傾いた。

 

 逃げ腰を見抜いた彼女は凍り付いた体の箇所へと鋭くロッドを突き出す、氷は砕け、すぐには再生しない。すぐさま前足の片方に狙いを付け再び貫く、魔法を受けていたその体は衝撃を逃がしきれず、鈍く潰れる。


 彼女が再び魔石を取り出し、投げたそれを奴の傍らで砕く。魔石が冷気を放ち、次々と奴の体を凍らせていく。


 彼女がロッドを体の裏に入れ、奴の体をひっくり返す。通常時なら素早く身を捻り態勢を治すのだろうが、凍り付いた体はうまく動かない。彼女は思い切りロッドを上に振りかぶり。

 その裏返った腹へと向けて、一直線に振り下ろす。肉がひび割れ、コアとなる魔石が露出した。彼女がそれへと向けて、再びロッドを振り上げた瞬間だった。


「きゃっ!!」


 思わず飛び降りる姿勢を取った。彼女は奴が使う魔法の兆候を見逃し、魔法の直撃を受けた。


 ……いや、咄嗟に防げていたようだ。少しだけ、魔法との距離があった。加えて彼女は細いロッドを縦にした、衝撃を殺しきれず彼女は吹き飛ばされたようだが、魔法を体には受けていなかった。

 彼女はすぐに立ち上がりロッドを構える。ワニは鈍い動きで起き上がり、濁った眼を彼女に向ける。


 状況は白紙に戻った、ようにも思える。しかしそうではない。


 彼女がワニの後方へと魔石を投げた、奴は感覚でそれを逃れ、前に、彼女の方へと迫る、そのまま大きく口を開け、彼女に嚙みつこうとするが。


 彼女は軽い身のこなしで真横にずれた。そして、ロッドを思いきり振りかぶり。ある一点へと振り下ろす。


 ロッドはワニの体を貫き地面に縫い付けられる。しかし、魔物ならその程度の損傷、訳もない、暴れ、その拘束を解くかのように思われたが。


 ワニはもう動かなかった。奴はロッドに縫い留められたまま動きを止め、そして。


 ばしゃんと、体を埋める水が形を失う。本当に穴だらけとなった、魔物のワニの体がそこに残る。彼女がゆっくりと、そのロッドをどけると。


 ロッドが空けた穴の奥には、砕けた、青い宝石のような魔石が埋まっていた。きっと彼女は、さっきの一瞬でコアの位置を把握したのだろう、位置が分かれば後はそれを貫くだけだった。


 彼女は手袋を嵌め、慎重に魔物の体を解体していく。魔石を小さな袋に詰め、かさ張らない皮や牙などを先に回収していく。


「……ふぅ」


 俺は、知らないうちに詰めていた息を吐き出した。ぼんやりと、感慨深く彼女が魔物の体を処理する様を眺める。


 まだ、まだだ。依頼の流れの一部として魔物の解体はある。現地から帰還し、納品を済ませるまでが依頼であり、試験の内容にもそれは適応される。俺はまだ、彼女によく頑張ったなと声を掛けてはいけない、彼女の邪魔をしてはいけないのだが。

 試験の山場は越えた。ほぅと息を吐く。後は帰るだけ、彼女の消耗もまだ余裕がある。何事もなければこのまま帰れるはずだ。


 緊張の糸は緩み、彼女の解体を眺めていたその時だった。


 奥から何かが迫ってくる。


 彼女はまだ気づいていない、死体の処理に集中している、試験はまだ続いている、その接近を伝えることは試験の妨害を意味する。俺は咄嗟に彼女に何も伝えないと判断した。


 ふと、彼女が顔を上げた。洞窟の奥の方を向き、鋭くロッドに手を当てたのだ。


 俺は、それが先ほどの魔物の一匹かと思っていた。試験には出来るだけ適した場所が選定される。試験の最終地点であるこの場所には、試験の課題となる魔物のみが出現する、そういう場所が適していたからこそこの場所が選ばれたのだ。

 だからこそそれは、その影は、指定された魔物”アクアウォード”の一匹である必要があった。事実、試験場の下調べでは、この最終地点付近ではアクアウォードしか出現しなかった。


 だからこそ、俺は動くのが遅れた。


 現れた何かは、風のように駆け抜ける。

 

 彼女の上体が地面に滑り落ちた。



 俺は湖へと飛び降り湖水に魔石を投げ、凍った湖面をたわませ水面を駆け抜ける、形を表わさぬそれへと大きく跳ね、利き手を剣の柄へと伸ばし、


 頼む、発動してくれ―


 鋼の糸のような風の流れが素早く剣の周囲にわだかまる。


 幻性”風刃”―


「っっ”疾風陣”!!!」


 丸い、小さな竜巻が駆け抜ける。それは相手の中心へと触れ、そのまま壁へとぶち当たる。壁ごと切り刻み、風の刃は空気へと溶けていった。


 どこへ……倒した? ……いや、逃げたか? 気配が完全に消えたと判断した俺は、身をひるがえし彼女へと駆け寄る。


「ゴールドシープっ!!!」


 彼女の体は完全に、腰から上と下に分かれていた。


「おい、ゴールドシープっ!!! しっかりしろ!!! ゴールドシープっ!!!!」


「……ゃて、さん……」


「ゴールドシープっ!!! 大丈夫だ、俺が必ず助けてやるっ!!! 少し待っ―」


 彼女の体は綺麗に分かれている、これならくっつけて治癒魔法を……いや、手持ちに治癒の魔石がない! くそっ! 彼女の体を地上まで……いや、二つに別れた体を持って、人の居る所まで帰るのは現実的じゃない!! 彼女を置いて人を……いや、こんな魔物のはびこる洞窟に置いてなんていけない、そもそも流れ出る血が!! 時間が!!!


「だ、大丈夫だ、俺が必ずどうにかする、俺が―」


「……ゃてさん……ゃてさ……あの……」


 彼女が俺の腕を掴む。


「大丈夫だ、安心しろ、絶対に見捨てたりなんて―」


「はやてさん! さっきから騒ぎすぎです、魔物寄ってきちゃいますよ。まずは安全な所に移動させて欲しいです」


「あぁ、そうだな……って、あれ……?」


 彼女が、俺の腕を掴んで強く揺すっている。


「お前……生きて……?」


「勝手に殺さないでください。大丈夫だって言ってるじゃないですか、とりあえず私持って安全なところに移動してください、下半身は……まぁ、無理なら置いてってもいいですけど」


「いや……あ……? ……いや、まずは止血を……」


「血なんて流れてませんって。ちゃんと目、見えてます? 寝てて暗闇に目が慣れてないんですか?」


「いや……寝てなんて……」


 彼女の体を見下ろせば、いたましい、滑らかな彼女の断面が……あれ……? 確かに真っ二つに分かれている、だが水滴の一粒も地面には流れていなくて、というか……なんだ……? これ、断面が、滑らかで、肉や骨や血液の赤も見えず、ただ磨いた瑠璃のような滑らかな断面が……―


「きゃっ! ちょっと、どこ触ってるんですかこの変態!!」


「いや……え? これ、どうなって……?」


「だからそれも後で説明するって言ってるじゃないですか! 助けてくれてありがとうございます! でももう倒したんでしょ? 早く安全を確保して欲しいんですけど!」

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