2.Lv.35 -5 焦り

「えらく遠くまで来ましたねー」


 ラテリア区域の草原地帯の奥の方へ行くと僅かながら湿地帯が存在する。


「今日は気を抜くと大けがするから気を引き締めて行けよ」


「あはは、そんなの冒険者じゃ日常茶飯事じゃないですか」


 確かにそうだ。彼女を甘く見すぎていたか。


「今日の目標はイビルアリゲーターとかいう水棲の魔物だ」


「わるそー」


 薄い感想。


「今日は主に、悪い足場で戦うことの訓練だな」


「ここで戦うんですかー?」


 彼女がびっちゃびっちゃと長靴を地面に埋め込む。間抜けな音を立てて水が滲み出す。


「戦場はお前が選ぶが、まぁここら一帯はぬかるむな」


「うごきにくーい」


「その訓練だっつってんだろ」


 大層な道なんてものはない。泥をかき分け土の中を進む。


「ほら、居たぞ」


「ふーん……あれ?」


 俺が指さす先にいたのは、まぁワニだ。ちょっと不気味に装飾され、かぎ針のような突起が体の各所に生える。ただし、ただのワニではなく―


「なんか……小さくないですか?」


「あれで成体だ。魔物の変異は巨大化だけじゃない」


 遠近感が狂うようなミニチュアのワニ、大きさは大体、人の指の先から手首と肘の間くらいの全長。


「ちょっと可愛いかも」


「ペットには向かない。あごの力が強いから、市販の檻を食い破る」


 石を拾って放り投げると、尻尾で軽く打ち返す。ゆっくりと首をもたげ俺たちの方を見る。


「意外とパワフルな子なんですね」


「簡単に体の一部持ってかれるから気を付けろよ。ほら行け」


「さらっととんでもないこと言ってませんか? ……私一人で、ですよね」

 

「骨は拾ってやるよ」


「肉が削げる前に助けて!」


 彼女はカバンからロッドを取り出し先に構える。

 敵意を感じ取ったのか、ワニは彼女に対して向き直る。じり、じりといつの間にか距離を詰めてくる。

 やはり、仕掛けたのはワニが先だった。

 

 ワニは跳躍する、一直線に向かう先は彼女の首元。がっと、ワニがロッドに食らいつく。重量を受けて彼女の体が仰け反るが、足を取られて思うように踏ん張れない。


 ワニは口を開き地面に落ちる、すぐさま逃れようとしたワニの体に、彼女が棒を垂直に突き立てる。それは胴体の中心を捉えたが、急所ではなさそうだ、ワニはじたばたと暴れる。ぬかるむ地面で抑えきれず、また力も入らなかったのだろう、ワニは押し付けられた棒から逃れる。そのままワニは彼女のふくらはぎに食いつこうとする、ギリギリで足を地面から抜き、彼女はどうにか蹴り飛ばす。


 再び距離が離れて仕切り直し。彼女は息を荒げて魔物と相対する。


 今度は、先に動いたのは彼女の方。しゅっと棒を突き出す、それは半開きのわにの口の中へとねじ込まれる。危機を悟ってかワニは懸命に暴れる、身を捩り何とか逃れようとする。しかし内臓の弱い部分から抑えられ、その抵抗は泥を掻くだけだ。


 彼女はワニを地面に押し付けたまま、慎重に距離を詰める。棒を垂直に立てると白い腹がこちらに見える。彼女は棒を抜き去り素早く再び突き立てた、それは柔らかい腹に当たる。きゅう、と声なき声を上げ、それからワニは目立った抵抗をしなくなる。


 彼女は片方の手をロッドから離し、小刀を取り出す、それを素早くワニの頭に突き立てた。続いて腹を探り、探し当てたのかそこを切り裂く。肉体の内部から魔石が露出した。彼女がそれをもぎ取ると、ワニは今度こそ二度と動かなくなった。


「おつかれ」


 声を掛けると、ふーと彼女は息を吐きながら振り返る。


「これ、強いんですか?」


「まだパワーもないし魔法も使ってこない。序の口だな」


 彼女が何とも言えない顔で灰色に明るい空を見上げた。とは言え、だ。


「まぁ、頑張ったな」


 彼女の目が俺に戻る。


「もう、飛び級試験行けます?」


「まだ、これだけじゃな」


「まだ段階踏んでいくんですか? 一気に上げていいですよ、時間も無いですし」


 なんだ、今の魔物の強さは拍子抜けだったのか? 彼女は冷めた口調で言ってくる。


「そう焦るな。死期を早めるぞ」


「飛び級試験受けようとしてる、私に言ってます? 受かるか受からないかを事前に試して、試験当日までに合格出来るようにしたいんです。こんなお遊びみたいな狩り、いつまで続けるんですか?」


 ……まぁ、確かに。試験に合格させることが依頼主である彼女の願いであり、彼女を一から丁寧に叩き直すことは頼まれていないのだ。

 安全第一で予定を組んでいたが、それだと彼女の言うように悠長かもしれない。彼女の希望に沿うのなら、多少危険を冒してでも予定を前倒しにすべき……か。

 気は進まない。俺のやり方ではないが。まぁ……どうにかするか。


「明日から魔物の強さを試験合格に相当するレベルに引き上げる。それでいいか?」


「お願いします」


 まだ彼女の底は見えていない。だが、戦闘力に秀でていたあいつと最近組んでいたからだろうか、あいつならもっと早く、もっと楽に勝てていたとか、そういうイメージが脳内にちらつく。この子が戦闘力不足を自称していたのもある。果たして、彼女の言うとおりに強い魔物と引き合わせていいものか……どうにも心に不安が残る。


 生ぬるい風が頬を撫でる。粘つく泥と水草の臭いが鼻腔を埋める。


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