4話

 転移先は、どこかの路地裏だった。

 人目につかないように配慮した結果らしい。

「じゃあ、役所に行こうか。東に向かって歩くぞ」

 入り組んだ路地裏を師匠は迷いなく進む。

 通い慣れているのだろう。

 歩き続けると、段々と騒がしくなってくる。

「そろそろ大通りに出るぞ」

 っ、眩しい。

 あまりの光量に目を閉じる。

 そして、そっと目を開ける。

 壁がある。色とりどりの壁だ。高さはばらばらで、横幅の非常に広い大通りを隙間を残さず埋めつくしている。

「師匠……」

「ああ、多いな」

 ユウナの呟きに師匠が答える。

 ギルドにいた時は、もっと少なかったはずだ。

「今日は月に一度の王都祭じゃなかったか?」

 セイが言う。

「王都祭ってなんですか?」

「月に一度ある大きな市だ。王都は東西南北の四つの区に分かれているだろ?その全ての区から、店や商品がやってくるんだ」

「へー、まさに祭りですね」

「おい皆、はぐれないようにしろよ」

「はーい」

 ユウナが答え、俺の手を握る。離さないように、握り返す。

「私たちも握るか?」

「だ、大丈夫ですよ」

 師匠がからかっている。

 この一週間師匠がからかっている姿を見ていなかったので、新鮮に感じられる。

「しゅっぱーつ」

「しゅっぱーつ!」

 師匠に続きユウナが元気よく言う。

 男性陣は微笑ましく見守る。

 大通りに出ると、やはり密度が高く、押し返されそうになる。まるで、俺たちを拒絶しているようだ。

 負けじと進もうとするが、勝てない。

「ウィル、こっちだ」

 師匠の後ろに付く。

「こっちなら、だいぶ歩きやすい」

 彼女の言う通り、押し返されることなく、スムーズに役所の方向へ向かえる。

「無理に突破しようとするより、流れの穴をついた方が良いんだ」

 ふと見上げると、視線の先に巨大な建造物が見える。

「あれが役所だ」

 セイが教えてくれる。

「大きいですね」

「ああ。戸籍の管理などを行う部署に加えて、政府の機関が部署を置いているからな」

「たしか、王様一人で全てを管理することは難しいから、選挙で選んだ役人に任せているんですよね」

「その通り」

 手を繋いでいるお陰で、はぐれることなく役者に着いた。

 豪勢な装飾が施された門が出迎える。

 その先に道が伸びており、ガラスの扉がある。

「綺麗……」

 ユウナが呟く。大理石の門をじっくり見つめている。

「ユウナ、先に役所に行こう」

 師匠に促され、役所に向かう。

 道の両脇には、丁寧に管理のされた植え込みが多数あり、庭園のイメージを感じる。

 流石王都中央付近に位置する建物だ。

 中に入ると、やはり大理石の白を基調とした装飾が続く。

 麻の服を着た俺達は場違いに感じる。

「紙を貰ってくるから、ここに座っていてくれ」

 師匠以外の三人がソファに腰かける。

 低反発で座り心地がいい。

「失礼。住所登録をしたいのだが」

「はい。では、こちらの紙にご記入した後、もう一度こちらへ来てください」

「はい」

 師匠が紙を二枚持って帰ってくる。

「ウィルとユウナ、付いてきて。向こうで書こう」

 机に案内される。インクと羽根ペンが置いてある。

「この黒の枠線の中の部分だけ書けばいいぞ」

 師匠が手馴れた様子で説明する。

 普段は鉛筆で筆記しているので、羽根ペンは慣れない。

 反対にユウナはあまり苦戦している様子は無い。魔法使いあるあるだ。

 苦戦しつつも何とか書き終える。

「師匠、これ大丈夫ですかね?」

「んー、大丈夫だろ。セイはもっと汚かったし」

 三人で受付に行く。

「書き終えましたー」

「では、少しお待ちください」

 椅子に座って暫く待つ。

「では最後にこちらの紙にご記入ください」

 師匠が羽根ペンで書いていく。綺麗な字だ。

「確かに受け取りました。これで住所登録は完了です」

 なんだかあっさり終わってしまった。

 もっと時間がかかるものだと思っていたが。

「今日は人が少ないからすぐ終わったな」

「祭りのせいですか?」

「かもね」

 セイがソファで寝ていた。

 さして時間が経っていないのに、だ。

「セイ、起きろ」

 つついてみるが、反応がない。

「ウィル、任せろ」

 俺を退けて師匠が前に出る。

 彼女は周囲を見渡す。

 嫌な予感がする……。

 バチィン!と音が響き渡る。

「いってぇ!何するんですか!?」

「起こしただけだろう。ほら、さっさと帰るぞ」

 雑だ。何がとはいないが雑だ。

 失礼しましたー。

 師匠はそう言い残して、セイを連れて出ていく。

 俺達もそれに続いた。


「酷いですよ。いきなり叩くなんて」

「こうでもしないと、起きないだろ」

 セイの左頬には大きく、赤い手の跡が残っている。

「さて、登録が終わったことだし、やることが無くなったな」

「じゃあ、メイさん。俺祭りを楽しみたいです」

「おっ、私もそう思っていたところだ」

 二人は顔を合わせ、ニヤリと笑う。

「と、いうことで!今から祭りを楽しむぞー!」

「「「おー!」」」

 拳を突き上げる。

 胸がちくりと痛んだ。

 はい、と言って、師匠から何かを渡される。

 麻でできた巾着袋だ。

「師匠、これは?」

「開けてみな」

 口を縛っている紐を解く。

 中には紙幣が五枚入っている。

 取り出してみるとそれは、

「「五万ゴールド!?」」

 ユウナと共に大声を出してしまう。

「こ、こんな大金……」

 ユウナが驚きすぎて、うまく言葉を紡げていない。

「私からのボーナスだ。遠慮せず使ってくれ」

「遠慮せず……本当にいいんですか?」

「ああ。本当だ」

 ユウナの手が震えている。未だに現実を受け入れられていないようだ。俺も一緒だ。

「まあ、師匠がそう言っているんだから、ありがたく貰っておこう」

「そうだねお兄ちゃん」

 ようやく彼女の震えが治る。

 俺は手を取って、大通りの方へ歩き出す。

「師匠、行ってきますね」

「いってらっしゃい。一時ぐらいに役所前に集合しよう」

「はい」

 右手でしっかり袋を握りしめて駆け出した。

 まだ胸が痛む。


「しかし、メイさんも意地悪なことをしますよね」

「ん、何がだ?」

「いきなり五万ゴールドをあげるのは、なかなかですよ」

「そうかな。ちゃんと使いやすいように、一万ゴールドを五枚あげたぞ」

「そういうことじゃないんですよ……」

 セイが呆れた声を出す。

 メイはよく分からないという風な顔をする。

 若干の沈黙が生まれる。

 静寂を破ったのは、セイだった。

「俺たちも祭りを楽しみましょうか」

「そうだな」

 メイは一人、大通りの方へ歩いていこうとする。

「し、師匠」

 彼女を呼び止める。

「何だ?」

「その、一緒にまわりませんか」

「一緒に?……そうだな。いいぞ、一緒にまわろうか」

「はい!」

 何でそんなに嬉しそうなんだ、とメイが聞く。

 何でもないです、と返す。

 メイはさっぱり分からないと肩をすくめる。

 セイはセイで喜びと緊張の混じった表情をしていた。


 所変わって、大通りでは俺とユウナは人の壁に阻まれ、全く前に進めずにいた。

 気をつけないと、押し戻されそうになったり、ユウナと離れ離れになりそうになる。

 心配で彼女の手を、痣が出来るのでないかというほど強く握る。

「そういえば、ユウナは何を買いたい?」

「んー、お菓子とかかな」

 あたりを見渡すが、かろうじて見える出店の中に希望に合いそうなものはない。どうやらこの付近はアクセサリー等が売られているらしい。

 人が多すぎて買えるのかは不明だ。

 何分経ったか分からない頃、抵抗が少なくなり、歩きやすくなる。

 好機と見て、どんどん先へ進む。

 すると、視界が急に開ける。

 俺たちは広場にいた。目の前には模様が彫られた白い噴水がある。

 相変わらず、数え切れないほどの人がいるが、広場は十分に移動できるスペースが残っている。

 ここは大通りとは違い、ご飯を出す出店が多く立ち並んでいる。

「ここから探してみようか」

「うん」

 ユウナの声が弾んでいる。俺の足取りも軽い。

 この祭りの雰囲気にあてられたらしい。

「あっ、お兄ちゃん。あれがいい」

 ユウナが指差したのは、シュークリームの店だった。

「シュークリームか。美味しそうだな」

「お兄ちゃんも好きでしょ?」

「ああ。俺のことも考えてくれたのか」

「もちろん。お兄ちゃんと一緒に楽しみたいもん」

 無邪気な笑顔を俺に見せてくれる。

 ぐっ、かわいい。

 何としても確保しなければ、という思いが湧き上がる。

 すぐさま列に並ぶ。

 行列ができており、シュークリームを食べられるまでには時間がかかりそうだ。

 並んでいる人の話を聞くと(盗み聞きではない)人気店らしい。在庫がこんな祭りが始まってすぐの時間に無くなることはなさそうだ。

 注文をする際には、朝食をとったにも関わらず、お腹が少し空いてしまっていた。

 千ゴールドを払って、二個頼む。

 店員からシュークリームを受け取る。

 見た目から美味しそうだ。普段道の端で売っているものよりも輝いて見える。

 これが王都のクオリティというわけか。

 広場の近くにあるベンチに腰掛ける。祭りに合わせて増設されたようだ。

「いただきまーす」

 そう言うと、大口を開けてユウナがかぶりつく。

 中から勢い余ったクリームが出て、鼻の下に付く。

「おいしー。今までで一番だよ」

 クリームがヒゲのようになっていることなど意にも介さず、彼女はシュークリームを食べ進めていく。

 俺も一口食べてみる。

 中にたっぷり詰まっているクリームが外に出ようとする。どうやって食べようと、クリームの脱走を防ぐことは出来ないかもしれない、と思う。

「うん、これはうまい」

 一個五百ゴールドは安い。

 ユウナが平らげてしまったようなので、ヒゲについて教えてあげる。

 ユウナは指でさわって確認すると、顔を赤らめる。

 俺もすぐに食べ終わってしまう。

 集合時間までまだまだ時間は残されている。が、昼食をとることを考えたら、案外時間は短い。

「次は何をしようか。せっかくだから祭りらしいことをしてみたいけど……」

「祭りらしいこと……射的とか?」

「いいね。でもどこでやっているのだか」

 広場を中心として、俺たちが通ってきたような大通りが後三本ある。

 おそらく他の広場と繋がっている筈だ。射的などになると広場でやっていそうだが、運試しはしたくない。

 悩んでいると、紙を配っている男性が目に入る。

 気になったので、紙をもらいに行く。

 紙には東広場で演劇を行う旨が書かれている。

「なあ、ユウナ。これとかどうだ?」

 紙を見せる。

「演劇......いいと思うよ。ところで東広場ってどこなの?」

「さあ。ここの広場がどこか分かれば話は早いが」

 ふらふらと歩き回る。それらしい看板がないか、あたりを見渡す。

「あっ、お兄ちゃん。ここ南広場だって。右だから……あそこの通りからいけるんじゃないかな」

「そうだな。さすがだ」

 えへへ、とユウナが照れる。

 また人混みをかき分けないといけないと思うと気が滅入ったが、愛しの妹と演劇を見るためなら、そんな思いも消し飛んだ。


 広場の中央に大きな舞台が設置されている。

 幕はまだ下がっている。

 そばにある看板曰く、今日俺たちが見る演劇以外に、ショーや合唱のイベントがあったらしい。

 舞台の前の観客席の空きが少ない。

「あそこに座ろう」

 ユウナの手を引いて、中央よりも左側の後ろの席に座る。

 隣の人と適度な距離を保ちつつ二人座れる、絶好席だ。

「楽しみだね」

「ああ。そういや、どんな内容なんだ?とりあえず見に来たけど」

「確認してないの?」

「ああ。ユウナが納得したなら、大丈夫な内容だから確認する必要はないかなって」

 うそー、とユウナが驚く。

 その後、少し待つと茶髪の女性が舞台に上がる。

「皆さまお待たせいたしました。只今より劇団カラットによる『英雄譚』開演です!」

 盛大な拍手によって、演劇の幕開けが迎えられる。

 上手から勇者が現れる。もちろん本人じゃない。

 彼は肖像画のような甲冑を身につけておらず、古びて、色褪せた青色の服を着ている。

 舞台の中央、突き立てられた剣に向かって歩く。

 あれが、勇者として天啓を受けた者のみが抜くことのできる聖剣か。

 勇者は剣の柄を両手で握る。

 さして力を加えていないのにも関わらず、聖剣が容易く抜かれる。

『勇者が聖剣を手にしたのが約百年前。これが先代の勇者の伝説の始まりだったのです』

 ナレーションが入る。

 まるでお伽話のようだが史実だ。教科書や演劇で見ても実感は湧かない。

 その後も勇者の冒険の経過が演じられる。

 はじめに勇者パーティーに同行したのは、幼馴染のタンク。

 鎧を全身に装備し、肌の露出が全くなく、そして表情や感情を読み取れない。ただし勇者は長年の付き合いから分かったらしい。

 大柄で身長は百九十センチほどありそうだ。

 次に仲間になったのは僧侶。

 彼女は、勇者が国王に謁見した際に仲間に加わったらしい。教科書で学んだが、彼女は王国史上五本の指に入る実力者だった。

「よし、では魔王討伐を目標に出発!」

 勇者が聖剣を手にしてから約四ヶ月。

 彼らは王都から旅を始めた。

 そして旅が始まってから三週間後。

 勇者パーティーに新たな仲間が加わることとなる。

 エルフの魔法使いだ。

 この時以前に勇者の仲間に亜人が加わった例はない。先代の勇者の伝説が特に国民の間で愛されている理由の一つだ。

 エルフの魔法使いに関する記録は、近年子供達にはほとんど知られていない。教科書から記録が消されたことが大きいだろう。

 彼女が参加したことで、四人体制の勇者パーティーが結成された。

 そして勇者達は快進撃を続けることになる。

 なぜなら、魔法使いの実力が勇者に匹敵、もしくは肩を並べるほどだったからだ。

 彼女は強大な魔法を使い、魔王軍を蹴散らした。

 勢いそのままに彼らは、四天王を打ち倒し、旅が始まってから一年。

 遂に魔王と対峙する。

 演劇ではあるが、その時の緊迫した雰囲気の断片が感じられる。

 そして激闘の末、魔王を打ち倒すことに成功する。のちの勇者の話では、心臓に聖剣を突き立てるまでに、体感三時間以上かかったらしい。

 正確な時間ではないかもしれないが、どれほどの戦いだったのかを物語る台詞だ。

 長い旅を終えた勇者達は、盛大に迎えられ、王都で祭りが開かれた。

 舞台では、華やかな演出で当時の様子を見せる。

 勇者達が祝福される姿でもって、演劇は幕引きを迎えた。

「本日は劇団カラットによる『英雄譚』をご覧いただきありがとうございました。この後は……」

 茶髪の女性が再び舞台上に上がり、案内をする。

 集中して鑑賞していたせいか、少し疲れを感じる。

「満足できたな」

「うん。演劇は臨場感があって、本を読んだりするよりも引き込まれるね」

 お互いに演劇の感想を言い合う。

 時計を見ると、十二時過ぎになっている。

 のんびりしている時間は多くはないようだ。

「ユウナ、何か買ってから役所に行こう。集合の時間が意外と近い」

「分かったよ。今度はお兄ちゃんが買いたい物を決めていいよ」

「そうか。そうだな……」

 ぐるっとあたりを見渡す。

「おっ、あれとか良さそうだ」

 俺はターキーの店を指差す。

 自論だが、祭りのターキーは大概うまい。

「いいよ。早く行こ!」

 ユウナが店の方へ駆け出してしまう。

「おーい、置いていかないでくれー」

 迷子にならないように、急いで追いかける。

 ユウナはそんなに、肉が好きだっただろうか?スイーツの方が断然好きのはずだ。

 幸い見失うことなく、追いつくことができた。

「ユウナ。もう少しゆっくり行ってくれ」

「ごめんね。 でも、ほら早く並べたでしょ?」

 どうも今日の彼女は、せっかちというか、次へ次へと行こうとする。

 店のおばちゃんから、ターキーを二本貰う。袋が重くなってきている。

 やはり、祭りのターキーは美味しい。味付けがしっかりと施されているのが分かる。

 ユウナも美味しそうに頬張っている。

 俺の気づかないうちに、嗜好も変わってきたのか。

「お兄ちゃん。そろそろ集合の時間じゃない?」

「確かに近づいてるな。余裕を持って移動しよう」

 ターキーを齧りながら、役所まで移動する。

 通りは相変わらず混んでいる。今日いっぱいはこのままだろう。

 役所の前は比較的空いており、ある程度の空間があった。

 師匠とセイはまだ到着していない。

 門の前に立って、師匠たちを待つこと五分。

 二人揃って、俺たちがさっき通ってきた通りから現れる。セイの両手には紙袋が握られている。かなり買っていそうな雰囲気だ。

「早かったな」

「俺たちもさっき来たところです」

 決まり文句を返す。

「ところでなんで二人が一緒なんですか?」

「ああ、セイが一緒に行きたいって言い出してな」

「へー」

 彼の方を伺う。

 満面を笑みを浮かべて立っている。一週間近く共に過ごしてきたが、あんな顔は見たことがない。

「二人は何をしたんだ?」

「シュークリームとターキーを食べて、演劇を観ました」

「じゃあ、お腹は空いてないか?」

「俺は全く膨れてません」

「私もあんまり」

 ということで、昼食を摂ることになった。

 どこも満席で簡単には食べれなさそうだ。

「どこか当てはあるんですか」

「安心しろ。既に予約してきた」

「えっ?まわっている間にですか」

「そうだ」

 なんと自分勝手な。

 セイは止めなかったのか。

 ……一応止めようとはしたらしい。

 彼の表情が全てを物語っていた。長年の付き合いで諦めている節すらある。

「一応確認したいんですけど、もし俺たちが満腹だって言ったら

 どうしたんですか?」

「そりゃ、無理やり食べてもらうしかないだろ」

 さすが師匠だ。

 呆れを通り越して、もはや何も感じやしない。

 結局、師匠の予約した店に行く。

 店の前には行列ができていた。他の店にも列はあるが、この店はその中でも一層長い列ができている。

「有名店なんですか?」

「そうだな。よく王都の美味しい店だと紹介されているな」

 セイが説明してくれる。

「次の次に呼ばれるぞ」

 予約票を確認して戻ってきた師匠が言う。

 列の横の方で待っておく。

「四名でお待ちのセイ様」

 セイが店員のところへ行く。

 四人席に案内される。

 俺とユウナが隣り合い、師匠とセイが隣り合って、二組が向かい合う形で座る。

 メニューを見て知ったが、ここはパスタ屋らしい。

 基本的なミートソースから、シーフードやよく分からない名前の、美味しいことだけは分かる物まで様々ある。

 王都にあるだけあって、遠く離れた地域の食材が使われていたりする。あと、値段が高い。

 ユウナにボソッと伝えると、田舎くさいよ、と言われた。

 師匠たちは注文するものが決まったようなので、俺も眺めているだけではなく、選ぶようにする。

 悩んだ末に、カルボナーラにした。ユウナはミートソース。師匠とセイはシーフードらしい。

 一番はじめに到着したのは、ミートソースだった。

 満席で、ひっきりなしに注文が飛んでいるにも関わらず、たいして待つことなく料理が届いた。

 早速ユウナが一口目を運ぶ。

 美味しい、と零す。

 普段より速く、がっつくように食べていく。

 どのくらい美味しいのか、好奇心が刺激される。

「そういえば、師匠たちはこの店に来たことがあるんですか?」

「ああ、かなり来ているよ。王都に用事があった時は、ここかもう一つ他の店で済ませているから」

 暇つぶしの雑談をしていると、残りのパスタが同時に到着した。

 忘れずいただきます、と言ってから食す。

 カルボナーラは、ソースに全くダマができておらず、また麺が固まって巨大な小麦の塊にもなっていない。

 口に入れると、カルボナーラ特有の重みとスパイスの胡椒が絶妙な加減で合わさり、あまりくどくなく、食べる手が止まらない。

「美味しいか」

「はい。なかなかここまでのカルボナーラを食べれる機会はないですよ」

「そうか。それは良かった」

 全員美味しさのあまり、皿の上がほとんど空だ。底が見えてしまっている。

「さて、会計しよう」

 師匠が店員を呼んで、会計を済ませる。

 店の外に出ると、急に手持ち無沙汰になる。

「この後どうするんですか?」

「どうしようか。このまま帰るのはもったいないしな」

 お互い午前のうちにやりたい事は大抵済ませてしまっている。

 通りの端に寄って、四人で考える。

「そうだ。服を見に行きたいです」

「服?確かに君達は今、私の貸している服しかなかったな」

「服屋は確か、東側の通りにあったはずだぞ」

 ユウナの一言で話がトントン拍子で進んでいく。

 俺は別に服に頓着はしないが、いちいち言うのも野暮だろう。

 意外にもセイは服に興味があるらしい。

 と、言うわけで東の通りに四人でぞろぞろと移動する。

 例に漏れず服屋も繁盛していた。

 そして看板には、洒落た文字で店の名前が書いてある。正しく読めないが、何処かで見たことのある名前だ。

「ここは、フレイヤじゃないですか!」

「おっ、知っているのか」

「ええ。辺境の村であるナルフ村にも、その名前は知れ渡っているほどの、高級ブランドですよ」

「へー、ナルフ村で有名なら、やっぱり相当なんだな」

 女性二人が話をしている間に、躊躇いなくセイは店内に足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ。おお、これはセイ様。今日はどのような服を?」

「特には。時間つぶしに寄っただけだから」

「では……」

 セイは顔見知りらしい年配の店員と話し込んでいる。相当な回数訪れているのだろう。

 隣では未だに女性二人が話している。間に割って入る事はできない。

「おしゃべりはここまでにして中に入ろう。気になるものがあったら私に言ってくれ」

「分かりました。お兄ちゃん、行こう」

「ああ……はあ!?」

 素っ頓狂な声が出る。

「はあ、じゃないよ。お兄ちゃんの分の服も買わないと」

「いや、俺は……」

「しのごの言わない!」

 右腕を掴まれ、店内に連れ込まれる。

 今の俺の服装では、浮いているのは間違いない。肩身がせまい。

「なあ、本当に……」

「もう、まだ言ってるの?早く服を選ぶよ。部屋着と外出着と、色々ね」

「俺は別に気にしないから要らないのに」

「私達だけここの服を着て、お兄ちゃんだけ違うのはダメでしょ」

 ぐうの音も出ない。

 これ以上言っても意味はなさそうだ。

 諦めてユウナの後について行く。

 百パーセントユウナ主催の試着会が始まるのだろう。出演は俺とユウナ。

 ものの二十分ほどで、ユウナは大量の服を抱える。ちなみに俺も大量の服を抱えている。

「一旦試着したいね」

 よたよたと歩いて、向こうにいる師匠の方へ行く。

 師匠に試着室はどこか、と聞いている。

 心なしか、師匠の顔が引きつっている。

「お兄ちゃん、向こうだって」

 またしてもよたよたと歩くので、もう少しユウナの持っている服を頂戴する。

 店員に言って、試着室を使用する許可をもらう。

 俺達が使用する部屋の前の長椅子に服を置く。その隣にユウナが座るが、服の山は彼女の肩付近までの高さを有している。見慣れた光景だ。

「先にお兄ちゃんが着替えて。私がこの目でしっかりと審査するから」

「はいよ」

 手渡された服に着替える。

 シャッ、とカーテンを開ける。

「おー、似合ってるよ。候補一つ目だね。じゃあ、次はこれね」

 始めに部屋着、次に外着を決めていく。

 テンポよくユウナが仕分けをする。お陰で山が二つできる。

「ふう、こんなものかな」

 買う服は当初の半分程度になったとはいえ、それでも多い方だ。

「じゃあ、次は私が着替えるね。ちゃんと審査してよ」

「分かってる。任しておけ」

 ユウナが素早く着替えるので、俺も素早く審査していく。

 互いに似合う服が分かっているので、スムーズに決定できる。

 彼女の場合、買う服の数は五着ほど、当初より相当絞り込めた。

「やっぱりお兄ちゃんの審査は厳しいね」

「世界中の人間が、可愛いと思えるように服は選ばないとな」

「私だけじゃなくて、自分の分もそう思ってもらえるといいのに」

「それはまた別の話」

 試着を終え、会計へ行こうとした時、目の前の試着室からセイが出てくる。

 手には服が二着ある。明るい青を基調とした上着だ。

「おお、奇遇だな。買う服は決まったのか?」

「はい。セイさんも?」

「ああ。店員に聞いて、新作を着てみて気に入ったやつをな。それで、ウィルが抱えているのは?もしかしてそれだけ買うのか?」

「いえ、私が持っているのを買う予定です。お兄ちゃんが持っているのは、審査から外れたやつです」

 三人で試着室を後にする。

 店の中央でぶらぶらしていた師匠に声をかけ、会計をする旨を伝える。

「おー、決まったかのか。思ったよりも早かったな」

「慣れていますから」

 会計はすぐに済んだ。

 高級店のはずだが、師匠だけでなくセイでさえも躊躇いなく金を出している。

 師匠から服を受け取ったユウナはホクホク顔で歩いている。

 王都に来てからだけでなく、ナルフ村にいた時から長らく服屋に行っていなかったので、その反動のせいだろう。

 その後もいろんな店、祭りの屋台も回まわった。それはそれは多くの場所をまわり、帰る頃には日は暮れ、俺はヘトヘトだ。

 運動をしているおかげで身体的な疲労はないが、精神的に疲れた。

「お兄ちゃん、足が……」

「運動していないからだぞ」

「ううー、あんまりしたくないー」

 抱っこを俺にせびってくるが、我慢して断る。

 朝に転移した路地に戻ってくる。

「ヘトヘトなユウナの為に早く戻るか」

 軽口の後、目の前が白く染まる。

 目を開けると、目の前には見慣れた家と草原が広がっている。あまりに早い背景の変化に、未だついていけない。

「さて、日も傾いていた事だし、素早く夕飯を作ろう」

「手伝いますよ、メイさん」

 家に入ると、師匠とセイはキッチンに、ユウアはソファに向かう。

 俺は王都で買った荷物を自室に運ぶ。服やら何やら、大量の紙袋を抱えながら、階段をゆっくり登る。扉を開けるにも一苦労だ。

 部屋には光が僅かに差し込んでいる。

 ドサッと床に落と、下ろす。

 部屋のクローゼットに服をハンガーで吊るしていく。

 多分、後でユウナに「お兄ちゃんに負担をかけてばっかでごめんね!」と謝れるのだろう、と思う。昔はただのお兄ちゃん娘だったのに、最近は気遣いというものを覚えたばかりに、自分から色々行うことが多くなってきた。

 俺としては少し寂しい気分だ。

 収納が終わると、急に体が重く感じられた。

 今日一日の疲れが一気にきたのだろう。ベットに腰掛ける。

 そのまま後ろに倒れてしまいたかったが、絶対に寝てしまうので我慢する。

 昼ぶりに胸が痛む。

 杞憂だと思って、痛みを追い払おうとするが、依然として残ったままだ。

 俺は今の生活に満足している。これは紛れもない事実だ。

 だが、数日前から俺を、もしかしたら師匠とセイに迷惑をかけているかもしれない、という考えが襲う。

 今までの彼女らの態度を見れば、そんな考えは杞憂なの間違いないだろう。だが、主観を完全に信じることはできない。

(疲れすぎだな)

 天井を見る。

 部屋が真っ暗で、はっきりと天井を見られないことに気付く。

 俺はベットから降り、リビングに行く。

 いい匂いが鼻を擽る。ユウナは変わらず、ソファで突っ伏している。

「おお、ちょうどいい所に。もうできるぞ」

「分かりました」

 ソファのユウナに声をかけてから、椅子に座って夕飯を待つ。

 机に置かれたのは、サラダにポトフ、それとグラタンだ。

「かなりありますね」

「せっかく王都で買い物したから。いつもより良いものを使いたいのさ」

 いただきますと言って、まずはグラタンからいただく。

 うまい。くどい感じがなく、口の中にほいほい入っていく。

「ウィル、食べる手が早くないか?」

「不思議と止まらないんだ」

「分かるよ。俺もそうだ」

 一気に食べてしまうのはもったいないと思い、一度ポトフを食べる。こちらもうまい。

「美味しいか?それを作ったのは俺だぞ」

「えっ?そうなのか」

「おいおい、失礼だぞ」

「だって、この前の野菜炒めの印象が……」

 てっきり豪快な料理しかできないとばかり思っていたが、実はそうでないのかもしれない。

 当初は多いと思っていたが、苦労することなく完食した。

 そんなに食べる方でないユウナも食べきっている。

 夕飯を作ってもらったので、片付けを代わりする。

 四人席に座ったまま、時間が流れる。時折水を飲む音が発せられるだけだ。

 ふと、好機だと思った。

 だが、本当に口にしていいものか、と逡巡する。

 さっき俺は結論を出したはずだ。杞憂であると。

 しかし、依然として闇は晴れない。

 周囲の音が段々と遠ざかっていくのがわかる。代わりに心音だけが聞こえる。

「師匠」

 しっかりと言葉にできたのか、彼女に届いたのか、全くわからなかったが、視線が交差した。

「師匠は俺たちのことをどう思っていますか?」

 口にした瞬間たちの悪い質問をしたと思った。怒られても仕方がないような質問だ。

「どう、ね。ウィルの意図は計りかねるが、少なくとも可愛い子供達だと思っているよ。それがどうかしたのか?」

「……最近不安なんです。師匠やセイに良くしてもらって、絶対に最悪な人生を歩むと思ったのに今は幸せで。でも、いつかはこの生活が終わるんじゃないかって思い始めて。そうしたら次第に師匠たちが俺たちのことをどう感じているか気になって。本当は嫌いなんじゃないかって」

 全てを吐露する。その間師匠は黙って聞いてくれていた。

「そうか。最近っていつぐらいからだ?」

「ちょうど寝込んだ日からです」

「……そうか。そういうことか」

 再び静寂が訪れる。

 ユウナもセイも動かずじっと座っている。ユウナは何を言うべきかわからず、セイはじっと見守ってくれているのだろう。

「ウィルは、今後どうしたい?このまま生活を続けたいか、それともどこかに行きたいか」

「俺は……ここにいたいです。ここで師匠たちと暮らしたいです」

「わ、私もお兄ちゃんと同意見です」

 俺たちの言葉を聞いた後、師匠は椅子を立つ。

 そしてリビングのテーブルの上にあるカバンから一枚の紙を取り出す。

「これが私の、いや私とセイの答えだ。君たちがそう言うなら、渡してもいいだろう」

 机の上に置かれたのは、引き取り手続き書と書かれた紙だ。すでにほとんどの枠が埋められている。下の方に空欄が二つあるだけだ。

「これは?」

「名前の通り引き取り手続き書だ。もし君たちが一緒に生活したいと望むならここにサインをしてくれ。そうすれば私とセイが保護者となって登録される。そうすれば晴れて生活できる」

 目の前に提示された現実に脳の理解が追いつかなかった。

 夢ではないかと疑ったが、今胸に抱いている感情が偽物なはずがない。これほど嬉しい事はなく、結局俺の杞憂だったことが証明されたのだ。

 不意に目頭が熱くなった。決壊寸前だ。

 俺は席を立つ。今の顔を誰にも見られたくないのだ。

「ウィル、どうする?」

 優しい声音で師匠が聞く。

「……あとで書きます」

 察せられないように(恐らく無駄だが)声を抑えて答える。

 そのまま二階へ登り自分の部屋に入る。

 途端に大粒の涙がぼたぼたと床にこぼれ落ちる。まるで大雨のように降り注ぐ。解放感や安心感から一切止まる気配がない。

 頭の中を一週間の思い出が駆け巡る。

 楽しいことだらけで、両親の死によって荒んだ心もだいぶ治ってきた。

 ベッドに腰掛けるとどっと疲れが出てきた。ここまで溜まった原因は様々だ。

 あとで書くって言ったけど……。

 今日はもうこのまま睡魔に負けてしまいたかった。

 久しぶりに落ち着いて眠られた。


『よう』

 振り向くと見覚えのある黒い奴がいた。前回と違い体が自由に動く。

「何しにきたんだ?」

『質問をしにきた』

「お前の質問に答える前に一つ聞きたいことがある」

 黒い奴はこちらの質問に答えてくれるらしい。

 特に促されたわけではないが、なぜか理解できた。

「お前は誰だ」

 笑った、ような気がした。相変わらず真っ黒で表情がわからない。

『俺か?答えるまでもないだろう。お前が一番わかっているはずだ』

 ぶっきらぼうに返される。が、一番正しい返答だ。

『今度こそ俺の質問だ。今の生活に満足か?あいつらのことをどう思っている?』

 あいつら、師匠たちのことだろう。

 前回は答えることができなかった。正確に言えば言葉にできなかった。

 しかし今ならするりと言葉が出てくると確信できる。

「今の生活は満足だし、これからも満足できるさ。だって家族になるんだぞ?」

 黒い奴は口角を思いっきりあげ笑った。

『最高だ。じゃあ、そろそろ帰れ。そして早く紙に名前を書いてこい』

「ああ」

 黒い奴は姿を消し、俺はこの空間から追い出された。


 世界は明るかった。






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