第4話 予言者

 視界を白く埋めていた光が収まってきた。目の前には、草原が広がっていた。王都の石畳とはずいぶん様相が違った。

「大丈夫ですか?」

 目の前に、黒い手袋をした手が差し出される。

 その手を取る前に、顔を上げた。豊かな紫色の髪に黒い薄絹が被さって、小さな金色の金具で固定されていた。前髪が左目を覆っており、片眼しか見えない。薄茶色のつり目がうっすら微笑んでいた。

「その人が、私たちを助けてくれた人だよ」

 ノアが後ろからひょっこり顔を出した。疲労か何か、眉間に少ししわが寄っているけれど、いつもの声で俺に語り掛ける。

「私たちを転移魔法であの場所からここまで一瞬で連れてきてくれたの。シャルクは途中で気絶しちゃって……」

 俺はその話を聞きながら女性の手を取った。立ち上がって見渡すと、遠くに石壁が見える。草原がひたすら広がっている。おそらくあの石壁は王都のものだと思うが、セリアル山は見えないから、家とは反対方向に出てきたのだろう。

「はじめまして、シャルカールさん。わたくしは、シャーク・レイ・ジュールと申します。レイ、とお呼びください」

 俺とほとんど同じくらいの身長。ノアより高い。

「どうも……シャルカール・シーアです。シャルクって呼ばれてます」

 俺はそう言ったあと、そのままさっき頭に浮かんだ疑問をぶつけた。

「なんで俺たちを助けてくれたんですか?」

 レイさんは薄く笑った口元を閉じたまま、ノアと顔を見合わせた。ノアは一瞬暗い表情になったが、「話してください」と、絞り出した。

「……その理由を話すより前に、謝罪をさせてください」

 レイさんは頭を下げた。

「ノアさん、そしてその家族であるシャルカールさん……今頃、あなたたちは王都中で、罪人として扱われているでしょう。聖剣を抜けなかった、偽物の勇者として……国をだましたとして」

 俺は何も言えなかった。ノアは国王に呼ばれて行った。何も悪くないはずだ。

「国が勇者を間違えたと国民に悟られないために――国の威厳を損なわないために――勇者にすべての責任を押し付けるつもりです。だから、勇者の予言は慎重に行わなければならないのですが」

 レイさんはそこで言葉を切った。頭を下げたままだった。

「私が、ノアさんが勇者だと予言した、予言者です」

 沈黙が押しつぶすように襲ってきた。風で草が擦れる音だけが鳴っていた。

 レイさんが悪いのか。状況だけ見ると、そうなのだろう。けれど、どうしてかはわからないけれど、おそらくはるかに年下である俺にずっと頭を下げているこの人が悪いとは思えない。

「申し訳ありません」

 その謝罪を力なく聞いていた。ノアは何も言わない。俺は糸で口を縫われてしまったように唇が動かない。

「もしお二人が捕まったら、きっと……処刑、されることになるでしょう」

 レイさんの影が俺の足にかかっている。

「シャルク」

 ノアが、こちらに向かって歩いてくる。

「私たち、追われる身になったんだって」

 ノアは下を向いていて、表情がわからなかった。声は平坦で、感情が全く乗っていない。

「一緒に逃げる?」

 どうしてこんなことを聞いてきたのだろうか。俺が返事をためらっているうちに、また尋ねられた。

「逃げるより、平和に生きたい?」

 もちろん、何にも追われず生きられるなら、その方がいいのだろう。だが、もしここで俺が首を縦に振ったら、どうしてくれるというのだろうか。

 ノアは、その答えを俺が尋ねるより先に話し始めた。

「私が王都に戻って捕まって、弟だけは見逃してくれと言ったら……シャルクは逃げられるかもしれない」

「姉ちゃんを犠牲に……?」

「見逃してくれなくても、シャルクが逃げる時間は稼げるかも」

 そんな真剣な眼差しで俺を見つめるな。

 ノアが再び口を開いたとき、手が伸びてきた。肩に触れそうになった瞬間、それを躱した――明確な意志を持って。

「たった二つしか変わらないやつに救われたくねぇよ」

 ノアの躱された手は行き場を無くして、理解できないと眉間にしわを寄せていた。

「姉ちゃんだけで済むわけないだろ。どっちかっていうと姉ちゃんより俺の方がすでにやらかしてるだろ。岩の中身を見せたのは俺だ! 勇者の予言をミスったのはそこのレイさんだろ?」

 俺は姉の目をまっすぐ見つめた。瞳が揺れている。風が草を鳴らす音だけが聞こえる。

「俺も行くに決まってるだろ」

 それに、ともう一つノアと一緒に行きたい理由をそっと胸の奥にしまった。ノアに言う必要はないと思った。

 スヴェナと、ヴィンキルトという赤い髪の二人――母親以外と初めて会った、俺と似た外見を持つ人たち。ノアと一緒に逃げれば、どこかで会うような気がした。

「……わかった」

 ノアはしっかりと頷くと、レイさんに向き直った。

「お二人がお逃げになるならば、私はお二人を逃がすために最善を尽くします」

 レイさんは俺たち二人を見据え、言い放った。空中に手をかざすと、手のひらに魔力の光が集まっていく。それは徐々に形を成していって、手のひらを少しはみ出す透明な球になった。

「こんなときに信用できないかもしれないですが……占いで逃げ込む先を決めます。昔から、外したこと、ないんですよ」

 ついさっき外したじゃないか――という言葉が喉まで出かかった。真面目な顔を保ってレイさんが魔法を使うのを眺めていた。ノアの肩をつついてあの球体が何かを尋ねる。ノアによると、あれは水晶というらしい。

 水晶をじっと見つめていたレイさんは、おもむろに顔を上げて、「行き先が決まりました」と言った。

「私の育った村に行きましょう。あまり長居はできませんが、準備を整えることくらいはできるでしょう」

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偽勇者ノア おふとん @Iamfutonnosei

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