第3話 式典

 案内されたとおりに道を辿って、建物を登り、屋根から屋根に飛び移って、建物が途切れているところに向かっていった。きっとあそこに広場がある。

 セイ・ランカの建物はかなり密集しているようで、屋根をまたぐのは全く苦ではない。途中、肉と香辛料のいいにおいがした。少し立ち止まって、下の声を聞いてみる。

「王都名物ジェロイ肉の丸太焼き! 今日はめでたいから半額だよ!」

 ジェロイといえば、俺らの住んでいる山にたくさんいる四足生物だ。野生のジェロイは臭みが強いから王都に卸すことはほとんどないから、王都で飼育しているものだろう。ちゃんと運動させながらも太らせたジェロイはさっぱりした脂が適度に乗って、肉も繊維がきれいに剥がれるため、おいしいのだ。対して、野生のジェロイは筋肉質で歯ごたえがある。臭みも下処理を丁寧にして山菜と煮込めば、それほど気にならない。野生のジェロイはよく食べるが、飼われたジェロイは貰い物以外食べたことがない。

「式典が終わったら買いに行こ」

 ジェロイの肉のにおいを振り払って進んで行くほど、騒がしい声に近づいていく。広場が近いのだろう。

 華やかなファンファーレが聞こえてきた。少し遅れて歓声が上がる。遠目に宮殿が見えていた。祭典用のベランダのようなところに、年のいった王と眼光の鋭い長髪の男が立っていた。

 屋根を走ってもっと宮殿に近づくと、視界が開けた。王の真正面に巨大な岩がある。異様な雰囲気を放つ、青や紫、黄色のように見える結界が岩を囲んでいる。あれが勇者の剣だろうか。

 広場に着いたし、見晴らしも良い。穴場の鑑賞場を紹介してくれたあの女性に感謝の気持ちが湧いてきた。

 広場はたくさんの人で溢れている。広場に直接降りるよりは遠いけれど、まだ大人の男ほど身長が伸びていない俺が下にいると視界を遮られて全く見えない可能性もあったので、屋根の上の方が好都合だった。

「なんだ、先客か?」

 屋根に腰をおろしたと同時に、声をかけられた。

「同じフード。でも見ねえ顔だな。頭見せろ」

 顔を上げて失礼で上からな言動の主の顔を拝んでやろうと思ったが、仮面まで被っていて、体格や声から男だということしか判断できなかった。

「誰だよ、先に名乗れよ」

「おお、すまん。俺はスヴェナだ」

「……シャルカール」

「シャルカールくん、か。お前人見知りか? ヴィンキルトが会ったっていう勇者の弟か?」

「ヴィンキルト?」

「違うのか? 名乗らなかったのか? まあいいや。俺もここで式典見るから」

 スヴェナと名乗った男はドスンと座り込んで、腰の巾着から何かを取り出した。すると、さっき嗅いだ肉のいいにおいがした。

「なんだ、シャルカールくんよ。これがうらやましいのか?」

「……別に」

 思いっきり嫌な顔で返事をしてやった。男は面食らったように口をポカンと開けて、「かわいくねえな」とつぶやいた。

 式典は始まっているようで、王が何かを話していた。

「――このラクラス王国はかつてない繁栄を迎え――」

「なあ、シャルカールくん。お前はアズム家のことについてどれくらい知っているんだ?」

 スヴェナは肉を頬張りながらそんなことを尋ねた。俺は特に考えることもなく答える。

「何もない。今日急に髪色がどうとか目の色がどうとか言われて困惑してるよ」

「そうか。箱入りだな」

「母親の血筋なんだろ? 俺はシャルカール・シーアだよ。名前にアズなんとかなんていうのはない」

 俺は箱入りだという自覚はないのだが。気にしなければいいのだが、妙にその言葉が引っかかっていた。

「あっそ。生きてたらそれなりに聞くことになると思うぜ。ほら。情報料。ジェロイやるよ」

 スヴェナはもう一つ肉を取り出して、紙袋ごと俺にくれた。

「……ありがとう」

 大人しく受け取った。なにも礼をもらえるほどのことは言っていないと思うが。

「なんだ、笑うとかわいいなあ。学屋に行ってたらモテただろうに……もったいねえー」

 俺は何も返事をせずに肉にかぶりついた。

「アズムは面がいいんだよ。女も男も。もちろん俺も」

「……見えてない」

「はっはっは。そういえば、仮面つけてたな」

 男はフードを外して、仮面も取った。無造作にかきあげた髪は、――当然、赤色。だが、少しくすんだオレンジ色に近い色をしている。目は、金色ではなく、薄い茶色のようになっていた。俺より年上だが、父親世代ほどではない。今までの人生でまったく関わったことのない世代の人間のようだ。

「俺はアズムの血が薄いんだよ。いわゆる分家ってやつだ。わかるか?」

「分家もわからない……でも、スヴェナはイケメンだ」

「おお! 冗談がわかるようになったじゃねえか!」

 触れたら切れそうな鋭い視線を持つ端正な顔立ちだが、笑うと顔をくしゃっとする。男女関係なく親しみやすい笑い方をするな、と思った。ばしばし背中を干された布団のように叩かれた。なぜか悪い気はしなかった。

「おい見ろよ、兄弟! ノアちゃんが剣を抜くみたいだぜ!」

 スヴェナが指さした方をつられて見た。

 ノア五、六人分くらいの高さの巨大な岩の上に細い剣が刺さっていた。ノアは岩を登るでもなく、ただ何かを待つように岩の上を見据えている。

 どうやって登るのだろうか。その答えは、隣のスヴェナに尋ねるより先に、自分の目で確認することになった。

 紫色の光を放つ複雑な線が岩の真下に広がっていく。線は次第に魔方陣を形成していった。ノアの足元までたどり着いたら、魔方陣はノアを乗せてゆっくりと浮かび上がった。

「すっげ……」

 俺は思わず声を漏らした。

 誰があんな緻密な魔法を使っているのだろうか。自分だけが飛行するだけなら簡単だ。しかし、他人を持ち上げる魔法、それも岩をすり抜けながらノアを持ち上げるのは非常に高度な技術だ。

「派手だなあ。さすが王室お抱えの魔法使いだよ」

 スヴェナはいつのまにか仮面を顔に付け直していた。

「誰の魔法かわかるのか?」

「魔法大臣のガレットだろうな。ごりごりの理論で魔方陣の術式や詠唱の術式のレベルをたった一人で一段階押し上げたやつだ」

 あんな緻密な魔方陣を描くのにどれほどの時間かかりきりになったのだろうか。その途方もない労力には脱帽だった。

「ガレットは女なんだが、その弟のグレンってやつが結構やんちゃでな。昔痛い目を見た。今はやられることはないだろうが」

 スヴェナは独り言のようにつぶやいた。

 ノアはいつのまにか岩の上にまで上っていた。

 姉が勇者になる瞬間。今こうして見ているけれど、いまいち実感はわかなかった。

 ノアはゆっくりと剣に手を伸ばす。剣に手を触れたとき、ノアはすぐに手を離してしまった。不思議そうに手と剣を交互に見比べる。何かあったのだろうか。

 ノアはすぐに気を取り直したようで剣に再び手をかけるが、引っ張っても抜けない。

「おい、落ちるぞ!」

 俺は、急にものすごい力で後ろに引っ張られた。

「ここは屋根の上ってことを忘れるなよ! ノアちゃんの様子がおかしいのが心配なのはわかるが……」

 ノアは剣から手を離し、呆けていた。民衆がざわめく。王は側近となにか話している。

 王がノアのほうに再び視線を戻したとき、その瞳には不信と侮蔑が宿っていた。

 姉ちゃんが危ない。そう思ったときには、すでに兵士が岩を囲むように動き始めていた。群衆からも、何が起こっているのか理解したものから罵声が飛び始めていた。魔方陣が消えた瞬間、あの高さではノアは落ちて負傷する。死ななくても、兵士に捕らえられてしまう。群衆は兵士が武器を突き付けることでノアにたかることはなかったけれど、放心状態のノアはそんな状態に気づいてないのか逃げようともしない。

「おい待て!」

 スヴェナが制止するのも聞かず、俺は屋根の上を走った。広場が建物で囲まれている構造で助かった。

 なにかおかしい。走りながら自分の勘がそうささやく。

 ノアが剣を触った瞬間、岩に微細な魔力が走っていた気がした。ノアを助けなければいけないが、一度芽生えた疑問は払しょくすることができなかった。

 魔法を手の中に構築する。岩を破壊してやろう。

 岩に一番近いところまで屋根の上を走り、そこから飛び降りた。

「風よ!」

 手の中の魔法とは別の魔法を出す。風に飛ばされて、兵士も飛び越えて岩までたどり着いた。その瞬間、岩に手の中の魔法を叩き込む。

 炎と衝撃があふれ、轟音が響く。頭がくらくらするほどの爆音にみんな耳をふさいでいた。

 岩は砕けないかもしれない。そのようにまったく思わなかったわけではなかった。

 ただ、その予想は全く別の形で裏切られた。

 灰色の岩石はただの表面だった。その中に、捨て置けないものが隠されていた。

「紫水晶だと……?」

 岩石がはがれた中身にみんな驚いて、誰も動かない。

 紫水晶は魔道具に使われる――逆に、魔道具にしか用途がない鉱石だ。それがただの紫水晶なら勇者識別装置としての役割があるものとして受け入れられたはずだった。

 現実離れした水晶に、息をのむ。巨大な紫水晶の中身に――人間。

 宙を舞うような姿のまま閉じ込められた人間は、豊かな髪を広げ、目が据わっていた。目がちかちかするほどの鮮烈な赤い髪に、透き通るような金色の瞳。その水晶のてっぺんに、金色に輝く剣。

「なんで……」

 ノアは何がなんだかわからず、まだ魔方陣の上に突っ立ったまま放心している。俺が紫水晶に触ろうとすると、電気が走った。中指の先を焦がされた。

 まだ誰もが動けずにいた。誰もが見たことがない光景に圧倒されていた。

「姉ちゃん! いつまでぼーっとしてるんだよ!」

 俺は我に返って、ノアを呼ぶ。ノアもはっとし、魔方陣を飛び降りた。足に魔法をかけたようで、無傷で着地する。

 俺はノアの手を引いて走り出した。まだ兵士たちは完璧に陣形を組み切れていないから、隙間隙間を縫っていこうとした。けれど、正気を取り戻した兵士が槍を持って襲い掛かってきた。

 もうだめかと思った。もう状況はめちゃくちゃだ。

 助けてくれる人だって、思い当たらなかった。

「あきらめないで、こっちまで来てください!」

 短い人生の回想を始めかけていた脳が、現実に引き戻された。

 兵士の向こうに、紫色の人影。味方か敵かわからない。

わたくしのところへ、早く!」

 ノアに意見を求めようかと思ったけれど、そんな余裕は与えてもらえなかった。兵士が槍を突き出してくる。

 俺とノアはかろうじてそれを回避し、走った。

 たくさんの兵士に追われているのがわかる。命がかかっている。冷汗が止まらない。あの人のところまで、永遠のように感じた。

 それでも、走って、走って、たどり着いて、差し出された手を握ったとき――。

 真っ白な光に包まれた。

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