第2話 王都へ
清々しい朝の陽気が俺の部屋に流れ込んできた。ノアが危惧していた悪天候の気配は全く無く、まばゆいほどに光る太陽がすぐ外に生える木々を照らしている。
ノアはまだ寝ているようで、家の中に気配はない。姉のことだからだいたい予想がつく。昨晩は夜遅くまで眠れなかったのだろう。そして、さっき眠りについたばかりなのだろう。ぴかぴかに磨かれた弓と
キッチンに行って顔を洗い、水を飲む。棚の中にしまってあるパンを出すと、まだそれほど硬くなっていなかったので、そのままかぶりついた。硬くなっていたら、スープか何かを作らなくてはならなかったから、手間が減ってよかった。
パンをくわえたまま寝癖を押さつけたり、昨日の夕食の食器を片付けたりしていたら、ノアが起きてきた。俺の髪と違って、ノアの薄茶色の髪には寝癖一つついていない。
「おはよう、姉ちゃん」
「おはよ。早起きね。座って食べなさい」
直らない寝癖を撫でながら大人しく席についた。
ノアは髪を紐で束ね、キッチンに入っていく。パンは食べることに集中するとすぐに食べ終わった。口をゆすごうと思ったけれど、ノアがまだ戻ってなかったから、先に自室に行って、服を着替え、ベルトをつけ、色々道具を詰めた袋を引っ掛けた。
ダイニングに戻ると、ノアがお茶とパンの朝食を取っていた。
「もう行くの?」
「もうすぐ」
口をゆすいでさっぱりしたところで、ノアがカップと皿を持ってキッチンに入ってきた。
「いってくる」
「気をつけてね」
外に出ると、まだ朝早く、澄んだ空気が心地よかった。日はまだ地平線からそれほど離れてはいない。
馬車を使わないとなると、王都に着くのは昼前になりそうだけれど、ノアより先に王都に到着して、勇者の誕生を間近で見られる場所を探さなくてはならない。その一心で、ひたすら歩き続けた。
王都の壁が見えたのは日が真上に登る少し前だった。
都市一帯が石壁に囲まれていて、だだっ広い草原が続くこの場所とは隔離されている。王都を中心とするラクラス王国の都市・街・村はすべて、延々と広がっている草原と居住地を明確に分けている。
日が登る方角に入り口を設け、その反対側の方角に墓地を作る。生者と死者は明確に分ける。石、木など、材質は何でも良いけれど、必ず壁を作るように定められており、特に大きな都市の門には検問が張られている。
ノアと住んでいるセリアル山の真西に、王都であるセイ・ランカがあるため、石壁を無駄に回らずに済んだ。
「本日勇者式典開催日――観光目的はこちら、商人はこちらへ――」
誘導する軽装兵がすぐ目につくだけで十以上はいた。門は多くの人々でごった返していたけれど、王都はもともと人の出入りが激しいので、検査官も列をさばくのに手慣れており、列はスムーズに流れていた。
俺も列に並んで自分の順番が来るのを待った。王都に一人で来るのは初めてだった。昔、一度だけ恩人に連れられて来たことがある。恩人の息子の、ユムクと馬車の中で暴れて、検問待ちでも喧嘩していたから、おじさんに布でぐるぐる巻にされて横に抱えられた。そんな馬鹿げた姿のまま検問を通ったから、今でもユムクとの笑い話になっている。
「次の方、どうぞ――荷物開けて、ここに置いて……?」
検査官の女性は、俺の顔を見るなり固まった。
しばらく見つめ合っていたが、検査官は我に返って、荷物を置くように促した。最初の沈黙がなかったかのように、にこやかに対応していたけれど、女性の後ろから声をかけた別の検査官に耳打ちするときは、鋭い目つきだった。
「……これは、刃物ですね。何のために?」
俺の荷物に入っていた小刀を取り上げて、尋ねた。
「俺、山から……この北にあるセリアル山から来てて。枝切ったり…削ったりするためのやつです」
「ああ、なるほど。だから持ち手に土が染み込んでいるのですね」
検査官は納得した様子で頷き、荷物を返してくれた。
「セイ・ランカは刃物を外で使うことは禁止されています。街を歩くときは必ず荷物の中に入れてください。そして、魔法使用も制限されています。魔法が構築しにくくなるよう結界が張ってありますが、王都の安全のためですので、ご了承ください」
俺が頷くと、別の検査官が門の方へ誘導した。門を潜ろうとしたとき、門兵が目の前を遮った。
「ちょっとお待ちを」
門の端に連れて行かれた。
「今日の目的は?」
「……勇者式典を見に来たんですけど」
「本当に?」
訝しんだような声だった。顔は鉄仮面を被っていて見えなかったけれど、俺を何かで疑っているのはわかった。
「赤い髪に金色の目のやつは入都禁止なんだよ」
俺は何がなんだかわからないままに、兵士に引きずられていった。
「今日は勇者式典の日だ。得体のしれない奴は入都させないように仰せつかっている。帰れ」
「ちょっと待ってくれ! 勇者なのは俺の姉ちゃんなんだ、入れてくれよ!」
「馬鹿な嘘を吐くな。勇者は茶髪で緑の目なんだ。お前の見た目とは似ても似つかない」
その通りだ。ノアの見た目は俺とは違う。けれど、俺は母似で、ノアは父似だ。紛れもなく姉弟なんだ。
これを説明できない自分にも腹がたったし、話を聞かない門兵にも腹がたった。あの女性検査官は、この門兵を呼んでいたのか。
門兵に足蹴にされ、門から引き剥がされて、俺は王都に入ることはできなかった。そのときちょうど、豪華な馬車が門をくぐっていくのが遠目に見えた。ノアが乗っている馬車だろうか。
追い出されてしまったけれど、式典が始まる前に王都に入らなければならない。俺を放り出した鉄仮面の後ろ姿の先にある、高い石壁を睨んだ。
鉄仮面には歓迎されなかったようだけれど、俺はそれだけで諦めるほど軟弱な精神は持っていない。なんだ、貴族がどうとか、俺はそれらしい育ち方をしていないのだし、話くらい聞いてくれてもいいじゃないかと思う。
門がある東側を南向きにぐるりと回って、西側まで行くことにした。
文句が頭の中を渦巻いているが、歩き始めたところで、問題に気がついた。王都は巨大だから、壁の南側に行くだけでも時間がかかりそうだ。
早歩きで、急いで南まで回る。北側の角はもっとずっと遠かったから、南に行くしか選択肢がなかった。人気のないところを見つけたらすぐに壁をよじ登ろう。そうでないと、ノアの式典に間に合わなさそうだ。小走りで壁の側を移動していく。まだ人がいる。何をしているのかはわからないけれど、フードを被って顔がよく見えない人を二三人見かけた。そうしている間に、壁の向こうからファンファーレの音が聞こえてきた。もう始まるのだろうか。ノアの準備が終わっているとは思わないが、さっきそれっぽい馬車を見かけてからそんなに時間が経っていないのに早すぎる。
こんなことならノアについて馬車に乗っておけば良かったと思う。
けれど、そんな泣き言を言っている暇があったら走ろう。ただ、もうすぐ式典が始まりそうなことでの利点はあった。さっきはまだまばらに人がいたけれど、ファンファーレを合図に人がはけて、もう全くいなくなっていた。今のうちだろう。
袋からロープを取り出して、先に鈎になっている金具を縛り付けた。
それを適当に上に放り投げて、壁の上に引っ掛ける。まあまあの高さがあるけれど、大型の獣を一本で縛ってしまえるほどの長さだ。十分足りた。
「うっし!」
掛け声をかけて、ロープをよじ登っていく。崖登りを父親に仕込まれているから、これくらいなんともない。山育ちの恩恵をひしひしと感じた。
登り切って、城壁の上から都を見渡す。
随分大きかった。全体の街の外周的に、まだまだ東門から離れていなかったようだ。遠くに霞んだ都を徒歩で一周するのにも優に一日はかかりそうだ。
――ただ、俺はあることに気がついて壁から降りられなくなっていた。
「……結界か」
だから壁が低くてもよかったのか。目隠しとしての意味しかなさそうだ。
結界を破壊すれば、式典どころじゃない騒ぎになりそうだ。これくらいの強度なら簡単に壊せそうだけれど、目立つとか捕まるとか、今は勘弁だ。
そうなれば、すり抜けるか。もしそれでバレたら全力で逃げるしかない。
真下に人はいなさそうだったから、結界をすり抜けた。母親の結界もこうしてすり抜けたり、壊したりしてさんざん困らせた。
結界を無事に通り抜け、地面に降り立つ。ただいま、地上。空中よりも地面のほうがしっかりしているから好きだ。
都の中にも、さっき見かけたフード連中の仲間らしいのがいた。
俺が式典の場所を探して迷っているときに、そいつの中のひとりと目があった。もうほとんどの人が式典に行って、興味がないのは家に籠もっているのか、フードしか会えなかったのだ。目があったという偶然に任せて、声をかける。
「あの、勇者の式典ってどこでやってるんすかね?」
俺と同じ金色の目が驚いたように大きく開かれた。しばらく呆然としていたが、我に返ったら、「顔と髪を隠しなさい」と言われた。女の声だった。
「え、なんで……」
「これを使いなさい。そんな様子で、どうやってセイ・ランカに入ったの?」
妙に馴れ馴れしい様子だった。差し出されたフードを大人しく受け取った。さっき、鉄仮面に言われたばかりの言葉が再生される。
「赤い髪と金色の目がなにかあるのか?」
俺が頭に浮かんだ疑問をそのまま投げかけると、女性は考え込む素振りを見せた。
「……知らないなら知らないままでもいいと思うわ。知らないほうが……」
俺がフードを被ったらすぐ、着いてきなさい、と女は俺を先導する。初対面の相手に理由も聞かず案内してくれるのはすごく親切ではあるのだが、道中、一言も交わすような雰囲気ではなかった。心地よくはない沈黙だった。レンガ造りの建物の間をひたすら歩いていく。気のせいかもしれないけれど、やや大きめの通りを避けているのを感じた。人気がない道を何度も曲がって進んでいく。
「――ここを曲がってまっすぐ行った突き当りの壁を登りなさい。式典をする広場に面した建物に行けるわ。屋根の上でなら広場で直接見るより安全よ」
何度目かの角を曲がったところで、女性は立ち止まって、そう告げた。
「……地面で見たらだめってこと?」
「やめたほうがいいわよ。兵に見つかったら追い出されるのが目に見えている」
この女性は俺が同じ存在であると思っているのだろうか。さっきから、自分がされそうなことを忠告しているようだった。
「……わかりました。案内、ありがとうございます。おかげで、姉の晴れ姿を見ることができそうだ」
「ええ、私も楽しみにしているわ。シャルカール……」
背を向けて歩き出した瞬間、名前を呼ばれた。
俺はこの人に名前を教えていない。俺が直接名前を教えた人は、みんなシャルクと呼んでいた。
赤い髪と、金色の瞳。昔、父親は、俺は母親の生き写しだと言った。記憶の底に眠っていた母親の声と、さっきの女性の声が重なった気がした。
振り向いたとき、すでに女性はいなかった。
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