偽勇者ノア

おふとん

第1話 勇者誕生前夜

「シャルク! ちょっと、いやものすごく大変なことになったんだけど!」

 俺が家の扉を開けるなり、姉のノアが満面の笑みで出迎えた。普段はむしろ俺の落ち着きのなさを注意するノアのはしゃぎように面食らいながらも、入り口を塞ぐノアを家の中に押し込んだ。そのままノアのことは放置して、キッチンで水を飲む。

 そんな俺の後ろをちょこちょこついてきて、構ってほしそうにまとわりついてきた。

「驚くなかれ。私、なんと、勇者に選ばれちゃったみたい!」

 俺は飲んでいた途中の水を飲み込めず、むせてしまった。

「大丈夫?」

 とりあえず心配しておきます、というような浮ついた笑顔で聞いてきた。呼吸を整えてから、不機嫌さをまったく隠さずに、

「……誰のせいだよ」

 と恨み言をつぶやくと、

「私かなー」

 と、気の抜けた言葉が返ってきた。

「……ちょっと落ち着いてくれよ」

 ノアにコップの水をひっかけようかと思ったが、流石にやめた。物理的に頭を冷やしてもこの笑顔は剥がせないだろう。

 水分補給は諦めて、ダイニングテーブルに座る。

「勇者って、どういうこと?」

 俺が聞くと、やっと興味を示したことで姉は落ち着いたようで、にこにこしながら座って、話し始めた。

「今日の昼にね、王の使者の人たちが来て、私が勇者になったってことを伝えに来たんだよ」


「君がノア・シーアか?」

 扉を叩く音がやたらと上品だったらしい。この家に誰かが訪ねて来ることは滅多にない。来るのは俺たち姉弟の恩人である商人か、その息子であり、幼馴染でもあるユムクくらいで、山の中にあるこの家にはそもそも目的なくたどり着くことは難しい。だから、普通は商人気質のせっかちなノックか、それには似なかったユムクの間延びしたノックしか聞こえない。

 ノアは狩人で、密猟をする山賊も時々相手していたから、聞き覚えのないノックには当然警戒する。ただ、山賊のような野蛮な奴らがこんな品のあるノックをするだろうか――と警戒を少し緩め、応対したそうだ。

 すると、見知らぬ男に自身の名前を突然呼ばれた。服は高級官僚だと一目でわかるほどのもので、頭が切れるのもすぐに感じ取った。唖然としながらも頷くと、目の前にきれいな紙を突き出され、勇者に選ばれたことと、そのため王都まで出向いて任命式に出席しろと王から命令が下ったことを淡々と説明された。

「特に君が準備することはない。昼前に私が迎えに行く。山のふもとからは車で送る予定だ」

 ノアはうなづくことしかできず、渡されるままに王の命令書を受け取ると、男はすぐに帰っていった。

 物的証拠が残った。ノアは呆然と立ち尽くしていたが、意識が戻ったとき、その紙を見てようやく実感が湧いたのだった。

「男の名前は聞きそびれた。顔はよかった」

「……俺はつっこみじゃないんだけどな」

 命令書は机の上に置きっぱなしになっていた。なんだか触るのははばかられて、顔だけ近づけてまじまじと見つめる。こんなきれいな紙は見たことがなかった。普段ノアが取引で使用する紙はもっと見るからに安い、粗悪なもので、ペンは引っかかるし、にじみが酷く、ときどき書いた文字が識別不可になるようなものだ。だが、この紙は表面が異様にきれいで、真っ白。黒いインクがちかちかして見えた。

「気合入ってんだな」

「勇者ですから。国の一大イベントですから」

 国に対してこぼした感想だったが、ノアは自分に言われたと勘違いしたようで、しまりのない顔で胸を張っていた。

「……勇者、勇者って、姉ちゃんそんな愛国心あったか?」

「愛国心とかじゃないの。勇者に選ばれたってことは、聖剣に選ばれたことと同義で、妖精や聖獣に協力してもらえる存在ってこと。すごいよね!」

 一気にまくし立てて満足したのか、「倉庫行ってくるね」と軽い足取りで家を出ていった。

 俺はその後ろ姿を見送って、今まで覚えることを諦めてきた弱い頭に尋ねる。勇者の仕事――待遇、最期。

 精霊、聖獣を剣で従え、戦争時に戦うこと。国中を回って王を脅かす危険因子を潰し、王の権威を地方まで広めること。危険な仕事も多いため、遠征費、装備費は惜しみなく出される。ただ――戦死、暗殺が勇者のほとんどの死因で、勇者としての役割を全うに終えて引退し、寿命を迎えて死ねた者は数えるほどしかいない。

「勇者といっても、国があつらえただけで中身なんてないのにね――」

 まだお母さんが生きていたとき、「勇者」が訪ねてきたときにそう言った。勇者には聞こえないように、家の扉がしっかりと閉まってから、つぶやいたのだ。

 覚えている勇者についての事柄は、これだけだった。

 勉強好きなノアと違って、俺は机に向かって勉強という勉強をしたことがなかった。小さい頃はお母さんに魔法を教えてもらって、実験・実践中心で魔法を使えるようになった。学校に行けば、魔法構築の理論やら魔力増強の基礎練習をやらされるらしい。けれど、親が早逝して学校に通うこともできず、大人にはまだほど遠い十二歳で父親の狩人、山師としての仕事を継いで、商売事は恩人の商人に任せ、その売上をもらうことでなんとか姉弟の生計を立ててきた姉を間近で見てきて、学校に行くとは言えなかった。興味がなかったわけではない。けれど、学校に通う、恩人の商人の息子、ユムクの愚痴を聞いていると、無理をしてまで通う必要はないと思っていた。

 学校で国民が本来学ぶ、この国の歴史、魔法構築理論、言語学、算術など、最低限の知識しかないノアが勇者としてやっていけるのか。母親が中身がないと言っていたものになることはノアにとって正しい選択なのか。俺の頭の中を疑問と不安が埋め尽くす。最近は姉のことを鬱陶しいと思っていたが、幸せになって欲しいと願っているたった一人の身内だ。

「俺も、準備しよう」

 式典の直後からノアが戦いに駆り出されようと、巡回として王都から早々に追い出されようと、姉の助けになるように。

 ほとんど物がない自室に戻った。収納は腕を広げたくらいの大きさのたった一つのチェストだが、ここに俺の持ち物のすべてが入っている。

 何が必要になるかはわからないけれど、役に立ちそうなものは全部もっていこう。

 枝を削る小刀、親友にもらった札、ロープ、貯めていた銅貨。適当な袋に入れた。

 ちょうどそのとき、扉が開く音がして、ノアの呼びかけが聞こえてきた。

「シャルクー? 晩ごはん用意するから手伝ってー!」

「はいよ」

 自室の扉越しにも聞こえるように声を張って返事をする。

 キッチンに向かう途中、食器棚の近くに大弓が立てかけてあった。――母と父が作った魔導具。弓は父が作り、そこに魔法を込めたのが母だった。

 ノアもわかっているのだろう。一度勇者として人前に立った後は、役割を果たせないと王に判断されるまでは、決して家には戻って来れないと。俺が収穫した野菜を切っているノアの横顔はとても穏やかな笑みを浮かべていたが、瞳の奥は少しこわばっているような気がした。

「なにぼーっとしているの? 早く、火をつけるのはあんたの仕事でしょ?」

「……ごめん、ちょっと考え事をしてて」

「なに、シャルクが考え事なんて、明日は天気が悪くなりそう」

「俺だってもう十四だぜ? 考え事くらいするよ」

「頭を使うのは勉強じゃなくても大事だからね。ほら、早く火、つけて!」

 俺が魔法で火をつけると、ノアはニコニコと上機嫌で、手際よく料理を終わらせ、夕食の時間はいつも通り流れていった。

「明日はどうするの? 一緒に行くこともできると思うけど」

 ノアは野獣の肉をフォークで刺しながら俺に尋ねた。

「俺は、先に王都に乗り込んどこうかな。勇者の任命式とか、混みそうだし」

「そうね。馬車とか、シャルクには向いてないだろうし」

「姉ちゃんこそ、馬車から見える景色でいちいち歓声上げたりとかするなよ」

「善処するわ」

 夕食が終わると、俺は早めに寝床に入った。

 明日はできるだけ早く王都に行って、最前列を取れるようにしよう。なんだかんだで、姉が勇者になることが楽しみなのだと気づくと、一人で苦笑いをした。

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