第5話:魔王、登校する
「美味い!」
朝食のトーストを一口かじって思わず声が出た。
なんだこの美味さは。
まるでケーキのように柔らかく、それでいてクリームのしつこさが全くない。
魔界一のパン職人でもこのパンを作れるなら喜んで片腕を差し出すだろう。
一緒に出てきたスクランブルドエッグも卵で作ったとは思えないほどの美味さがある。
この世界ではいつもこんなものを食べているのか?
「まだまだたくさんあるからいっぱい食べてね」
森田 衛人の母親がかいがいしく食事の世話をしている。
俺がこの世界に転生してから3日が経ち、今日は初めて学校へ行く日だ。
「衛ちゃん、本当に大丈夫なの?」
母親が心配そうに聞いてくる。
「無理しなくてもいいんだからね?嫌だったらきちんと言うのよ?」
「そうだぞ衛人、まだ退院したばかりなんだ。無理することないからな」
父親が相槌を打ってきた。
「なんだったらこのまま通わなくてもいいんだからな。転校したいならしてもいいんだぞ」
2人の言葉に微かな贖罪の意志を感じるのは森田 衛人がいじめを受けていることに知らなかったことに対する罪悪感からだろうか。
あるいは知りつつも知らないふりをしていたのか。
どちらにせよ今の俺には関係のないことだった。
今はここで家族を演じられればそれでいい。
「父さん、母さん僕なら大丈夫だから」
2人の不安を払拭するように笑ってみせる。
「むしろ学校に行くのが楽しみなんだ」
これはその通りだ。
森田 衛人の記憶では忌まわしい場所でしかなかったようだが、だからこそ肉眼で確認してみたいというものだ。
(僕?あなたが自分をそんな風に呼ぶなんて意外ですね。気取ってるんですか?)
(やかましい。森田 衛人の言い方をまねしてるだけだ。黙っていろ)
エレンシアの声を無視して再びパンに齧りつく。
少なくとも今は森田家の関係を崩すつもりはなかった。
必要なら森田 衛人だって演じ切るつもりだ。
「そ、そうなの?それなら良いんだけど」
「ああ、衛人が納得してるならそれが一番だとも」
2人とも俺の言葉にどこかほっとしているようだ。
「それにしても朱音ちゃん遅いわね。まだ起きてないのかしら」
母親の心配する声が合図だったかのように足音が聞こえてきた。
薄茶色の長髪を揺らしながら1人の少女が階段を下りてくる。
妹の朱音だ。
年は14歳、この国の中学校というところに通っているらしい。
「朱音ちゃん、早く食べないと遅刻するわよ」
「いらない」
母親にそっけなく答えると朱音は玄関へと向かっていく。
「朱音、せっかくだから一緒に行かないか?」
兄らしく声をかけてみる。
朱音がキッと俺をにらんできた。
「誰があんたなんかと!死んでも嫌!」
きっぱり拒絶すると荒々しくドアを閉めて出ていった。
(嫌われているようですね。あなたが魔王だと気付いてるんじゃないですか?)
(そんな訳あるか。あの朱音という娘は元からこいつとは仲が悪かったんだ)
記憶によると子供の頃は仲睦まじい兄妹だったようだが森田 衛人が高校生になったあたりで距離が離れていったらしい。
両親も慣れているのか困ったように顔を見合わせるだけだ。
「じゃあ僕もそろそろ行くよ。ごちそうさま」
「気を付けるのよ。嫌なことがあったらすぐに戻ってきていいんだからね?」
「わかってるって。それじゃ、いってきます」
心配そうな母親の声を背に俺は家を出た。
◆
私立辰星学園、俺が通う学校はこの国でも有数の名門高校だ。
生徒数600名、学校の規模としては平均的だが全国から権力者、有力者の子供たちが集っている。
(はえ~これは凄い学校ですねえ。王立貴族学校よりも立派じゃないですか)
エレンシアの間の抜けた声が頭に響いてくる。
(大人しくしていろよ。俺はこれから授業があるからお前に構ってる暇はないんだ)
(こんなに規模が大きいということはこの世界で一番の名門校なんでしょうか)
この国だけで1億人の人間が住んでいてこの星全体の人口は80億人を超えると言うことは黙っておいた。
無邪気な女神が知ればそれだけで卒倒してしまうだろう。
俺は2年生の教室がある2階へと向かった。
学生の自主性を重んじる辰星学園の校風は校内に快活で前向きな雰囲気を与えている。
今もこうして朗らかな笑い声が教室から廊下へと流れている。
しかしその笑い声も俺が一歩教室に入るとぴたりと止んだ。
一瞬静まり返ったのちに再び会話が始まったものの、どこかよそよそしい空気が流れている。
それも仕方のない話か。
おそらく森田 衛人の一件は既に学校中に広まっているのだろう。
「衛ちゃん、無事だったんだね」
席に着くなり1人の生徒が話しかけてきた。
眼鏡をかけて黒髪を七三に分けた男子生徒、この学校で森田 衛人のただ1人の友人である
「学校に来て大丈夫なのかい?」
「うん、心配してくれてありがとう。もう大丈夫だよ明彦くん」
心配そうな顔をする明彦に笑顔で答える。
「しばらく休んでいたから後れを取り戻さないと」
「それは良いんだけど……その席は……」
明彦が浮かない顔でこっちを見る。
俺が座っているのは窓際の一番奥の席だ。
「やばいよ衛ちゃん、そこに座ってることが佐古くんに知られたら……」
「大丈夫だよ」
心配そうな顔をする明彦に笑顔で答える。
ここは1学期にクジで俺の席に決まったのだが佐古に強引に交換させられたのだ。
ドアが開く音と共に教室が一斉に静まり返った。
「やば……」
明彦が青ざめた顔で呟く。
そこに立っていたのは腕を包帯で吊った佐古だった。
俺の姿を見るなりその顔が引きつる。
佐古は顔を伏せたまま教室に入るとかつて俺が使っていた机に荒々しく腰を下ろした。
「っなに見てんだよ!」
苛立たしげに周りに怒声を投げかけるがこっちを見ようともしない。
「ど、どうなってるの……?」
明彦はそんな佐古の姿に目を白黒させていた。
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