第2話 追想

 なんだ…全身が冷たくて軽い。


 そんな感想を抱いた瞬間、喉の奥まで冷たいものが流れ込んできた。驚いた俺は慌てて手足をバタつかせる。足が地についた、夢中で底を蹴るとザバーという水の音と共に眩しいほどの日光が俺を包んだ。ゴホゴホと咳き込みながら辺りを見渡す。そして眩しくて閉じかけていた目を見開いた。


「どこだ………ここ?」


そこには中世ヨーロッパのような街が広がっていた。家々の壁はほとんどが石造で、その上には木やレンガの屋根が乗っかっている。そして改めて思った、肩から下が冷たい。俺は自分が立っている場所を見る。川だ、それもとても澄んだ川…少し遠くには頑丈そうな橋まで架かっていた。

 

 

 俺は川から上がり川辺に座った。たっぷりと水を吸ってしまったロングコートを絞りながら置かれている状況を整理する。今しがた死にかけたのだ、間違いなく夢ではない。そしてなにより左腕が痛い。そうだ……俺は光の穴から伸びてきた不気味な腕に穴の中に引きずり込まれたのだ。その結果ここにいる。それで、一体ここは何なんだ?立ち上がり人の声が聞こえる方向に歩みを進める。家々を抜け、やがて大通りに出た。道行く人々はまるでグリム童話の世界から飛び出してきたような装いをしている。背中剣や槍、弓などの武器を背負って歩いているまさにファンタジーを体現したような者達までいた。


「これはあれか…異世界ってやつなのか」


 何というかわけがわからなすぎて逆に頭が冷静になってしまったらしい。俺は通りを歩き始めた。マズイ困ったことになったという気持ちで焦る自分と「異世界」というワードにワクワクしてしまっている自分が混ざり合う。


凄い…見たこともない生き物が馬車を引いてる!おお、あの人は耳が尖ってる!あれがエルフか!?


通りにはたくさんの店が軒を連ねている。


「フランメ!」


頭にバンダナを巻いた男性がそう唱えると薪に火が付いた。そして鉄の串に刺した何かの肉を焼き始める。辺りには香ばしい匂いが漂った。向こうでは腰のベルトにいくつも瓶をぶら下げた女性がカーペットを敷き、そこに色とりどりのポーションを並べて売っている。目に映る景色がどれもこれも見たことのないものばかり。俺の心は今置かれている状況から来る不安を塗りつぶすほどに弾んでいた。

 あれやこれやで異世界の光景を見物しながら街を歩く。次はここ、あそこには何があるのだろうか。そうやって歩き回っていると今度は人の気配のない開けた場所に出た。今までの賑やかさが嘘のように静寂がその場を支配している。ふと気が付いた、誰かがこちらを見ている。髪は長く乱れており、顔に木彫りの仮面を付け腰のベルトには剣を携えている。服装は薄汚れたチュニックと革製のズボン、性別は多分男だと見て取れた。しばらく何も食べていないのだろうか、体は痩せ細り力無く、弱っているという印象を受ける。

 

「あの、どうかされましたか?」


俺が一歩近づくと


「あ…うああああぁ!!」


男は奇声…いや、悲鳴を上げた。そして何かに怯えるようにガタガタと震えていると思うといきなり腰の剣を抜き襲いかかって来た。咄嗟のことにバランスを崩しながらも間一髪で男が振り下ろした剣をかわした。俺は急いで体勢を立て直し男に背を向け全速力で走り出す。仮面の痩せた男はよろめきながらも確実にこちらの動きを捉え追いかけて来る。


追いつかれたら多分…いや、あれは確実に殺される


俺は走った、ただひたすら足を動かすことだけに集中して。

 どれだけの距離を走ったのだろうか。いつの間にか薄暗い路地に迷い込んでいた。路地はもう勘弁願いたいというのに…。足を止め壁にもたれかかる。


もう限界だ…走れない。


そう思ったとき、荒い呼吸が聞こえた。顔を上げると男がふらふらと、しかし一歩ずつこちらに近づいて来ている。


ああ……殺される………


そう感じて後ずさると足に何か重い物が当たった。薪割りに使うような斧だった。刃は錆び、柄は黒ずんでいる。


なんでこんな所に斧が…


考えている暇はない、やつはもう眼の前だ。俺は斧を手に取り素早く身構える。男は声を上げ剣を振り下ろす。


「うおおおぉ!」


俺は渾身の力で斧を振り抜いた。やつの剣が届くより先に斧の刃が痩せ細った胴に食い込む。男はガラガラと音立てるように崩れ落ち、その衝撃で仮面が血と共に地面に放り出された。

 

死んだ、殺した、俺が、俺が殺してしまった。


だが、そんな恐怖はすぐにさらなる恐怖に掻き消された。誰よりもよく知っている顔、見慣れた顔、その顔はもう眉一つ動いていない。そんなわけがないと目を閉じて再び開く。



その死体の顔は紛れもなく俺の顔だった。











 



 

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