第15話 初めてのデート

「えっと、大丈夫か? 家まで送っていこうか」


 優菜は立ち上がってスカートについたホコリを払うと、しばらく考えてから答えた。


「うーん、ちょっと帰りたくないかな……」


 心臓がドクンと跳ねた。


「か、帰りたくないって!?」


 仮にも俺はゲーム開発で成功したオトナだ。

 対して目の前の……、映像の中の優菜は女子高生のガキだ。

 ガキの一言に動揺なんて決してしていないぞ。


「うん、ちょっと気分を落ち着けたいっていうか」

「なら、ファミレスでも行く?」


 ぼっちの俺は友達とファミレスに行った覚えはないが、クラスメイトたちはファーストフードやファミレス、あるいは友達の家なんかをたまり場にしていたような気がする。


「えっと、それも行きたくないかな。大輝くんには見られちゃったけど、こういう時って一人になりたいものじゃない?」


 ガツンと殴られたような気分だった。

 レイプされそうになった女の子がショックを受けるのは当然じゃないか。どうして俺は無神経にファミレスなんかに誘ったんだ?


「じゃ、じゃあさ。ここでベンチに座って話をしないか? 飲み物買ってくるからさ。おごるよ。なにしろ友達におごったことがない俺のおごりだから、すごいレアな体験だぞ。なんならデザートも付ける!」


 しまった、テンパると余計なことまで口走ってしまう。

 さっき無神経にファミレスに誘っておきながら、今度はデザートとか。

 どうかしてるぞ、俺。


「えっと、ごめん。デザートはいらない?」

「ふ、うふっ、ふふふふふふ」


 優菜はビクビクと体を震わせながら、笑い始めた。

 彼女自身は止めようとしてるけれど、どうしても止められない。そんな様子だ。


「ご、ごめんなさい。ふふ、ふ。烏丸くんの慌て方見てたら、自分がいっぱいいっぱいなことまで忘れちゃいそう。あはははは」


 俺はこの時、完全にゲームだということを忘れた。

 だって目の前にいるのは完全に人間。

 普通の女の子の反応。

 優菜自身と言われても気づかない笑い声だったからだ。


「ごめんね。私も一緒に行っていい?」

「う、うん。でもいいのか?」

「コンビニぐらいなら、一緒に行けると思う。それに、デザート買うなら私も選びたいから」

「お、おう。そうだよな。なんでも選んでいいぞ」

「なんでも? じゃあ高いの選んじゃおっかな?」


 俺はドキリとした。

 高校生の俺の財布にはいったいいくら入っているのか。

 いや、落ち着け。

 当時のコンビニスイーツなんて、そんな高いものはなかったはずだ。大丈夫、問題ない。



 コンビニでの買い物はVR内で曖昧に進行した。

 なんだか編集されたドラマを見ているみたいだった。

 その中で彼女はプリンを選び、俺にはコーヒーが与えられた。香りも味も、いつも自宅で淹れるコーヒーそのものだ。 

 コーヒーメーカーでのコーヒーづくりもジェニファーに任せておいて良かった。

 せっかくの優菜とのひと時をゴーグルを外すことで中断されずに済む。


「それ、美味しいの?」

「お気に入りなんだ~。卵の味がね、濃厚なの」

「じゃあ太る?」

「その分晩ごはんで調整するもん。お母さんにね、ごはんは野菜中心にしてって、お願いしてるんだあ」

「なるほどね。体重が増えそうだったら、野菜以外の食べ物の量を調整するわけだ」

「うん、そうだけど。あれ? 前に私、烏丸くんにこのこと話したっけ?」

「いや、そもそもあんまり話したことないだろ? えっと、だから」


 この件は同窓会で小耳に挟んだ。彼女は体重を維持するために、野菜以外の食べ物の量がどんどん減ってるって話していたんだっけ。運動もしなよと友達に注意されながら。


「運動が苦手だからさあ。太らないようにするには食べ物で調整するしかないんだあ」

「運動が苦手でもジョギングくらいできるんじゃない? さっき走ってる人もいたし」

「あ、ああ。そう、だね……」


 しまった。さっき走ってた人のことは優菜も見てる。それもとても気まずい状況で。


「そ、そうだよね、運動部にも所属してない女子高生が近所でジョギングとか。なんか必死さが伝わってくるし、恥ずかしいよね? 他のアイデアにしよっか、うん」

「ぷ、烏丸くん、面白ーい」

「ん、んん!?」


 優菜は今度こそ我慢できないという感じで笑い転げた。


「な、なに? そんな変なこと言ったかな、俺」

「女子高生がジョギングしたら必死そうって言った! 女子高生の前で! あははは」


 そうか。ついつい女子高生という言葉を自分とは関係ない赤の他人という意味で言ってしまったけど、目の前の優菜は女子高生そのものなんだ。


「あ、あ、あ。ごめん。悪気はなかった」

「いいよ、分かってるから。うふふ」


 ベンチをバンバンと叩く振動がこちらまで伝わってくるみたいだった。

 俺の一言一言が彼女をこんなにも笑わせてる。

 イヤな経験を忘れさせてる。

 俺は心の底から嬉しいと感じていた。


「俺のことは大輝たいきって呼んでよ」

「うふふ、ふふ、え?」

「いや、だからさ……、いや、やっぱいい! 忘れて」

「なになに? 言いかけたことは最後まで言ってよ。気になるじゃん」


 彼女はこちらに少し体をずらし、上半身をこちらに傾けた。

 ほんの少しだが、彼女との距離がぐっと縮まったような気がした。


「だから、その、大輝、だよ。下の名前ってこと」

「あ、ああ。いいの? それ。私は構わないけど」

「せっかくこれだけ話せたからさ。俺、クラスに友達って言える奴がいなくて寂しかったっていうか。だからキミが下の名前で呼んでくれたら嬉しいかもって思ったんだ」

「そう、なんだ……」優菜は顔を赤らめ、目を泳がせた。「へえ……」

「うん」


 優菜が考え込むように黙り込んだ。その一瞬が永遠みたいに感じる。風の音が聞こえ、周囲の葉っぱが揺れた。


「じゃあ、いくよ。えと、こんな感じ? 大輝ー、ごはんよー」

「なんでお母さん目線!?」

「だって、恥ずかしかったんだもんっ。なら烏丸くんから先に言ってよ」

「なにを?」

「だから……私を下の名前で呼んでみて?」

 彼女の朱色に染まった頬が、恥ずかしそうに震えていた。


 うおー! 俺は心の中で叫んだ。

 今のセリフと仕草、永遠にリピートできるように保存しておきたい。映像を保存しておくようにジェニファーに言っておけばよかった。


「お、おう、やってみる。ゆ、優菜……さん?」

「あー、ごまかした。もう一回」

「優菜……、早くしないと遅刻するぞ」

「なんでお父さん目線!?」

「キミの言う通りだったよ、めちゃくちゃ恥ずかしいな」

「でしょう? あっはははは」


 彼女は再び笑い転げた。

 僕も恥ずかしさを誤魔化すために、いつまでも笑った。


 とても、とても幸せな時間だった。

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