とっておきのスニーカー
「川野さん、靴紐解けてますよ」
積荷のコンテナを運んでいる最中、最近入社した新卒にそう声をかけられて足元を確認する。
すると指摘通り左足の靴紐が解けて地面に垂れていたので、一旦コンテナを降ろしてしゃがみ込む。
そういえばさっきバランスを崩した時に、右足で左の靴紐を踏んでしまったのかもしれない。
「すまん、ありがとう」
「いえいえ、重い荷物を持っている時に転んだりしたら大怪我しちゃいますから。ところでそれって、少し前の結構レアなスニーカーじゃないですか?」
「お、分かるのか? 1週間ほど前にたまたまネットで見つける事が出来てね。昨日届いたのを履いてみたら、あまりにも丁度いいサイズだったんで仕事履きにしてみたんだ」
「へぇ、めちゃくちゃ似合ってます。でも凄いですね、俺も靴好きで少し集めてるんですけど、なんだかもったいなくて結局飾るだけになっちゃって」
「はは、貧乏性なだけだよ」
そんな会話を交わしていると、あっという間に終業の時間になった。
その日は給料日後初の金曜日だったので、仕事を終えた後行きつけのスナックへ足を運んだ。
入り口を潜ると、ママとスタッフが笑顔で出迎えてくれる。
「川野さん、いらっしゃいませ!」
「おう、お疲れ様」
「あれ? また新しい靴じゃないですか。って、靴紐解けてますよ」
確認するより先に、思わずママの顔を見返してしまった。
駅からここまで結構な距離を歩いたし、その間、昼のように靴紐が解ける原因に思い当たる節もなかったからだ。
しかし実際に見てみると、ママの言う通り本当に紐は解けていた。今度は右の靴紐だ。
これで長距離を歩いてよく転ばなかったものだと自分に感心し、紐を結び直す。
そこで、小さな違和感を覚えた。
……ん? このスニーカーの紐って、こんなに長かったか?
いや、思い過ごしか。靴紐がちぎれたりで縮むことはあっても、伸びるなんてことは有り得ないだろう。
きっと見慣れていないだけだ。
気を取り直して酒を飲み、十八番を歌い、ほどよく眠くなったところで店を出た。
慣れないスーツに身を包んだ若者達が目立つ繁華街を抜けると、家まではあと路地裏を1つ抜けるだけだ。
照明が少なく足元は見えにくいが、幾度となく通っている道なので問題はない。
――はずだったが、途中で転びかけてしまう。
なにかに引っかかったような感触を覚え、前へ倒れそうになる身体をなんとか立て直す。
まずいな、飲み過ぎたか?
暗がりの中、目を凝らして足元を見る。すると、思わず「え?」という独り言がこぼれた。
靴紐が解けている。しかも、今度は両足だ。
1日に3回も解けるなんて、どうなってるんだ?
もしかして不良品だから流通したんじゃないだろうな。
多少の不安を感じたが、なんにせよ靴紐を結び直さないことには仕方がないので、しゃがみ込んで紐に手をかけた。
そこで、再び違和感を感じる。
今度はスナックの時より、ずっと大きな違和感。
いや、違和感というよりも異変だ。
おかしい、明らかに。
紐の先を持って結ぼうとしたのに、どこまで探ってもその先端に辿り着くことが出来ない。
長い、なんてもんじゃない。本当に一体どうなってる?
見えている部分だけで既に1メートルはあるだろう。
垂れ下がった紐の先は背後へと伸びており、まだ緩んでいる状態だ。
スニーカーの紐なんて、どれだけ長くても2メートルがせいぜいのはず。
しかもこのスニーカーに関しては紐が解けているだけで、取れてしまっているわけではない。靴先まで続く部分にはしっかりと紐が残っているというのに。
不可解過ぎる出来事の真相を探るため、振り返ろうとした瞬間。
突然紐がピンと張り、足をとられて転んでしまった。
不意打ちで手をつくことも出来ず、コンクリートへ思い切りあごをぶつけた。
あまりの痛みに手で押さえると、かなり出血しているのが見てとれる。
疑問と怒りが入り混じる中、私は立ち上がり、今度こそ背後へ顔を向けた。
そして、腰を抜かして再びその場へ倒れてしまう。
まるでコンクリートの地面から生えているような、上半身だけの男。
ソレが異様に伸びた私のスニーカーの紐を、地面のなかへ引き摺り込むように手繰っていたからだ。
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