ステンドグラス症候群

 美大生の友人に誘われて、ステンドグラス展示会へ赴いた時のこと。

 もともと美術や芸術には全く興味がないのだが、「行ってみれば絶対面白いから」という彼女の言葉を信じた。

 しかし、飾られている作品を見ても「綺麗な色だなぁ」などと思う程度で、やはり自分にそういった感性はないのだと改めて知った。

 元々イルミネーションや風景などに感動した事もないのだ。

 ひとつひとつの作品のモチーフや技法を丁寧に解説してくれる友人に、申し訳ないと思いながらもあくびを堪える。ただ、やはり自分にこういう場所は合わないと知れただけでも良かったか。


「ちょっとトイレに行ってくるね」


 そう言ってその場を離れ、案内板に沿って進んで行くと、通路にもたくさんのステンドグラスが並んでいる。

 背後に設置された光を受けて華麗な色を放つそれらに、人々は立ち止まり、口々に感嘆の声をあげていた。

 猫や鳥などの動物、または天使や悪魔をモチーフにしたものが多い。せっかく来たのだからと一応横目で流し見はするものの、やはり私の感情は大きく動かない。

 ペースを落とさず、そのまま足を進めていく。

 しかしふと、ひとつのステンドグラスに目が留まる。

 明らかに異彩なそれ。作品全体の九割が真っ黒いガラスで作られており、ほとんど光を通していない。

 渦を巻くような背景に、黒い人間が黒い人間を踏み潰しているような構図だ。波紋が立つんじゃないかと思うほど荒々しい黒い渦から、目が離せない。

 触ればそのまま、ステンドグラスの世界に呑み込まれてしまうような気がする。

 それなのに、私は猛烈に触れてみたくなった。

 何度も言うが芸術的な感性は持ち合わせていないはずだし、展示物に触れるのが御法度なのも分かっている。

 自問自答しても理由は分からない。とにかく、無性に触ってみたくなったのだ。

 衝動を抑えきれず、右手の人差し指を作品に向けて差し伸ばす。

 つん、と指先がガラスに接触した瞬間、猛烈な快感が脳を駆け巡った。

 指先から全身を何度も突き抜ける。脳が溶けてしまいそうだ。


「やめておけ」


 意識を保てないほどの気持ちよさに夢中で耽っていると、背後から低い声が聞こえた。

 私は首だけを動かし、背後を確認する。

 そして、絶句した。

 いつの間にか景色は色を失っており、周囲の人が消えて真っ黒な世界が広がっている。

 そして唯一この世界に存在する声の主は、破れた腹から血や内臓をぼたぼたと床に垂らし、さらに剥がれた随所の皮膚からは筋肉が剥き出しになっている。

 まるで人体模型のような、あまりにもグロテスクなその容姿。

 叫んで逃げ出したいけれど、それは出来ない。

 ――だって、これに触っているのが気持ちいいから。

 あぁ、本当に気持ちいい。このまま身体ごと任せてしまいたい。


「俺は抱き着くように触れてしまったのでもう戻れないが、まだ指先だけのお前ならもしかして」


 そう言うと男はいつの間にか私の前に移動しており、私の人差し指をステンドグラスから弾くように離した。


「なにするのよ!」




「――ちょっと、どうしたの?」


 聞き覚えのある声が耳に入り隣に目をやると、そこには友人の姿があった。


「……え?」


 意味が分からず辺りを見回す。

 すると、いつの間にか世界は元に戻っており、周囲には私の大声に驚く人々が居る。

 あれ? あのステンドグラスは? 一体どうなってるの?

 正面に視線を戻すと、そこには綺麗な天使が描かれたカラフルな作品があるだけだ。

 そのあともしばらく館内を探してみたが、あの黒いステンドグラスは見つからない。友人に聞いても、どこにもそんなものはなかったという。

 白昼夢でも見たのかと、無理矢理自分を納得させようとする。それでも、あの快感がいまだに脳裏に焼き付いており、友人が痺れを切らすまでそのあと一時間ほど館内を探した。

 しかし、出口付近の土産屋で買った、全展示作品を収録しているパンフレットにも載っていなかったので、いよいよ諦めて展示会をあとにした。

 消えないもやもやを抱えながら、友人とファミレスで食事をして帰路に着く。


 その夜、睡眠中に指先の痛みと違和感で目を覚ます。

 すると、人差し指の爪がポロリと剥がれ落ちた。

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