きゃっきゃいぃ
「あれが鳴くとおかしくなるんだ。ズレて家から出られないし、誰とも会話が出来なくなる」
深刻な相談があるといって電話をかけてきたのは、同級生の原田だ。てっきり恋愛相談かなにかだと思っていたんだが、聞いてみるとその内容は全くわけのわからないものだった。
「あれってなんだよ。それにズレるってどういうこと?」
「分からないから、きゃっきゃいぃって呼んでる。仕組みは俺にも分からない。なぁ、哲雄の爺さんマタギだろ? あれを駆除出来ないか?」
口ぶりからして、動物の類だろうか。
「なんだそれ。まぁ聞いてみるのはいいけど、どんな動物かくらいは教えてくれよ。特徴伝えた方が分かりやすいだろうし」
「あぁ、でも詳しくは分からないんだ。分かっているのは――」
原田が喋っている途中、突然その声を遮るように電話口から奇妙な音が響き渡る。
まるでサバンナに生息する鳥の鳴き声のような、不規則な高音。
「すまん、別の音が混じってよく聞こえなかった。なんだって?」
原田からの応答はなく、妙な音も聞こえなくなっていた。電波の問題だろうか。
一度電話を切ってからかけ直してみる。
しかし、それ以降コール音は鳴るものの原田が電話に出ることはなかった。
翌日、原田は学校にも現れなかった。
もしかしてなにか事件に巻き込まれたりしたのか?
二時間目の授業が終わり、心配になって担任に昨日の出来事を話そうとすると、教室の入り口にある扉が開く。
「すみません、遅刻しちゃって」
入って来たのは原田だった。
俺は担任とのやりとりを終え、席に着いた原田の元へ駆け寄る。
「お前、昨日どうしたんだよ。いきなり電話切るし、繋がらないし」
「あぁ、すまん。電話の最中にきゃっきゃいぃが鳴いただろ? もう一回鳴いたのがついさっきで、それまでこっちに戻って来られなかったんだ」
いよいよ言っている事の意味が分からない。原田はおかしくなってしまったのだろうか?
「やっぱり意味分かんないよな。もういいや、ありがとう。自力でなんとか解決策を探してみる」
「ちょっと待て。たしかにおかしくなったかもとは思ったけど、友達としてお前を信じてないわけじゃない。そうだ、それなら俺をそのきゃっきゃいぃってやつに会わせてくれよ」
原田は顎に手を当てて少し考える素振りを見せた後、再び口を開く。
「難しいだろうけど、見つけてくれれば本当に助かる。分かった、今夜泊まりに来れるか?」
「え、泊まりかよ。明日土曜だからまぁいいけど、そいつ夜中にしか見れないの?」
「いや、俺も姿を見たことはない。ただ最初に鳴くのは大体が夜中なんだ」
午後十時を回る頃。
俺と原田は原田の部屋でサッカーゲームを楽しんでいた。原田の家は所有している山の途中にぽつんと存在しており、夜中は特に近くにある池の音や虫の声がよく通る。
「しかし、お前の家に泊まるのも中学校以来か。懐かしいな」
「あぁ」
原田はというと、ゲームにも会話にもいまいち身が入っていないようだった。
「なんだよ、きゃっきゃいぃが怖いのか?」
「うん、怖い。今日は何時間ズラされるんだろうと恐ろしくてたまらない」
「だからズラされるってなんだよ。安心しろ、爺さんに頼んでやるから」
俺が操作するキャラクターがゴールネットを揺らす。いつもならかなりテンションが上がるが、この状態の原田相手ではいまいち盛り上がらない。
『きゃっきゃいぃ!』
そう思った瞬間。
窓の外から、昨日電話口で聞いたものと全く同じ音が響いた。
数秒を跨ぐそれをよく聞くと、原田が言っていた擬音と似ている。
「もしかしてこれがきゃっきゃいぃか?」
聞いてみるが、原田は口をパクパクと動かすだけで言葉を発しない。
「おい、ふざけている場合じゃないって。もしこれがそうなら、外に探しに行こうぜ」
そう言ってみても、原田の行動は変わらず口パクを繰り返すだけだ。
なぜこの状況でふざけるのか。意味が分からず原田の肩を掴もうとすると、驚愕の光景が生まれる。
すっぽ抜けた。いや、俺の手が原田の肩を貫通した。
なんだこれ、一体どうなってる!?
まるで原田が透明人間にでもなってしまったかのよう。そして今更気づいたが、いつの間にか俺の耳にはゲームの音も聞こえなくなっていた。
パニックになり、とりあえず外へ出ようと部屋の入口へ向かう。
しかしその途中、ガン! と思い切りなにかにぶつかって思わず尻餅を突いてしまう。
驚いて前を確認してみるが、ぶつかるようなものはなにも見当たらない。
おそるおそる手を伸ばすと、なにもないはずの空間に壁のような感触を感じる。
信じられない出来事の数々に目を見開いて思わず原田の方を振り返ると、動くな、といった風のジェスチャーをこちらに送っていた。
なんだこれ……音も聞こえないし会話も出来ないうえに、わけのわからない所に壁がある。
『きゃっきゃいぃ!』
一体どうしたらいいのか分からず途方に暮れていると、聞こえないはずの耳にもう一度あの音が響き渡った。
「哲雄、大丈夫か!?」
今度ははっきり間違いなく、原田の声が聞こえるようになっている。
どういうことだ?
ようやく会話が可能になった原田から、改めて事情を聞いた。
まず、きゃっきゃいぃが一度鳴くと外部との会話は不可能になり、以降全ての音がシャットダウンされる。見えている物や位置も変化しているらしく、さっき俺がなにもない場所にぶつかったのはそれが原因らしい。
これを原田は、ズレると呼んでいた。
そんな話信じられるかと言いたいが、実際に経験してしまった今、原田の言葉を否定する事は出来ない。
元に戻る方法は、もう一度きゃっきゃいぃが鳴く以外に無い。しかも二十四時間以内に二度鳴くことは分かっているが、その間がどれだけ空くかはきゃっきゃいぃの機嫌次第だという。
事情を話した爺さんに、そのあとしばらくのあいだ原田の家周辺を捜索してもらうと、おそらく正体はこれだろうと狸の死体を運んできた。
俺も原田もそんなわけがないだろうと言ったが、爺さんの言葉通り本当にそれ以降きゃっきゃいぃが鳴くことはなかった。
しかし、俺と原田は思っている。
あれだけ異常な現象を引き起こす謎の生物が、狸などであるわけがない。
きゃっきゃいぃはおそらくどこかへ移動しただけで、そのおそろしい鳴き声は今も誰かを苦しめているのだろうと。
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