マネキンの気持ち

 通路にはお星さまの形にした折り紙が貼ってあったり、ガラスに織姫や彦星のペイントがしてあるお店もある。

 お菓子のプレゼントや抽選会といった文字入りのポスターが並ぶ。


「ほら見て、短冊が書けるよ。優斗も吊るしてみる?」


 一番目立つのはやっぱり中央階段横にある大きな笹で、お母さんの言う通りそこには沢山の短冊が実っていた。


「ううん、先に服を選びたい!」


 今日僕がショッピングモールに来た目的は、七夕イベントを楽しむためじゃなくて、夏休みに友達と花火大会へ行くための服を買うことなんだ。

 去年までは一緒に選んでもらっていたけど、お母さんには高学年になった今年からは一人で選ぶと伝えてある。

 授業中からこの買い物がとても楽しみで待ちきれなかった。

 一体どんな服を選ぼうか。そういえば幸太が着てたTシャツ格好良かったな。あれの色違いを買っておどけてみせるのもいいし、皆から格好良いって思われるような新しい服を探すのもいいし。

 わくわくしながら色々考えていると、いつの間にかもう洋服売り場へ到着していた。


「じゃあ私はこの辺りで自分の服を選んでいるから、決まったらこっちに持っておいで」

「うん、分かった!」


 うーん。

 一通り見てみたけど、迷っちゃうな。

 幸太と同じ服は売ってなかったし、やっぱりさっきの黄色いシャツにしようかな。出来れば色は青とか緑が良かったけど、いまいち気に入ったデザインのものが見つからない。

 デザインで選ぶか、色で選ぶか。


「って、おっと! 危ない危ない」


 上の空で歩いていたら、靴紐を踏んでしまい転びかけた。

 解れた靴紐を結び直そうとしゃがみ込む。ふとそのまま正面を見上げると、そこには僕と同じくらいの背丈で黒い帽子に青いシャツ、ベージュのズボンを履いたマネキンが立っていた。


「うわ、格好良い! これ欲しいな」


 その青いシャツはデザインも色も僕の好みにピッタリで、思わず声をあげてしまった。

 そうか、並んでいるシャツばかり見ていてマネキンにまで目が追い付いていなかった。これってお店の人に言えばとってもらえるのかな?


『君、このシャツが欲しいんだ? いいよ。じゃあ、交換してあげるね』


 ……え?

 一瞬店員さんが話しかけてくれたのかと思ったけど、違う。

 なんだ今の、頭の中に声が響いたみたいな感覚。

 ていうか交換って、なんのこと?

 なに? と声をあげようとしたけど、なぜだか声が出ない。

 気味が悪いので走ってお母さんのところへ行こうとしたけど、なぜだか足が動かない。違う。顔も腕も、指先すらも動かせない。

 ……音も聞こえない。


 ――嫌だ!

 なにこれ? なにが起きているの?

 誰か助けて! お母さん!

 視力だけは失っていない事に気付き、慌てて周りを見渡す。

 するとそこには、【僕】が映っていた。

 見間違いじゃない、あれは間違いなく僕自身。その恐ろしい事実に背筋が凍りつき、今にでも大声で叫び出したい。

 でも、何一つ身動きが出来ないままだ。目の前の僕を見つめ続けることしか出来ない。

 視界の僕はしゃがんだ状態から何度も立ち上がろうとしている。ただ、その動作はぎこちなくよろよろと立ち上がりかけて、またしゃがみ込んでを繰り返していた。


 どういう、こと?

 嫌だ、怖い、そんなはずない。

 頭をふとよぎった、最悪のもしかして。

 マネキンと僕の中身が、入れ替わったんじゃないか? もし本当にそうなら、僕はもうずっとマネキンのままなの?

 お願いだから出てよ、声! お願いだから動いてよ、足!

 心が壊れそうなほど不安と恐怖が押し寄せてくる。

 視界に映っている方の僕は、結局立ち上がれずに今度はそのまま転倒した。


『ちぇ、駄目だ。身体を動かすのって思ったよりずっと難しい。これじゃどうせ君のお母さんに怪しまれちゃうし、今回は見送るしかないか』


 また頭の中に声が響いたかと思うと、視界が一瞬暗くなり転換した。

 今度はマネキンを正面に据えている。

 手、動く。足もだ! 動く!


『今度はもっと上手くやれるようにしておくから、またよろしくね』


 それを聞いた僕は、ようやく出せるようになった声を喉が潰れるほど吐き散らしお母さんの居る婦人服売り場へ走った。

 周りのお客さんや店員さんの視線が全部僕に注がれていたし、お母さんもびっくりしていたけど。もう高学年になっているけど、思いきり抱き着いて泣き喚いた。

 どうしたのと聞くお母さんには落ち着いたら話すと言うとそれ以上深く聞かず、代わりに手を繋いでくれた。

 とても安心して、僕は溢す涙を更に増やす。



「少しは落ち着いてきた? 聞くのは家に帰ってからの方がいい?」


 たしかにさっきよりは少しだけ和らいでいるが、起きたことを説明しても直ぐに信じて貰えるとは思えないし、とにかくあのマネキンから一刻も早く離れたかった僕はこくりと頷いた。そして手を繋いだまま中央階段を降りる。


「あ、そういえばこの短冊。って、もうその状態じゃ書かないよね?」


 これに対しても頷こうとしたけど、偶然目に入った一つの短冊によって僕の心はまた恐怖に支配された。


「ひっ! お願い、お母さん! 早く帰ろう!」

「もう、一体どうしたの? 分かった、行くから」


 頭の中にマネキンから見た光景が。そして、あの短冊が焼き付いて離れない。青い折り紙で作られた短冊には、間違いなくこう書かれていた。



『人間の身体が欲しい』

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