第22話 それをこの男はやすやすと手に入れてしまったのだ

 毎日のように日光が照りつけ、うだるような暑さな夏真っ盛りの午前。

 アスファルトからは湯気が出ていて、遠くからでは蜃気楼にもなる異常気象。


「さあ、今日はどの服を買おうかしら」

「母さん、マジで勘弁してよ……」


 その熱に溶かされそうな道路を二人の親子を乗せた黒い軽自動車が突っ切っていく。

 助手席の子供は苦々しい顔をしながらも、時折運転手の母親に話しかけられ、それなりに楽しい表情もしていた……ように見て取れたが……。


 ──13歳になっても子供扱いな俺は夏休みを迎え、母さんと共に冷房がガンガンに効いた都会のデパートを訪れていた。

 何だよ、そんくらいの歳ならまだガキじゃねーかと思ってるか?


 アラサーで俺という子持ちがいるのに母さんは派手で露出度の高めなヒラヒラな服で俺を惑わすんだぜ。

 セクシーなボディーラインで出るとこは出てるモデル体型だから、俺みたいな子供でも簡単に落ちてしまうのさ。

 おまけに美人だし、足はスラリとして長いし、俺の理性が持たないつーの。


「こんなイベントが月に一回あるんだぜ。あの日じゃあるまいし……」

「んっ? 何を一人で呟いてるの、賢司けんじ?」

「かっ、母さん!? 何てカッコしてんだよ!?」


 白を強調とし、サイズがぎちぎちのエロい服装でこっちに寄ってくる母さん。


 確かワンピースの種類に入るヤツだ。

 色白で華奢な鎖骨が見え、胸のラインは極端に出てるし、スカートの丈は短いし、男を誘惑する服に見えなくもないが……。


 こういう危ない服を好むから、同じ立場の男としてはいい加減に落ち着いてほしいというか……。


「どう似合うかな。王子くん?」

「母さん、周りの男も見てるから!!」

「見てるって誰が?」


 母さんが周囲に目を向けた途端、服選びをしていた野獣たちはそのイヤらしい目線を反らし、あくまでも知らないフリを突き通す。


 おい、お前ら。俺の目は誤魔化せないぞ。

 すぐそばに恋人がいるのにギラついた瞳で母さんを見ていただろ?


「おいっ、お前ら、そんなにスカスカに飢えてるんだったら、頭ん中に鉢植えの培養土でも植えてな!」

「コラッ、そんな悪口を叩かないの!!」


 母さんがそのような悪い子に育てたつもりはないと俺の頭を子猫のようにそっと撫でる。


 ああ、そうだ。

 母さんは俺を叱る時はいつもこうだ。

 決して怒鳴ったり、ましてや暴力を奮ったり、意地が悪いようにののしることもない。


 俺という子供を大切な品物のように扱う、心から優しい母さんだった。


「──フフッ。君は相変わらず変わってないね」


「いえいえ。先輩の包容力には及びません」 


 ふと、この洋服売り場から先輩と呼ばれた長身の冴えない眼鏡の男が、母さんの前に現れる。

 だけど俺と母さんは警戒心を抱くことはなかった。

 俺も承知済みだし、自然体な対応の母さんも初対面の相手じゃないからだ。


「包容力ってその格好で言うのかい。いくら紳士な僕でも間違って押し倒しそうなんだけどね……」

「ああー、すみません、先輩!!」

「謝るくらいならさっさと着替えてくれるかな」

「あっ、はいっ!!」


 あの落ち着きのある母さんが急に冷静さを失い、耳まで真っ赤な顔になってウサギが跳ねるように試着室へと飛び込む。 

 俺はおじさんに連れられ、近くの休憩所へと移動した。


「毎度ながらごめんね。子供ながらでも感じちゃうでしょ」

「俺、漢字の読み書きなら誰にも負けねえ」

「フフッ。その言い草。ますますあの人に似てきたねえw」


 この眼鏡をかけた銀色の短髪なおじさんは計ったかのように、いつも俺らの前に音も気配もなく現れる。

 まるで父さんを亡くした母さんを我がモノにするかのように……。


「ねえ、賢司君はアイスクリームは好きかい? おじさんが奢るよ」

「いえ、間に合ってますんで」

「あはははっ。君は本当に面白い子だねー」


 おじさんがズボンのポケットから煙草の箱を出し、『あちゃ、ここ禁煙になったんだー』と箱を握りしめ、心底悔しそうな顔をする。

 ちょっと昔まで自由に深い味わいを楽しめる嗜好なアイテムだったのに、喫煙者も肩身が狭い時代になったものだ。


「……あの、神楽坂かぐらざか先輩」

「おおっ? ちゃんと着替えてきたんだ。お利口さんだねー」

「かっ、からかわないで下さい」


 いつものシャツと短パンというラフな姿の母さんがおじさんの目の前で凄む。

 何か今にも甘い行為をしそうだし、二人と顔と顔との距離が近過ぎないか!?


「この間、約束しましたよね。私の子供が居る前では会わないって」

「あー、そんなこと言ったけなー?」

「子供の教育上、愛人を連れての行為は良くないと先輩から言ってきたんでしょ。まあ、愛人じゃないですけど」


 珍しく穏やかな母さんがこのおじさん相手だと子供のようにムキになって反論をする。


 こんな母さんの影のない態度、いつぶりだろう。

 あの日から闇に埋まっていた過去の光をほじくるように。


「うーん、だったら僕と再婚でもする?」

「いえ、子供が立派に巣立つまでそんな気はありませんので」

「つれないな。それじゃあシワシワのおばあちゃんになっちゃうよ?」

「息子の将来がありますから」

「あの人と一緒で真面目だね、君も」

「先輩ぃぃぃー!!」


 母さんが柄にもなく照れている。

 一度は父さんを亡くして心も身体もやつれていたあの母さんがだ。


「そうだ、烈火れっかちゃん。今度のお昼に賢司君と一緒にランチでも行かないかい?」

「でも……」

「お昼だったら安心して、その子も連れて来れるでしょ」


 そうおじさんが陽気に言った後、今度は俺の傍にしゃがみこみ、耳元でボソボソと話しかけてくる。


『……これなら君も問題ないだろ』

『何で俺が関係あるんだよ』

『何でって? お母さんのことが好きなんでしょ?』


「ななあああっー!?」


 赤の他人のおじさんに見抜かれた恋心に反し、思わず声を張り上げる。

 母さんはあまりの叫びに驚いて俺の心配をして頭を撫でてくる。


「どうしたの、賢司。そんなに大声出して顔を赤くして? 神楽坂さんに怖いイタズラでもされた?」

「はははっ、烈火ちゃん。この子も思春期を迎えた立派な男の子というわけさ」


 おじさんの言うことはいつもハズレがない。

 少々早熟だが、今の俺には男と女が行き着く先すらも分かる。


「ちょっと、あんた……」

「あんたはないだろ。僕には秋蘭あきらっていう立派な名前があるんだからさ」


 口では笑っていても秋蘭おじさんの目は真剣そのものだった。


「そんな口の聞き方がなってない悪い子には……執行モードオンー!!」

「ちょっ、ちょっと止めろ!」


 俺が嫌がっていても秋蘭おじさんの攻撃の手は緩まない。

 次は俺の両腕を掴んで後ろに回し、抵抗できない体に正義のお仕置きを仕掛けた。


「ちょ、ガチでくすぐったいって!?」

「フフーン。抵抗しても無断でちゅよー」

「だから止めろおおおおおー!!」


 秋蘭おじさんの攻撃、聖なるくすぐりは最高にくすぐったい。

 周りのギャラリーがスマホを片手にワイワイと熱い騒ぎを立てても、俺のハートはブルーのままだった。


「あははっw」

「ほんと、おかしいったらありゃしないw」

「母さん……」


 そんな光景に母さんがあんなに大笑いしたのは久しぶりだ。


 俺の知る限りではまだ幼い頃、幼稚園の年長だった時にあった笑顔。

 家族水入らずで食卓に響いていたあの楽しそうな表情は、もう二度と手に入らないと思っていた。


 それをこの男はやすやすと手に入れてしまったのだ。


 この男は何者なんだ。

 母さんと昔、何かあったのか?


 学生時代の知り合いにしては歳が離れすぎだし、大学のサークル時代の友人?

 このフランク感なら元恋人というのもあり得る。

 それに何で二人とも、そんなに嬉しそうに会話を楽しんでるんだよ。


「──もうしょうがないわね。そのデート付き合ってあげるわ」

「ホントかい?」

「ええ。先輩が全部奢るんでしょ。ホントの本当よ」

「ははっ。ちゃっかりしてるねえ……」


 こうして母さんは父さん以外の男と食事に行くことになった。

 なぜかこの思春期真っ只中な中学生の俺も引き連れて……。

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