第二部 勝竜賢司失踪編
第5章 幻となった親友と四姉妹では得られなかった真実
第21話 おとぎ話のように毎晩、枕元で聞かされた
◇◆◇◆
──深い深すぎる海の底にいた。
息が出来ないから助けを求めようと両手を動かす。
本来なら人の身体は浮くようになってるらしいが、こんな深淵の底まで来ると浮遊感はまるでない。
──深く沈んだままなら、自身が望む方への恋愛と一緒で思い切って行動すればいい。
その姿はこの海を液晶TVから観てるものにとっては
だが、まるでそのような予想もせずにひたすら夢中に水を掻く。
浮力が体全体にまとわりつき、スムーズに動きをコントロールできず、ただ海水の流れに身を委ねる。
海に拐われ、身も心も泳ぎ疲れたこともいざ知らず、魚の群れは何の反応もなく、目の前を通り過ぎていく。
幸い、エラ呼吸にクラスチェンジしたのか、この水中で溺死することもなく、全知万能の神のお導きかと過剰に期待をしていた。
……って何様のつもりだよと苦笑する。
お役所じゃあるまいし、自分で分かったように難しい言葉並べて、偉そうにしてんじゃねーぞ。
さてと、気を取り直してと……あれは小アジの仲間だろうか。
魚が群れを作って泳ぐのは他の魚に食べられないように、大きな魚を演じて驚かすという手法らしいが、大きな魚にとってはビビるどころか、逆に沢山食べれて好都合だったりする。
──再び、手の平に意識を集中させる。
自分が何者でどうしてこのような海中にいるのかを知るためだ。
──左腕の手首に付いた縫い目の跡。
この縫合された傷口には覚えがある。
確か大事な人を目の前で失って、自身も後を追いかけようとした傷痕。
比較的、新しい傷痕でもあったが、その傷は生きることを諦めたくない
──人という生き物は自分の時間を作ろうと孤独を好むわりには一人で死ぬのが怖い。
だから一人では死ねずに出来るだけ生にしがみつく。
近年のニュースで自害と共によくある近辺や関係ない人たちを巻き添えにするのは、それが原因だと言う専門家もいた。
まあ、専門家という職業ながらどんな答えを出しても、その言葉にすんなり納得して批判する人は少ないものだが……。
──そうか、俺はこんな海で漂わず、地上に生還し、一人の人間として、精一杯生きたいのか。
生きることを無くしたあの子の分まで懸命に……。
──俺の名は
これは最愛の人と別れて、行くあてもなく一人となったボッチな男の物語りである……。
****
「──賢司、そろそろ起きないと学校に遅刻するわよ!!」
すぐ隣から女らしき甲高い声が伝わってくる。
いや、野郎がこんなソプラノ声を出せるはずがないし、男独特の繊細な声帯が割れるだろう。
だったら、ここは極楽浄土という場所なのか……おまけにフカフカしてて、どこからか香ばしい匂いもする。
「……んあ? ここはあの世か?」
「あのねえ、あの世だったら布団も無いだろうし、トーストの匂いなんてしないでしょ」
茶色の遮光カーテンの隙間から光が射し込む自室にいつもの相手、栗色のボブスタイルな美人母さんが、俺が寝てる前で必死にラストオーダー(今日も会社に泊まり込み?)をしている。
トーストに愛の形をしたイチゴジャムを塗ってて、お互いの愛を証明するために食べてみせてよと俺の脳内ではそんなイメージだ。
そしてラストオーダーの絶品トーストは冷凍のママだから気合入れていこうか。
待て待て、絶品以前に解凍すらもしてないのに何のアピールだよ……。
好き嫌いはするなと親から言われ続けても、こんなカチコチのアイストーストをかじる限りじゃあ、雪男な設定か。
待てよ。
一つだけじゃなく、他の二つの気配も感じるよな、クンクン。
「……目玉焼きとサラダのトマトの匂いもする」
「あははっ。トマトもってどんだけ鼻いいの。朝から笑わせてくれるわねw」
母さんがケラケラと軽く笑ってみせて、ベッドでアイドルの抱き枕とセットで仰向けな俺の両手を掴んで起こす。
彼女の憂いを帯びた唇と星屑のような大きな瞳に吸い込まれそうになり、思わず顔を背けてしまう。
ああ、世の中は二次元に限るとかいうリアル女が苦手なダチもいるけど、実際イイ女というものは二次元の抱き枕なんかより数倍も綺麗で癒やされるものだ。
いい香りもするし、素肌も鮮やかだし、こちらが頑張って会話を選ばなくても、向こうから無限に生み出されるトーク力。
大人ならではのアダルトな魅力がある体つきには何度、心を狂わされたか……。
「……あのさ、母さん」
「何、マジな顔して。母さんに愛の告白?」
「……似たようなものだけど。あのさあ……」
綺麗に整頓された室内、隅々まで清掃された部屋。
この清潔感が行き届いた空間は自堕落な息子を気遣い、みんな母さんがやってくれたお陰だ。
俺は母さんの優しさに感謝し、アイドルみたいな顔つきの母さんを意識しながらもこの想いを言い出す決心をする。
さあ、この部屋は二人だけだし、打ち明けるなら今しかない。
心の中で気持ちの整理さ、あああああいうえおあお。
「……ねえ、母さんはいなくならないよね?」
「うん、大丈夫。母さんは賢司の側に居るわ。約束するわ」
「例え、骨皮筋太郎になっても?」
「あははっ、何言ってるの。骨になろうと筋になろうと何があってもずっと一緒よ」
目の前で両手を包み込んで優しく微笑んでくる母さん。
指輪の痕が薄く残った薬指を絡ませながら、母さんはまるで自分に言い聞かすようにずっと笑顔をこっちに向けていた。
もし今度の誕生日、贈り物は母さんのメイドエプロンのフィギュアだったら一生宝物にするよ。
俺は我が子ながらも、ヨーロピアンな彫刻のように美しすぎる母さんに正直惚れていた……。
◇◆◇◆
──ファッションデザイナーの社長で独立した会社を立ち上げた俺の父さん。
仕事の売り上げも成績も何もかも順調で、同じ立場の母さん、
企業としても成功を治めた勝竜家は資産家としても有名となり、その名をTVやネットまでのメディアにも刻みつけた。
芸能人やグラビアのデザイナーを頼むなら、
そんな風に順調に天の地位さえも掠めとっていた父さんは、ある日を境にこの街から蒸発した。
デザイナーとしての奇抜な才能に恨みや妬みを感じた芸能人のファンから車で拉致され、どこかの異端の場所に幽閉された後、そのまま命の灯火を消したらしい。
当時五歳だった俺は父さんがいなくなったことに理解できず、母さんから『より良いお仕事のお勉強のために長い旅に出たんだよ』とおとぎ話のように毎晩、枕元で聞かされた。
まだ幼いゆえ、事務的な内容はこれっぽっちも分からないままだったが……。
俺が父さんの死を知ったのは、それから四年後の九歳の頃だった──。
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